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源氏の物語 13 いつ書いたか

2015-12-04 | 源氏のものがたり
源氏物語の謎 ウエブ文庫にある、宿世について、謎では82番目であったのを引用した。その数は84におよぶので、一覧にする。ブログ記事でもあるようで、2015.10.26のものである。このサイトは国研出版の提供であって、平安朝文学の研究書が見える。さて、その謎1に、いつ書かれたか、という、問いがあり、寛弘五年、1008年中には書かれていたと記している。その根拠には紫式部日記にある。これはまた紫式部の生涯とも関係する。謎18によれば、生年を天延元年、973年、そして没年を長和三年、1014年としている。その説となる研究書によれば、42歳の生涯である。物語のできたのは、35歳であったか。ただ、宮中へ参内するのは寛弘二年、1005年>十二月鷹司殿倫子(左大臣藤原道長室)の要請で一条天皇中宮彰子(あきこ)に出仕 であるから、サロンでの見聞を執筆動機にしたとすれば、書き綴ったのは、わずか、32歳から3年間のことになる。夫の死が1001年で、そのころから書き始めたという説があり、28歳のことであるが、そのときに、サロンの内幕を語るにはどうであったろう。いずれにしても、1帖を書くのに㏦を費やして1年余の日数であり、それを物語の構想をして書くとなると、早業である。


『源氏物語の謎』増淵勝一 著 目次

http://www.kokken-jp.com/genji/genji001.php
『源氏物語』はいつ書かれたか

『紫式部日記』寛弘五年(1008年)条のいくつかの記事によります。
(1)十一月一日の敦成(あつなり)親王(のちの後一条天皇)の御五十(いか)日の祝いの席上、紫式部が当時の文壇の大御所の藤原公任(きんとう)から、「このわたりに若紫やさぶらふ(若紫さんはいらっしゃいませんか)」と、『源氏物語』のヒロインの名で呼ばれたこと。
(2)十一月十七日の中宮彰子(あきこ)の内裏還啓に先立って、内裏に持参する書物作りが行なわれた際、紫式部が私室に隠しておいた物語の本を中宮の父親の藤原道長が探して、次女の尚侍妍子(ないしのかみけんし)に与えてしまった。それはまだ十分に手入れをしていない本で、「心もとなき名」(気がかりな評判)をとったことであろうとある。この物語の本は『源氏物語』であったと考えられること。
(3)寛弘六年(1009年)条に、一条天皇が『源氏物語』を女房に読ませて聞いて、「紫式部は日本紀(『日本書紀』以下の国史)を読んでいるに違いない」と言ったので、紫式部に「日本紀の御局(みつぼね)」というニックネームがついたと記されていること。
(4)同じ六年六月条に、中宮彰子の前に『源氏物語』が置かれており、それを見た道長から、紫式部が「すき者と」の歌をよみかけられたこと。

『源氏物語』はどんな物語か
『源氏物語』の巻名はだれがつけたものか
『源氏物語』の時代設定はいつか
光源氏に愛された女性の中で、一番しあわせだったのはだれか
『源氏物語』の伝本にはどんなものがあるか
『源氏物語』の三大滑稽人物とはだれか?
『源氏物語』という書名ははじめから付けられていたものか?
『源氏物語』の「もののあはれ」とは何か?
紫式部の名の由来は?
光源氏はなぜ義母の藤壺を思慕したのか。
「桐壺」とは何か
「雨夜の品定め」とは何か
「帚木」とは何か
『源氏物語』の三箇(さんか)の大事(だいじ)とは何か
紫式部堕獄(だごく)説とは何か
『源氏物語』は古人にどう評価されたか。
紫式部はどういう生涯を送ったか

紫式部は円融天皇の天延元年(973)に生まれました。父は式部丞藤原為時、母は常陸介藤原為信の娘です。父方も母方も式部が生まれた当時は、いわゆる受領階級で、中流貴族の家柄でありました。姉と弟惟規のほか、異母弟二人と異母妹一人がおります。
>長和三年(1014)清水寺に参詣して皇太后宮彰子の病気平癒の灯明を献上。同年二月42歳の生涯を終えました(以上、岡一男博士『源氏物語の基礎的研究』昭29刊参照)。

登場人物の名づけ親は誰か
源氏物語の文章の「すべらかし」調とは?
光源氏の「二条院」はどこにあったか
源氏物語に描かれた結婚形態とは
「紅葉賀(もみじのが)」とは何か
源氏物語に近親結婚が多いのはなぜか
結婚を拒否する女性
光源氏はどんな容貌・容姿であったか
源氏物語の遺跡にはどんなものがあるか
源氏物語の構成はどうなっているか
乳母(めのと)とは何か
源氏物語には何首の和歌があるか。
「総角」巻の巻名の由来は何か。
光源氏はなぜ須磨に籠居したのか。
「夢浮橋」の巻名の由来は何か
光源氏の経済的基盤はどこにあったか(1)
弘徽殿の大后のモデルは誰か
桐壺の更衣のモデルは誰か
紫式部観音化身説とは?
光源氏の経済的基盤はどこにあったか(2)
源氏物語』の登場人物は何人ぐらいいるか?
『源氏物語』に登場する敵役(かたきやく)
主な女君たちの命日
平安貴族の住居はどんなものであったか
宇治の八の宮は二人の姫君を残してなぜ出家を目指すことができたか
源氏物語が長い間読まれつづけているのはなぜか
『源氏物語』の最も古い注釈書とは
「かがやく日の宮」巻とは何か
「澪標」の巻名の由来は?
『源氏物語』に描かれた病気
紫式部の教養
古注の集大成―『河海抄』
世界文学史上の『源氏物語』
紫式部の学問観
光源氏薨後の夫人たちの生活は?
物怪(もののけ)とは何か
「宿木(やどりぎ)」とは?
女君たちの魅力は?
六条院とはどんな邸宅であったか
女三の宮と柏木との関係を知った光源氏はどう対処したか?
紫式部の住居はどこにあったか?
作り物語の『源氏物語』に実在の人物が登場するのはなぜか?
紫式部と藤原道長の関係について
源氏物語に及ぼした伊勢物語の影響
「鈴虫」の巻名の由来は?
「侍従」という女房の役割は何か
光源氏が一番美人だと認めていた女君は誰か
紫式部の墓はどこにあるか
「雲隠」の巻は原作にあったのか
男君たちの魅力は
源氏物語に見える音楽
年立ての矛盾
各巻のあらすじ(1)桐壺・帚木
女君を選ぶとしたら?
各巻のあらすじ(2)空蝉・夕顔
『源氏物語』の続編(1)―『山路の露』―
各巻のあらすじ(3)若紫・末摘花
『源氏物語奥入(おくいり)』とは
源氏香とは何か
平安時代の風呂はどんなものであったか
牛車(ぎっしゃ)とは何か
貴族の日常生活はどういうものであったか
源氏物語にはなぜ大災害が描かれていないのか
源氏物語にあらわれた宿世観
源氏物語に登場する僧侶
『源氏物語』の主役の条件


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