憲法は平和憲法と呼ばれてひさしい。誰彼、呼ぶとなくそうなったか、日本国憲法の条文の一つで、憲法前文と三大原則の1つである平和主義を規定という解説がある。その原則は、条文に、戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認のことをあらわし、日本国憲法に、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、と謳うことから、平和憲法と呼ばれていると解釈できる。国権の発動たる戦争をしないのであるから、いわば不戦をうたうので、平和のもとに交戦権を認めない憲法である。平和追求と不戦の謂いである、武力の行使を永久にこれを放棄する、それはまた、国際紛争を解決する手段としてのことである。そこに民族が武器を持たない、武器をいかなるときにも用いてはならない、ということにはならなくて、民族を武力攻撃から守るのはやはり自分でなければならないから、自ら仕掛けることのない武力行使をしない自衛隊を備える経過をたどってきている、早く言えば、先制攻撃には使わない武器を持つ、あるいは国際紛争の地域には武器を携行しないという考え方がすすめられて来たのである。そのもと、国を守っているのはそれでは誰なのか。
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1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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みどりの日
2007年05月04日23:57
明治村を訪ねて帝国ホテル越しに花火を楽しんで帰った
行楽日和もこの週末は崩れそうなので早く今日出かけた
渋滞が起こるだろうからと出発を考えて結局昼前にした
そこで駐車場が込み合うことを予測していなかったので
駐車場が満車で一方通行をぐるりぐるりと回っていたら
特別スペースを案内されて無料ですと係員が言う通りに
それはすごい人が明治村にあふれてクイズと宝探しには
親子で興ずる仕儀と相成ったわけだが4時間の苦闘だった
浪漫亭タイムズによると、それはカレーを食して
初めてカレーを見た人は1863年、文久3年の遣欧使節団
フランスの軍艦で働くインド人が食べている感想を記録しているそうだ
その後、1872年、明治5年に明治天皇が肉食宣言をしている
ということはカレーに肉が入っていても食べられるということか
西洋料理通、仮名垣魯文編
西洋料理指南、敬学堂主人著
の二つが出版されたことを持ってカレーの料理法がひろまったっとする
カレーライスのタネが発売されたのは1906年、明治39年
西洋料理法のレシピが1895年、明治28年に出版された
この10年という間で急速に日本人が食べ始めたということだろう
値段は巡査の初任給12円に対して15銭、今換算すると、3600円かな・・・
8時に花火が上がって北口から楽しんだ
8時間にもなる明治のタイムスリップは
天主堂のライトアップショーを印象に
夜気がおそう、寒くなった気温に緑深い山里を後にした
仕上げは、天延温泉、楽の湯こまきデシタ!
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国法または国制
2007年05月04日11:01
改憲 憲法を改める
護憲 憲法を護る
論憲 憲法の議論をする
創憲 憲法を作る
新憲 新しい憲法にする、ことになるのかなぁ
www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Link.html
>しかし、日本の世論は、護憲・改憲の二択時代から、論憲が加わってイシュー化し、公明党の加憲、民主党の創憲、市民たちの活憲論から廃憲論まで入り乱れ、百花斉放です。第9条改正に限ればなお「変えるべきでない」が多いのですが、長期的に見ると、改憲世論の高まりは否めません。さまざまな改憲私案も出されています。現行憲法のわかりやすい現代語訳から、新しい権利まで。しかし、注意しなければならないのは改憲手続き。日本国憲法は「硬成憲法」といって、改正手続きが厳格です。そのため環境権やプライバシー権を入れようとすると、第9条改正にも結びつく可能性が高いのです。国民投票法案が問題の焦点です。すでに日弁連や日本ペンクラブなどが意見書・声明を出していますが、私自身はグローバルな地球のために、国民のくらしのために、まずは現行憲法をしっかり実行し、国際社会に発信していく「活憲」の立場です
次は、ウイキペディアの語源より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%86%B2%E6%B3%95
>語源
「憲法」とは、ドイツ語の「Verfassung」、フランス語の「Constitution」に対する訳語である。
元来日本にはこれに相当する概念がなく、もともと漢語として存在していた「憲法」(cf:十七条憲法)という語を当てることが明治期に考案され、これが定着したものである。穂積陳重の『法窓夜話』によれば、明治6年(1873年)に、箕作麟祥がフランス語の「Constitution」に「憲法」なる訳語を当てたのが始まりという。当初は、「国法」、「国制」、「朝綱」など、さまざまな訳語が使用されていたが、時代を経るにつれて「憲法」が定着してきた。但し、「国制」という訳語は、法史学において現在も用いられる。
もともと、「独Verfassung」等の原語は、もののあり方とか状態とかを指す語であり、そこから転じて国家のあり方を示すようになった。つまり、もっとも基本的な意味は、国家のあり方という意味である。日本語の「憲法」には、「法」という概念が既にくみこまれているため、このような事実的なフェアファッスングの概念をともすれば捉えそこなうことがあるので、注意が必要である。