現代日本語百科   けふも  お元気ですか

gooブログはじめました!日本語百科です。
現代日本語百科 ⓒ2013gooksky

枕石漱石、流石

2015-11-04 | わくわく
石を枕にするか、石をもって漱ぐか、流れに枕するところではない、流れにさお、さしたは、流石である。この故事には漱石の言わんとするところがあって、文生於情,情生於文 とは如何。
漱石枕流 枕石漱流

「流れに枕し、石に口 漱がん」

 「流れに枕する所以は、その耳を洗わんと欲す。

  石に口 漱ぐ所以は、  其の歯を磨かんと欲す」と。


https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8/%E5%8D%B7056
晉書/卷056
維基文庫,自由的圖書館
< 晉書
卷五十六 列傳第二十六
江統 子虨、惇 孫楚 孫統、綽

晋書 孫楚伝、

惠帝初,為馮翊太守。元康三年卒。

  初,楚與同郡王濟友善,濟為本州大中正,訪問銓邑人品狀,至楚,濟曰:「此人非卿所能目,吾自為之。」乃狀楚曰:「天才英博,亮拔不群。」楚少時欲隱居,謂濟曰:「當欲枕石漱流。」誤雲「漱石枕流」。濟曰:「流非可枕,石非可漱。」楚曰:「所以枕流,欲洗其耳;所以漱石,欲其齒。」楚少所推服,惟雅敬濟。初,楚除婦服,作詩以示濟,濟曰:「未知文生於情,情生於文,覽之淒然,伉儷之重。」

http://juei.kakurezato.com/sesetsushingo.html
第二十五 排調篇(他人を言い負かしたりやりこめたりする話)

世説新語 排調
孫子荊(孫楚)は若い時から隠棲したかった。
王武子(王済)に語って言うには、
「まさに石に枕し流れに漱がん」と言うべきところを間違って「石に漱ぎ流れに枕せん」と言ってしまった。
王済は言った。
「流れに枕し石に漱ぐことなんて出来るのかね」
孫楚は言った。
「流れに枕するというのは耳を洗いたいと思うからだ。石に漱ぐのは歯を砥ぎたいとと思うからだ」

『夏目漱石デジタル文学館』のご紹介 - 神奈川近代文学館
www.kanabun.or.jp/souseki/introduce.html
当館閲覧室では「Web版」よりもさらに機能、内容が充実した館内版『夏目漱石デジタル文学館』を専用端末でご利用いただけます。「Web版」に比べ画像サイズが大きいことに加え、キーワード検索、関連データとの相互リンク、解説に頻出する人名・事項の用語 ...
http://www.kanabun.or.jp/souseki/index.html

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
夏目漱石(年譜)
なつめそうせきねんぷ

1867(慶応3)1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町(現、東京都新宿区牛込喜久井町)に誕生。本名は金之助。里子に出され、翌年塩原家の養子となる
1876(明治9)生家に帰る(復籍は1888年)
1881(明治14)1月 実母千枝死去。4月ごろ東京府立一中から二松学舎に転校、漢学を学ぶ
1884(明治17)9月 大学予備門(東京大学教養学部)に入学
1889(明治22)1月 正岡子規を知り、俳句の手ほどきを受ける
1890(明治23)9月 帝国大学文科大学(東大文学部)へ入学
1893(明治26)7月 文科大学英文科卒業。10月 東京高等師範学校英語教師に就任
1895(明治28)4月 松山中学教諭として松山へ赴任
1896(明治29)4月 松山中学を辞し、第五高等学校講師として熊本へ。6月 中根鏡子と結婚。7月 五高教授となる
1900(明治33)9月 イギリス留学へ出発
1903(明治36)1月 帰国、東京へ。4月 第一高等学校兼東京帝大英文科講師
1903(明治36)この年しばしば神経衰弱に悩まされる
1905(明治38)1月『吾輩は猫である』(~1906年8月)、『倫敦塔』を発表
1906(明治39)4月『坊つちやん』発表。9月『草枕』発表
1907(明治40)4月 朝日新聞社に入社。5月『文学論』刊。6月『虞美人草』連載(~10月)。9月ごろより胃病に悩む
1908(明治41)6月『文鳥』連載。7月『夢十夜』連載(~8月)。9月『三四郎』連載(~12月)
1909(明治42)1月『永日小品』連載(~3月)。3月『文学評論』刊。6月『それから』連載(~10月)
1910(明治43)3月『門』連載(~6月)。8月 転地療養のため修善寺へ行き、大量吐血して人事不省に陥る
1911(明治44)2月 文学博士号を辞退
1912(明治45・大正1)1月『彼岸過迄』連載(~4月)。12月『行人』連載(~1913年11月)
1914(大正3)4月『こゝろ』連載(~8月)
1915(大正4)6月『道草』連載(~9月)
1916(大正5)5月『明暗』連載(~12月、中絶)。12月9日 胃潰瘍のため永眠。雑司ヶ谷霊園に埋葬される


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。