異文化交流をとらえる。cultural exchange; cross-cultural communication; contacts between different cultures 異文化理解、異文化コミュニケーションがキーとなる。 . . . 本文を読む
交流する文化、この解釈になれば、文化を交流する、文化が交流する、このいずれであろうか。交流する文化を研究する、となるか。交流する文化が研究対象だ、となると、同じく文化を対象としても、文化そのものに視点がある。文化交流は文化を交流する、わたしたちが文化を交流することであった。文化交流には文化が交流するとはとらえにくい。文化交流する、と言えても、交流文化する、とは、言いにくいのは、文化を交流する、に対して、交流する文化が対象となるからだ。交流文化は自文化をとらえてのことか、異文化をとらえてのことか。それが文化交流ならどうか。わたしに主体をおく文化か、文化に主体をおくわたしか。文化交流があった、国際交流に加えてのこと、そのあとに来るのは交流文化であろう。 . . . 本文を読む
交流文化の語に連想して、交差文化を検索してみる。交差文化的研究 cross cultural study は、異文化間心理学における研究法の一つだそうだ。各文化圏における行動特性や精神構造の違いを明確化する研究のこと、異なる文化圏で成長した人に対して同一の刺激を与え、どのような反応が返ってくるかを記述していくことで進める、と見える。刺激には、環境条件、言語刺激、対人的な振る舞いである。あるいは、世界遺産に文化交差路サマルカンドがある。説明によれば、サマルは人々が出会う、カンドは町のようである。ウズベキスタン東部のサマルカンドは文化が出会う交差路だったという。 . . . 本文を読む
文化と戦争を考える。文化に対するのは武力であると見ることは、武力平定を戦争によるとみれば、文化は何によることになるか。思想、宗教などの文化価値観の相違による衝突である。日本文化論は戦争を契機として議論があった。その戦争は敗戦の事実があったから、それまでの文化を否定する結果となった。文化は戦争とともにあるのである、という言い方は奇妙であるが、文化論に戦争をとらえることは、何とも、そぐわないにかかわらず、文化と戦争はかかわりあう。文化の価値観は戦争ともなると、文化戦争、culture war とは、アメリカ社会における、1990年代に起こった、伝統主義者、保守主義者と、進歩主義者、自由主義者との間にある、価値観の衝突をとらえて、こう呼ぶようになったと説明する。 . . . 本文を読む
日本文化論に情報技術革命、イノベーションをとらえる。これは日本文化論の議論にとどまるものではない。グローバルに起こった文化のありようとなる。イノベーションは、技術革新、innovation=新機軸と把握するもので、説明によれば、>「innovation」の訳語として日本語でよく使われる「技術革新」は、より近い意味の英語で「technical innovation」あるいは「technological innovation」と言う ウイキペディアより イノベーションは、1911年に、オーストリア出身の経済学者であるヨーゼフ・シュンペーターによる定義があり、それによれば、経済活動の中で生産手段や資源、労働力などをそれまでとは異なる仕方で新結合することとある。上記と同じ、ウイキペディアによる 経済のことがらに適用があり、日本でも、1958年の経済白書において、イノベーションが、技術革新と訳されたことが、この語の用法を、経営革新ともみる。>プロダクトイノベーション(製品革新): 新製品の開発によって差別化を実現し競争優位を達成するイノベーション
プロセスイノベーション(工程革新・製法革新): 製造方法や工程の改良によって費用を削減し競争優位を達成するイノベーション
ただし、どちらも経済学的には生産関数の上方へのシフト . . . 本文を読む
コンピュータの端末であるスマフォに加えられるのはパッド型のディスプレーである。パッド型端末として国語辞書には登録する。そしてタブレット型端末を解説する。パッド型、タブレット型、ともにカタカナ日本語でPCの普及を見ることになる。このディスプレーには液晶による薄型のものが大小とりどり、取り混ぜての様相で使われ出している。これはコンピュータを一体化したものとなって常に手元に、移動とともに、通信が可能であれば、そこで異次元世界を開くことができるものとなっている。遠くを見る、異なる世界を覗く、空間を超えて新知識を得ることが人々の欲望であったから、その知的興味による探求は、いわば手ごろなものとなったのである。 . . . 本文を読む
スマートフォンと呼ぶ端末機器は情報の革命を進行させ、さらに進化を遂げている。その名称をもって片仮名日本語が象徴するのは、ケータイであった。電話機とコンピュータの端末を併せ持ったものになった。通信の手段が電子情報を画面に表示した、電波を媒介としての電話機にまずは搭載されたと日本ではとらえるかもしれないが、それは多機能電話としての展開が日本で見られたからである。そのことをもってすればスマフォの先駆に携帯電話による多機能端末としての普及は日本メーカーの寄与するところ、日本製のコンピュータのハード、ソフトにおける、それだけの問題にとどまらないことがある。しかし、いまやスマホとしての普及には、マイクロソフトのマシーンに対するアップルの技術があった。スマートデバイスである。そこには早く、PDAがあったが、これには通信機能がなかった。 >1993年にアップルが米国内でNewtonを発売した際、このデバイスはPDA(携帯情報端末)と称された。この言葉・概念が一般化したのは1996年にPalmが発売した「PalmPilot」のヒット以降である。この時点では端末に通信機能は付与されていなかった。 . . . 本文を読む
インターネットによる情報伝播は、それまでにない情報共有の時代となった。1990年代に展開して日本に大きな影響を及ぼした。インターネットそのものは、最先端科学技術の軍事利用への転用のための研究、米国防総省に高等研究計画局 ARPA Advanced Research Projects Agency が寄与したことはよく知られている。1958年に設置され、軍事利用から変遷し、1990年にインターネットの学術部門との分離が行われた。1990年代から10年、またその後の10年と文化論を考える場合に、情報革命は切り離すことのできない展開である。その一方で情報格差が見える。デジタル デバイドは、富裕層がデジタル機器を利用し情報を得てさらに経済力を高め、貧困層との経済格差が広がるというように言われる。これはまた、文化にどう影響を及ぼすだろうか。 . . . 本文を読む
国力の衰退と経済の復興が文化を規定するような見方は正しくない。民族の伝統と人々の生活があれば、2000年の歴史を背景に、そこに文化ははぐくまれる。民族の文化に伝統文化を見るが、経済とともに文化論があるのはなぜか。経済文化はことばとして熟さない。ここでその思いに、メセナ mécénatを連想する。それは、企業が主として資金を提供して文化、芸術活動を支援することであると解説する。 さらには冠名をかぶせたスポンサーつきの芸術活動ともみられる動きがあるようである。1990年に社団法人、現在は公益社団法人、企業メセナ協議会が発足して、企業メセナ協議会は、芸術文化振興による社会創造と定義しているという。その具体的活動に文化が現れるのであろう。欧米の活動に刺激されての、欧米ではメセナは比較的早くから始まったというふうにとらえている。1967年に設立されたアメリカの企業芸術擁護委員会(BCA)、1976年に設立されたイギリスの芸術助成協議会(ABSA)、1979年に設立されたフランスの商工業メセナ推進協議会(ADMICAL)などの団体が活動しているという。ウイキペディアより。文化が企業の支援を受ける、それは社会への還元の活動と位置付けられて、経済の動向に合わせたようなとらえかたは、時流として一致することであった。文化がさまざまに彩られることになる。経済活動に日本穂復興後のことがあるので、メセナは画期の現象である。 . . . 本文を読む
日本文化論がさかんとなったのは、菊と刀を再論するようになってからだろう。それは経済大国といわれるようになる、日米の貿易摩擦が原因する。その摩擦と言い得るのは、1950年代に繊維製品摩擦、1960年代に鉄鋼摩擦、そして1970年代になって、カラーテレビ摩擦、自動車摩擦と、その製品でとらえられた、いわば日本による保護貿易である。次いで1980年に半導体摩擦となって、輸出の自主規制として日本はこれまで繊維、鉄鋼、カラーテレビ、自動車などで規制を行ってきたが、ついに1985年のプラザ合意でドル高を是正する、円高の誘導を実施するに及んだ。日本からの輸出は、1ドルが240円だった、為替レートが1ドル120円になってしまう。そうして1989年日米構造協議が開始され、1990年代の日米の協議、包括経済を協議するようになる。 . . . 本文を読む