現代日本語「誤」百科 938 確認されて以降行方不明 を例題にしている。この 以降 には、特定の時点がいる表現であるというのが、コラムの解説で、確認されたのが特定された時点を表さないとして、確認されて昨日以降 というような、その時点を入れた言い方にするか、確認されてから 確認されたあと という言い方がよいとしている。確認されて とあるのだから、その日付が場面また文脈にあるだろうに、とか、コラムの日本語表現に対する解釈不足かとか、思いながら、これをその説明のままに理解してもよいが、はて、確認と行方不明の表現はどういうことだろうかと、改めて見直すようなことである。場面か、文脈の表現が何か不足しているが、この 以降 によって、そのまま、ずっと見つからないということを表しているように思える。さらに、捜索が続くなり、行方を気遣う意味内容である。検索をしたら、この用例に思わぬヒットがあった。 . . . 本文を読む
報道の自由、その度合いについて世界各国、地域の順位付けをして、日本は59位だそうだ。国境なき記者団、RSFパリ、の報告書による。12日に発表のニュースから、1位はフィンランド、2位オランダ、3位ノルウエーと続く。日本は東アジアで台湾、韓国を下回る自由度となった。福島の事故報道で、情報の透明性が欠けると昨年に順位を落として53位だったのをさらに悪くしている。それには特定秘密の保護法に、原子力問題を取材する記者の活動がより危険になるとしている。フリーランスや外国人記者への圧力、また偏見があるとされた。対象国は180カ国、アメリカは46位で、昨年から14ランク落としている。英国が33位、フランスが39位、韓国が57位である。中国は習政権で記者の逮捕、外国メディアへの締め付けがあると、175位である。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 936 にわかに信じがたい を例題にしている。にわかに の意味を、コラムの解説は、瞬間的に起こる事態に使うと説明して、信じがたいという状態には意味内容が合わないとするが、辞書には、一時的な様子についての意味説明があるので、にかならずしも、解釈ができないことはないので、一緒に用いることが不適切であると言えない。すぐさまには信じられない、というようなことだ。コラム特有の論理で、ほかの意味内容を認めない前提、また解釈しようとしないので、このコラムの中では誤りを指摘するようなことであるが、これにはこのコラムは困ったものだといつも思う。それで、コラムでは、にわかには信じられない ということが否定表現できるので、にわかには信じがたい ということができるとしているが、ここでもまた、否定の謂い方ではあっても、にわかに信じがたい にわかには信じがたい の違いについて解説をしているものではないので、どれを誤りとし、どれを正しいとするかというのは、十分に理解できている解説ではない。できていない。
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現代日本語「誤」百科 935 なかなか歌っている を例題しにしている。なかなか という副詞の用法をコラムでは問うている。この語は打消しをともなう呼応の用法があって意味を特徴的にする。例題で言えば、なかなか歌わない なかなか歌えない など、現代語の用法では、予想、意外といった意味を加える。否定表現ではない肯定表現にも使うので、例題には表現上でこのような解釈を加えるようになる。おそらくそこには、なかなかうまく歌っている、なかなかよく歌っている、となって、それは上手である場合もそうでない場合も意味内容とするので、場面と文脈によるとらえかたになる。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 934 悪人の教唆に騙される を例題にしている。コラムの解説は、その教唆について、教唆をする、その際にうそをつくことはあっても と言っている。それで、うそそのものではない だから、教唆にだまされることはあり得ない というふうに論理を展開するが、ここで撞着を起こしている説明である。教唆にうそがあると言いながら、教唆そのものは嘘ではないというのはどういうことであろう。教唆に嘘があるかないかは、その内容によるところであり、コラムの解説のようにそもそも、まことしやかなうそ となるかについては、わからないことである。そそのかすという行為が、デジタル大辞泉の解説にあるように、唆す、嗾す、その気になるように仕向ける、特に、おだてて悪いほうへ誘い入れる、というような意味内容の説明があるので、悪事をそそのかす、というときには、うそも何もない、虚言、悪巧みあってのことである。 . . . 本文を読む
都知事選の結果が出て、予想された結果となったようだ。15年前にチャレンジして破れ、その後の政治家としての活躍はあるものの、最大与党を離れて新党でおさまっていたが、今回は無所属での出馬である。その方の当選が確実となったようである。元総理が原発ゼロを掲げてワンイシューの都知事選挙にすべく打って出て、その応援にまた元総理が出てくるという話題性だけはにぎわった。投票率は雪の日にもかかわらず46.14%だった。その老々コンビと言っては失礼であるが、とくに、小泉さんには、晩節を汚した、と批判する向きがあるらしい。評価を落とすとか、 名誉失墜、名声が地に落ちたなどと、この晩節を汚すには意味がある。所属政党としては政治の手法、政策において元総理を批判している。そこで晩節とはなにかと・・・ . . . 本文を読む
1年前に書いた記事の感想を書いてみませんか?また、ライフログとして1年後の自分に向けて素敵な思い出をブログにまとめましょう♪ というわけで、リマインダーはふたつを知らせる。ひとつはいつものように、もうひとつは、日記に、そのジャンルで書いている。雪が降った様子をつたえているので、ちょうど時期を同じくして大雪となった、日本列島の様子は、毎年繰り返している。ブログのランキングが2万台だったのが、いま、2千台になっている。いつも訪問してくれる方々のおかげです。どうもありがとうございます。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 933 事故があったのと川を挟んだ対岸 を例第にしている。コラムの解説は、事故があったのと反対側の岸 と理解している。この言い方の解釈が難しいようである。事故があったこと、川を挟んだ対岸であることと、このふたつを情報にして、それが一つに表現されたため解釈が難しくなっている。前後の状況が説明されているのがふつうなので、これも場面から切り離した例題では文そのものの情報が必要となる。用例を検索すると、川を挟んだ対岸、という言い方がヒットする。川の両岸をどちら側の対岸を見るかで表現方法に工夫があるようであるから、その地理関係を明確にしなければならない。事故がっあたのと反対側の岸 というふうに言いなおしてみたところで、この表現にある位置関係は、対岸を反対側の岸と言いなおしているだけで、やはり明確ではないと言わざるを得ないが、それならば、もともとの表現で十分であるということになる。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 932 特殊なあごの構造を進化させた を例題にしている。これを正しく言うには、あごの構造を進化させる ではなくて、あごの構造が進化した というべきだとコラムは解説する。その理由は、進化させた というのは、意図的な行為であり、意思によるものであるから、あごの進化は生物が長い間にいつの間にか生じるものだからだそうだ。この説明の限りではコラムの言うとおりである。生物学上の進化をとらえれば人為的であるかどうかである。しかしその一方で、特殊なあごの構造 というふうに、例題には、あごの構造の進化をとらえて、意図的意志的行為ではなくとも、人類がそうしてきたこと、特殊な進化をしたことを、他と区別してとくにさせてきたという叙述になる。すなわち咀嚼咬合系は元来内臓性の器官として発生し、進化と共に特殊な変化を遂げたユニークな器官、というような説明である。いつものようにこのコラムでは文脈の切り取りで、この例題においても、特殊な という修飾語が何を意味しているかは説明しないので、例題が間違っているかどうか、わからない。 . . . 本文を読む
足をすくう 足下をすくう いずれが正しく、足元をすくう、というのが間違いであるのはなぜか。あしもとを足の下の部分と理解すれば、足下をすくうようなことはあるだろう。足を払いのけるような行いである。あしがらをすくう とも言う。これは、足がらみのことだそうだ。掬う、については、下から上へ持ち上げるの意味がある。日本国語大辞典によれば、物を上へ持ち上げる、下から上へ急に持ち上げる、かきすくう、とあり、その用例には、*曾我物語〔南北朝頃〕八・富士野の狩場への事「乗りたる馬を主共に中にすくうて投げ上げ、落ちば懸けんとする所に、かなはじとや思ひけん」*真景累ケ淵〔1869頃〕〈三遊亭円朝〉二三「此野郎。と足を取ってすくはれたから仰向(あふむけ)に倒れる処へ」*馬上の友〔1903〕〈国木田独歩〉「其荒々しい腕を伸して僕の身体をちょいと掬(スク)った。と思ふと僕の身体は早くも馬の上に在るを発見した」、と見える。また、横に払うという意味に、次のように載せる。*内地雑居未来之夢〔1886〕〈坪内逍遙〉一三「横さまに払ふ風強くて、足をすくはるるも尠(すくな)からず」 . . . 本文を読む