コロナウイルスと休眠打破(その3)
武漢からの「コロナ船」襲来⁈
(画像は 満開のサクラ 3/31 )
桜の花は 日本各地で咲き出したが
散り始めの所、満開の地域、咲き始めの所などもあると思う
こちら南国九州(熊本)では ソメイヨシノは満開を迎え 天候は 菜種梅雨のように
雨のち曇り、晴れ‥と目まぐるしく変わる
だが 今日も朝から哀しみの雨が降る
新型コロナウイルスによる「死者」が
40,000人に迫ろうとしている(イタリア、スペイン、アメリカ‥その悲惨さは計り知れない)(日本でも 3/31 正午現在66人が死亡、感染者は 累計約2200人)
今年の春は 花を愛でる余裕はない
中国発の新型コロナウイルスが この日本でも 猛威を奮い そして 追い討ちをかけるように コントの王様・志村けんさんの訃報に接し 私たちは暗鬱で悲痛な気持ちに覆われている
自粛要請が長引き ストレス発散のやり場もなく 政府や自治体は いつまで待たせるのかとか 生活の不安や不満が かなりたまってきたが 最近の都市部での感染者急増で 私たちは幾分ひるみ身構え出した
その矢先 3/29 (日曜)の深夜
志村けんさんの訃報が速報で流れて
その後 志村さんの治療経過など いろんな報道(説明)がなされて 私たちの気持ちは これは大変だと 一気に引き締まった感じがする
やはり 今回のコロナウイルスはなめてはいけない!とんでもない暴れん坊だ!と
自分たちの勝手な行動が
家族や知り合いや大切な人を 苦しい目にあわせたり 挙句には 自分自身も罹患し
最悪 家族や自分の命さえ 奪われるかもしれないという底知れぬ恐ろしさを 感じ出したのではないだろうか?
我が事のように 正しく恐れよう!
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休眠打破(その3)
桜の花は 休眠打破を迎えた後に 開花を始めるそうだ
その際 冬季にある程度の寒さがないと
開花が遅れるということになる
いわば 桜をブルッと目覚めさせるということだと思う
生物学的に述べると
「桜の花芽は 前年の夏に形成され その後 休眠期間に入る
そして 桜の花芽が その休眠から目覚めるためには 冬の低温に一定期間晒される必要がある」ということになる
戦後の経済成長期の日本は 破竹の勢いで発展し成功もした
昨日より今日、今日より明日‥と 今は少々辛くても 明日のために辛抱して 毎日を額に汗して精一杯に 多くの人たちが働いた
私は 高卒後 日野市にある工場で働いた
月給は確か2、3万円位だったと思う
すぐ近くの寮の相部屋(二人)に住み
毎日の食費も計算して暮らした
多摩地方の冬は厳しく 屋上での洗濯物干しは
空っ風がピュー、ピュー!吹いて とても辛かったのを覚えている
敷地には雪も積もった(九州では 積雪は珍しい)
それでも 少ない給料ながら 浅川(多摩川)を散策して お昼にカレーや丼を食べたり
奥多摩まで一人で出かけたり 銀座や新宿などにも繰り出し 表参道やサンシャインビル、
歩行者天国、東京タワー、新宿御苑などを尋ねたりしたのも 今では懐かしい
その後 私は 一念発起して 受験浪人生活後
大学に進学し 結婚もした
当時は 1973 年と1979年頃に
オイルショックが中東から起こり
日本もパニック買いがおきたりした
がしかし 日本も世界も まだ底力と元気があって オイルの供給と受給関係が収まると
世界は再び成長期に入った
大卒後の就職も 私の頃から求人も増えた
しかし その後のリーマンショック(2008-)と阪神淡路大震災(1995年)、東日本大震災(2011年)が起こり
日本は それらの対応に追われる中で
技術革新と構造改革などで出遅れ
韓国や中国などの経済的な台頭も受けて
産業構造が大きく変わっていった
経済が成長し成熟してくると 社会が安定して
世の中も平穏になってくる
だが その反面 その安穏さに乗っかって
人々はハングリーさを失い 努力することを避けるようになる
その暢気な居眠り状態(休眠)を 打破してきたのが オイルショックやリーマンショックだったのかもしれないと私は考える
そして この10年余り
リーマンショック後の対応にもたつき
気がつけば 急速に変貌する他国よりも 制度改革や技術革新、構造改革、教育改革、IT 化に大きく出遅れて いわば休眠状態に陥っているのが 現在の日本ではなかろうか
今回は ここらでキーを置きます
休眠打破(その4)は 次回に
☆ 2020.4.1 エイプリルフールの日に記す