あの時あの電車に乗らなかったので事故にあわなかったとか、その逆の話は世の中に数え切れないほどあるだろうと思う。次はそれに似た話の中の一つだ。
昭和26年4月、開発銀行の総裁に就任した小林中(あたる)は、その職に就く前に新設の国鉄総裁はどうかと折衝された事があった。彼はその場での返事はしなかった。後日、断った。何となく嫌な予兆を感じたのかも知れない。代わりにその総裁の席に就いたのがあの下山定則である。昭和24年7月5日、下山は行方不明となり、翌日6日に轢死体となって発見され、「下山事件」と言う戦後の所謂「黒い霧事件」の一つとなった。小林がその国鉄総裁の職に就いていれば「小林事件」となった可能性は高かっただろう。
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