GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「我が人生に悔いなし」

2012年03月10日 | Weblog
東日本大震災から早1年
信じられない数の命が喪失した

あまりにも不条理な死
受け入れる側にも限界を感じる
人の死や幸せはあまりにも不公平だと今更ながら感じてしまう

                
親友の死期も近づいている
もはや医者も私もどうすることもできない
昨日最後のメールを送った
読んだかどうかの確認もできない
残される奥さんが不憫でならない
先月長崎に夫婦二組で旅行したばかりなのに…
この事実もまた受け入れるしかない
昨年7月末、余命3ヶ月と医者に宣告され、8ヶ月も生き抜いた
今はただ「我が人生に悔いなし」と彼に思って欲しいと願うだけだ

脳血栓で倒れた母は、一言もしゃべれないまま一カ月後亡くなった
こんな死も受け入れることはいまだに難しい
あまりにも突然だったからだ

人は様々な重荷を溜め込みながら生きていく
誰もが人に云えない石ころを幾つも心に残していくしかないようだ
これが生きていくということなのか

気持ちの切り替えがとても大切な気がする
ゴルフや映画や読書、音楽やスポーツ観戦やジム通いもその手段でしかない

忘れようとしても、忘れることなどできないことがあるのだ
何かの折りに思い出し立ち止まってしまうもの
しかし時の流れは留まることは決してない
そして自分だけ取り残されたような孤独感が溢れ出す
かといって後ろ向きには歩めない

死が間近になると食べられなくなるのは
「死に時」が来たからに他ならない
結局人は生きてきたように死ぬしかないのだ
無理にチューブで栄養を入れるような医療は間違っているのかもしれない
自然死こそ最上の死に方かもしれない

 

 

死について考えることは決してマイナスではないように思う
それは生きることを真摯に考えることと同意のような気がするからだ

大震災での死はどうのように考えても不条理な死だ
あまりにも受け入れ難い死だが、残された人は結局は受け入れざるをえない
ガンのような病での死はそう言った意味では幸せな死ではないだろうか
「わが人生に悔いなし」という心構えが出来る時間があるからだ

もしかしたら延命治療は穏やかな死(自然死)を邪魔しているのかもしれない
少しでも長く生きて欲しいというのは周囲の願望だけかもしれない
これが哀しくてならない

抗ガン剤治療を敢えて遠ざけた往年の名ゴルファーがいた
死ぬ間際までゴルフクラブを振りたかったそうだ
彼こそ「我が人生の悔いなし」と叫んでいたように感じてならない
そんな死に方をしたいと思うのは私だけだろうか

明日の14:46、黙祷を捧げながら改めて死について考えたいと思っている


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