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10年日記と1年日記

2025年03月18日 12時00分00秒 | 日記と暮らしのこと

十年日記と一年日記



(   あるシティのヒヤシンス  3/14  )

今日の「ひるのいこい」で

ある投稿者が

「4冊目の十年日記に挑戦しよう」

と 決意された旨を書いておられた

私の父は 生前 毎日夜に

万年筆で日記を書いていた

私がまだ実家にいる頃からだから

50年間は続けていたのではないか

その頃は

毎日よくもそんなに書くことが

あるもんだと 

呆れかつ感嘆したものだ

自分にはとてもできないと

思っていたこの私が

定年後 自分も始めるとは😅

ただ 書く内容や書き方は

他の人とはずいぶん違うと思う

父が他界して残された

日記帳の山を前にして 弟が

この日記をどうしようか?

と 私に相談した

私は 返答に困ったが

本人に黙って読むのも気が引けるし

反面ちょっと読んでも見たいな

とも思うし‥

弟は 少し読んでみたらしいが

私は 手に取った日記を

サラッと二、三行見てやめた

私は なぜか

父と気持ちがすれ違いがちで

最後の臨終の時まで

よそよそしさが抜けなかった

父親本人は 

子どもたちを平等に扱い 

接して来たと考えていたと思うが

生活の節目節目で

兄や弟と 私との接し方に

微妙な差異を感じたことがある

(しかし よく考えれば 子どもはそれぞれに立場や個性、能力も違うので 親が「個に応じて」対応が違うのは当たり前なのかもしれないと 今になって合点するのだが‥) 

私らはみな何らかの形で

浪人したりしているので

大学等まで進学させて貰い

経済的に苦しい中を

結構平等に対処してくれたと思う

ただ 公平さからすると

兄や弟を可愛がっていたように思う

(もしかして 父親としては 無意識的に 対応が異なっていたかもしれないと思う だから 控え目で甘え下手で

何事にも慎重な私は 親からすると

やや可愛げのない子だったかも?

それで 父親の日記を読むのは

躊躇ってしまうのだと思う)

ps 2025.3.18 草稿

13回忌を過ぎた今 空き家の実家にある日記は その後どうなっているだろうか? 一年後さえよくわからない私は 毎年の日記で十分だと思う 

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