さらにディープな「チアリーデイングの世界」。
今回は、日本人がNFLチアリーダーになるということ
について、私の経験をお話したいと思います。
夢だったNFLサンフランシスコ49ersに合格し、ほとんどの方は、夢がかなって、楽しいアメリカ生活を送っていたのではないか、と思ったのではないでしょうか。
夢は適いましたが、実は、この時は、私の人生で1、2を争う、どん底の時でした。。。
お気楽な私は
アメリカに行けばどうにかなる
と思っていましたが、実際は
どうにもなりませんでした。
まず、私はビザ取得の関係で練習が始まって3ヶ月後にやっと渡米。
恐らく、英語ができたとしても、チームに入りづらい状況だと思いますが、私はほぼ英語ができない状況・・・。なかなかチームメイトになじめませんでした。
ダンスのフォーメーション(体系)は私なしで進められていたので、一人フォーメーションから外れて練習。
ミーティングではさっぱり何を言っているか分からないし、かと言って話しかけてくれるチームメイトもいず、いつも一人でポツンとしていて、何のためにアメリカに来たのだろう、と練習が苦痛で苦痛で、たまりませんでした。
生活も大変でした。
アメリカでは車がないと生活ができないので、日本でペーパードライバーだったにも関わらず、いきなりフリーウェイを決死の運転をしたり、どこに行っても、何を言ってるか分からず、お店の人に馬鹿にされたような態度を取られて何度も心傷ついたりetc...
また、チームが面倒を見てくれるわけではないので、住む場所を自分で探さなければいけませんでした。
とはいえ、英語がほとんどできず、また49ersからはほとんどお金をもらっていない、ということを言うと、信用をしてもらえず(先方は家賃を払えないのでは、という心配があるんですね。実際には蓄えと親のサポートがあったので払えるのですが。)、なかなか住む場所を見つけられませんでした。
でも、その時、知り合いの知り合いで、今まで一度もお会いしたことのない日本の女性が、自分の部屋に私を置いて下さり、一時的に身を寄せる場所を提供してくれました。(彼女には今でも心から感謝しています・・・・!)
でも、彼女にずっとお世話になるわけにもいけないし、早く部屋を探さなければ、、、と気持ちが焦る。。でも行く所々で、部屋のレンタルを断られ、、の連続でした。
そして、限られたお金の中での生活。金銭的にも楽ではなく、そんなことも今まで経験したことがなかったので、惨めに感じてしまいました。
毎日が失敗、撃沈、そしてチームに馴染めない淋しさで、さすがの私も、気が滅入って、すっかり自信喪失してしまいました。
弱音を吐くと、心が折れてしまいそうで、弱音を吐くこともできず、そうすると、ネガティブな思いはさらに増大する一方。
なんで日本人なんかに生まれてきたんだろう。
アメリカで生まれてたら、こんな辛い思いしなくて済んだのに!
もともと、優越感や劣等感を感じるタイプではありませんが、そんな私が、劣等感でいっぱいになり、変えようのない自分の状況を恨みました。
そして迎えた49ersの開幕戦。そんなネガティブな気持ちを引きずりながら、スタジアムへ行きましたが・・・
49ersのホームスタジアムのフィールドに、実際に立ってみると、私が高校生のときに客席で見たときよりも、ずっと広かった。
見たこともない数の観客がスタジアムの3階まで埋め尽くし、その拍手と歓声に胸が震えました。
試合開始前の国歌斉唱終盤の大歓声と熱狂、そして爆音で戦闘機が頭上を通り過ぎたとき、突然、熱いものが込み上げて、涙が止まらなくなりました。
夢に見ていた場所に立てる喜びが、こんなにも強いものだったなんて!
この場所に立てるのならば、どんな苦労でも受け入れられる!!
この逆境を、絶対に乗り越えてみせる!!!
涙でつけまつ毛が取れそうになりながら笑、そう自分に誓いました。
その日を境に、ダメな自分を認めて受け入れながら、できることを一生懸命することにしました。
言葉ができないんだったら、言葉以外でチームメイトが大好きなんだ、ということを伝えればいいんだ!
そう思った私は、誰よりも早く練習に行きました。
お寿司が好き!と言っていた子に、作ったことのないかっぱ巻きやかんぴょう巻きを作って持って行きました。
チームの子に話したいことを、ノートに書いて、それを読みながら話しかけるようにしました。
新しい振り付けは、次回の練習までに完璧に仕上げてきました。
そんなことを1ヶ月も続けていると、徐々に私に興味を持ってくれる子も出てきて、チームの中でお友達もでき、自主練習を一緒にするほど仲良くなりました。
これは大分後から気付いたのですが、アメリカでは、何も言わない=何も感じていない、ということになるんです。寡黙が良い、という概念は、アメリカ人にはありません。
だから、そもそも、声をかけてもらう、なんて受身な姿勢でいたことがいけなかったんです。
間違った英語、変な英語でも、コミュニケーションを取りたい、という気持ちを見せなければいけなかったんですよね。
それと、チームメイトは全員アメリカ人。まったく英語のできない外国人に、どう接すればよいのか、分からなかったんだと思います。
これに気付くのに1ヶ月かかりました。早く気付けばよかった~。
前向きにがんばっていると、物事は自然と良い方向に向かうもので、その後、お部屋も見つかりましたし、オットともこの頃出会いました。
こうして、49ersチアリーダーとしての活動も楽しくなってきましたし、アメリカでの生活も安定してきました。
しかし、NFLチアリーダーにはなれましたが、NFLチアリーダーのイメージである”アメリカ女性のロールモデル(見本)”とまでは、残念ながらなれませんでした。
”アメリカ女性のロールモデル”とは、”精神的にも、経済的にも自立した女性”のことを指すので、収入のなかった私は(ビザの関係で49ers以外から収入を得ることはできませんでした)、アメリカで社会人として独り立ちすることはできませんでした。
49ers時代にできなかった、”アメリカで社会人として独り立ちする”。これは、アメリカにおいて、今の私の目標でもあります。
今年も、二人の日本人チアリーダーがNFLに誕生しました。
彼女たちは今、ビザ取得を目指し、がんばっていますが、きっとこれからアメリカに渡ったら、華やかには見えますが、辛いこともきっとたくさんあると思います。日本の皆さん、是非とも、アメリカでこれから活躍する大和撫子に、エールを送って下さい!!!