言志後録 139
学問をする人は、各自勉強して学識を得るから、これを総て人に与えて見せるということはもちろん良いことである。しかし、自分の主張する所が大変度が過ぎ、これを掲げて一種の宗旨―宗門協議の趣旨―となすようなことがあれば、将来必ず弊害を招くことになりかねない。これは、憂慮すべきことである。
140 夜の月を眺めるのは、晴朗な気を観賞して楽しむにあるので、月が円くなったり、欠けたり、晴れたり、かげったりするのを見るのではない。咲いた花を見るのは、その生き生きした花の心を観賞して楽しむにあるので、花の紅や紫の色とか、花の香りなどは問題外である。
花を観賞する花鳥風月の嘆をさしているのだろうか。晴朗な気、生き生きした花の心、そういうことであろうかとも思う
学問をする人は、各自勉強して学識を得るから、これを総て人に与えて見せるということはもちろん良いことである。しかし、自分の主張する所が大変度が過ぎ、これを掲げて一種の宗旨―宗門協議の趣旨―となすようなことがあれば、将来必ず弊害を招くことになりかねない。これは、憂慮すべきことである。
140 夜の月を眺めるのは、晴朗な気を観賞して楽しむにあるので、月が円くなったり、欠けたり、晴れたり、かげったりするのを見るのではない。咲いた花を見るのは、その生き生きした花の心を観賞して楽しむにあるので、花の紅や紫の色とか、花の香りなどは問題外である。
花を観賞する花鳥風月の嘆をさしているのだろうか。晴朗な気、生き生きした花の心、そういうことであろうかとも思う