先日、亡くなったサイデンステッカーは、昭和20年、24歳のとき、海兵隊員として
佐世保に来ている。翌年に帰国し、昭和23年アメリカ国務省の役人として東京に
来ている。同25年に国務省を辞め、アメリカ政府とフォード財団から奨学金を
貰い東大に入り、日本文学を専攻した。
東京の下町をこよなく愛し、こんな文章を書いている。
「60年安保騒動の当時、写真を見ると身なりは今と比べて、もっときれいでした。
今は汚いと感じます。特に女性がひどい。あの汚いジーパンは吐き出したくなる。
おんならしさを考えると、若い女性のあの靴、鉱山労働者のような靴は何でしょう。
なぜ、日本の女性は男っぽくなってしまうでしょうか。今までの日本と言う国は
こんなことはありませんでした。」と。
それから、何故か、「文京区」と言う名も嫌いだそうだ。
「好きな日本、好きになれない日本」サイデンステッカー著 廣済堂出版から
佐世保に来ている。翌年に帰国し、昭和23年アメリカ国務省の役人として東京に
来ている。同25年に国務省を辞め、アメリカ政府とフォード財団から奨学金を
貰い東大に入り、日本文学を専攻した。
東京の下町をこよなく愛し、こんな文章を書いている。
「60年安保騒動の当時、写真を見ると身なりは今と比べて、もっときれいでした。
今は汚いと感じます。特に女性がひどい。あの汚いジーパンは吐き出したくなる。
おんならしさを考えると、若い女性のあの靴、鉱山労働者のような靴は何でしょう。
なぜ、日本の女性は男っぽくなってしまうでしょうか。今までの日本と言う国は
こんなことはありませんでした。」と。
それから、何故か、「文京区」と言う名も嫌いだそうだ。
「好きな日本、好きになれない日本」サイデンステッカー著 廣済堂出版から
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