牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

きよしこの夜

2017-12-24 08:27:25 | Weblog
きよしこの夜 星は光り
救いの御子は 御母の胸に
眠りたもう  いと安く

今夜はクリスマスイブ。聖誕の夜です。
宿屋には彼らのいる場所がなかった。ルカの福音書2章8節。
イエス・キリストの誕生日なのに、メリークリスマス。ハッピークリスマスと楽しみながらの現代と酷似しています。
見よ。わたしはとの外に立って叩いている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。黙示録3:20
1957年11月24日の西之表キリスト教会の少人数の礼拝のとき、イエス・キリストが十字架に罪の身代わりに死に、墓に葬られたが、3日目の朝に復活した神の御子と聞きました。
アーメンと信じ、その日、教会前の種子島の海岸で、洗礼を受けて今年で60回目のクリスマスを迎えます。
今では、牧師として握手した人の幸を祈り、イエス・キリストを迎える祈りをしています。今日も新しい
出会いをも期待し、午前十時時クリスマス礼拝と祝い会です。
祝い会を退席し車で送ってもらい、大阪赤十字病院12階に入院の67歳男性を見舞い、そこからタクシーで午後のクリスマス礼拝と祝い会へ直行。
大阪エリムキリスト教会は、浪速区西恵美須町=通天閣の新世界西入口前で、2007年から、十年間立派な教会堂を無償提供での礼拝でした。
今日が最後の礼拝です。
JR天王寺駅北口から徒歩3分、秀光ビル4階に、立派な礼拝堂が完成し、新年1月7日午後2時より、新会堂で之礼拝です。14日(日)午後2時より献堂式礼拝です。ご参加を歓迎します。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

男性長寿日本一

2017-12-23 07:57:51 | Weblog
平均寿命日本一
2015年の都道府県別の平均寿命を、厚生同労相が12月13日発表。
5回連続男性首位だった長野県を抜いて、81.78歳の滋賀県が初の男性日本一になった。
滋賀県民政は、全体的にあんまりくよくよせず、活動的な人が多いからとのこと。
ちなみに女性は長野県87/67歳。滋賀県は4位で87/57歳。
奈良県男子は4位で81.36歳
滋賀県は食塩摂取料の低さ5位。」喫煙率の低さは全国1位。
琵琶湖のニゴロブナの鮒寿司、佃煮が有名なコアユ。近江米、魚、豆、野菜、発酵食。
そのほか、売り手、買い手、そして世間が満足できる「三方よし」の近江商人理念=ガツガツせず、おおらかにストレスなし。長い目で繁栄を築き上げる考え。
そうしたユッタリ気質も、長寿につながるのかも。
詩編92:13-16神に従う人はなつめやしのように茂り/レバノンの杉のようにそびえます。
主の家に植えられ/わたしたちの神の庭に茂ります。
白髪になってもなお実を結び/命に溢れ、いきいきとし述べ伝えるでしょう/わたしの岩と頼む主は正しい方/御もとには不正がない、と。

91:14-16 彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。
彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。
わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。

知恵と知識

2017-12-23 06:01:48 | Weblog
箴言
2:1-12
わが子よ。もしあなたが、私のことばを受け入れ、私の命令をあなたのうちにたくわえ、
あなたの耳を知恵に傾け、あなたの心を英知に向けるなら、
もしあなたが悟りを呼び求め、英知を求めて声をあげ、
銀のように、これを捜し、隠された宝のように、これを探り出すなら、
そのとき、あなたは、主を恐れることを悟り、神の知識を見いだそう。

主が知恵を与え、御口を通して知識と英知を与えられるからだ。
彼は正しい者のために、すぐれた知性をたくわえ、正しく歩む者の盾となり、
公義の小道を保ち、その聖徒たちの道を守る。

そのとき、あなたは正義と公義と公正と、すべての良い道筋を悟る。
知恵があなたの心にはいり、知識があなたのたましいを楽しませるからだ。
思慮があなたを守り、英知があなたを保って、
悪の道からあなたを救い出し、ねじれごとを言う者からあなたを救い出す。

知恵の声

2017-12-22 05:54:03 | Weblog
箴言
1:20-33
知恵は、ちまたで大声で叫び、広場でその声をあげ、
騒がしい町かどで叫び、町の門の入口で語りかけて言う。
「わきまえのない者たち。あなたがたは、いつまで、わきまえのないことを好むのか。あざける者は、いつまで、あざけりを楽しみ、愚かな者は、いつまで、知識を憎むのか。
わたしの叱責に心を留めるなら、今すぐ、あなたがたにわたしの霊を注ぎ、あなたがたにわたしのことばを知らせよう。
わたしが呼んだのに、あなたがたは拒んだ。わたしは手を伸べたが、顧みる者はない。
あなたがたはわたしのすべての忠告を無視し、わたしの叱責を受け入れなかった。
それで、わたしも、あなたがたが災難に会うときに笑い、あなたがたを恐怖が襲うとき、あざけろう。
恐怖があらしのようにあなたがたを襲うとき、災難がつむじ風のようにあなたがたを襲うとき、苦難と苦悩があなたがたの上に下るとき、
そのとき、彼らはわたしを呼ぶが、わたしは答えない。わたしを捜し求めるが、彼らはわたしを見つけることができない。
なぜなら、彼らは知識を憎み、主を恐れることを選ばず、
わたしの忠告を好まず、わたしの叱責を、ことごとく侮ったからである。
それで、彼らは自分の行ないの実を食らい、自分のたくらみに飽きるであろう。
わきまえのない者の背信は自分を殺し、愚かな者の安心は自分を滅ぼす。
しかし、わたしに聞き従う者は、安全に住まい、わざわいを恐れることもなく、安らかである。」

知恵と知識の初め

2017-12-21 04:53:43 | Weblog
箴言
1:1-19
イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの箴言。
これは、知恵と訓戒とを学び、悟りのことばを理解するためであり、
正義と公義と公正と、思慮ある訓戒を体得するためであり、
わきまえのない者に分別を与え、若い者に知識と思慮を得させるためである。
知恵のある者はこれを聞いて理解を深め、悟りのある者は指導を得る。
これは箴言と、比喩と、知恵のある者のことばと、そのなぞとを理解するためである。
主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。

わが子よ。あなたの父の訓戒に聞き従え。あなたの母の教えを捨ててはならない。
それらは、あなたの頭の麗しい花輪、あなたの首飾りである。
わが子よ。罪人たちがあなたを惑わしても、彼らに従ってはならない。

もしも、彼らがこう言っても。「いっしょに来い。われわれは人の血を流すために待ち伏せし、罪のない者を、理由もなく、こっそりねらい、
よみのように、彼らを生きたままで、のみこみ、墓に下る者のように、彼らをそのまま丸のみにしよう。
あらゆる宝物を見つけ出し、分捕り物で、われわれの家を満たそう。
おまえも、われわれの間でくじを引き、われわれみなで一つの財布を持とう。」
わが子よ。彼らといっしょに道を歩いてはならない。あなたの足を彼らの通り道に踏み入れてはならない。
彼らの足は悪に走り、血を流そうと急いでいるからだ。
鳥がみな見ているところで、網を張っても、むだなことだ。
彼らは待ち伏せして自分の血を流し、自分のいのちを、こっそり、ねらっているのにすぎない。
利得をむさぼる者の道はすべてこのようだ。こうして、持ち主のいのちを取り去ってしまう。

よろしく

2017-12-20 05:50:13 | Weblog
ローマ人への手紙
16章=よろしく
ケンクレヤにある教会の執事で、私たちの姉妹であるフィベを、あなたがたに推薦します。
どうぞ、聖徒にふさわしいしかたで、主にあってこの人を歓迎し、あなたがたの助けを必要とすることは、どんなことでも助けてあげてください。この人は、多くの人を助け、また私自身をも助けてくれた人です。

キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。
この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。
またその家の教会によろしく伝えてください。私の愛するエパネトによろしく。この人はアジヤでキリストを信じた最初の人です。
あなたがたのために非常に労苦したマリヤによろしく。
私の同国人で私といっしょに投獄されたことのある、アンドロニコとユニアスにもよろしく。この人々は使徒たちの間によく知られている人々で、また私より先にキリストにある者となったのです。
主にあって私の愛するアムプリアトによろしく。
キリストにあって私たちの同労者であるウルバノと、私の愛するスタキスとによろしく。
キリストにあって練達したアペレによろしく。アリストブロの家の人たちによろしく。
私の同国人ヘロデオンによろしく。ナルキソの家の主にある人たちによろしく。
主にあって労している、ツルパナとツルポサによろしく。主にあって非常に労苦した愛するペルシスによろしく。
主にあって選ばれた人ルポスによろしく。また彼と私との母によろしく。
アスンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマスおよびその人たちといっしょにいる兄弟たちによろしく。
フィロロゴとユリヤ、ネレオとその姉妹、オルンパおよびその人たちといっしょにいるすべての聖徒たちによろしく。

あなたがたは聖なる口づけをもって互いのあいさつをかわしなさい。キリストの教会はみな、あなたがたによろしくと言っています。
兄弟たち。私はあなたがたに願います。あなたがたの学んだ教えにそむいて、分裂とつまずきを引き起こす人たちを警戒してください。彼らから遠ざかりなさい。
そういう人たちは、私たちの主キリストに仕えないで、自分の欲に仕えているのです。彼らは、なめらかなことば、へつらいのことばをもって純朴な人たちの心をだましているのです。

あなたがたの従順はすべての人に知られているので、私はあなたがたのことを喜んでいます。しかし、私は、あなたがたが善にはさとく、悪にはうとくあってほしい、と望んでいます。
平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。

私の同労者テモテが、あなたがたによろしくと言っています。また私の同国人ルキオとヤソンとソシパテロがよろしくと言っています。
この手紙を筆記した私、テルテオも、主にあってあなたがたにごあいさつ申し上げます。
私と全教会との家主であるガイオも、あなたがたによろしくと言っています。市の収入役であるエラストと兄弟クワルトもよろしくと言っています。

私の福音とイエス・キリストの宣教によって、すなわち、世々にわたって長い間隠されていたが、今や現わされて、永遠の神の命令に従い、預言者たちの書によって、信仰の従順に導くためにあらゆる国の人々に知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを堅く立たせることができる方、
知恵に富む唯一の神に、イエス・キリストによって、御栄えがとこしえまでありますように。アーメン。

喜んでした

2017-12-19 05:53:13 | Weblog
ローマ人への手紙
15:13-33
どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。

私の兄弟たちよ。あなたがた自身が善意にあふれ、すべての知恵に満たされ、また互いに訓戒し合うことができることを、この私は確信しています。
ただ私が所々、かなり大胆に書いたのは、あなたがたにもう一度思い起こしてもらうためでした。
それも私が、異邦人のためにキリスト・イエスの仕え人となるために、神から恵みをいただいているからです。私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしています。それは異邦人を、聖霊によって聖なるものとされた、神に受け入れられる供え物とするためです。それで、神に仕えることに関して、私はキリスト・イエスにあって誇りを持っているのです。
私は、キリストが異邦人を従順にならせるため、この私を用いて成し遂げてくださったこと以外に、何かを話そうなどとはしません。キリストは、ことばと行ないにより、
また、しるしと不思議をなす力により、さらにまた、御霊の力によって、それを成し遂げてくださいました。その結果、私はエルサレムから始めて、ずっと回ってイルリコに至るまで、キリストの福音をくまなく伝えました。

このように、私は、他人の土台の上に建てないように、キリストの御名がまだ語られていない所に福音を宣べ伝えることを切に求めたのです。
それは、こう書いてあるとおりです。「彼のことを伝えられなかった人々が見るようになり、聞いたことのなかった人々が悟るようになる。」
そういうわけで、私は、あなたがたのところに行くのを幾度も妨げられましたが、
今は、もうこの地方には私の働くべき所がなくなりましたし、また、イスパニヤに行くばあいは、あなたがたのところに立ち寄ることを多年希望していましたので、
――というのは、途中あなたがたに会い、まず、しばらくの間あなたがたとともにいて心を満たされてから、あなたがたに送られ、そこへ行きたいと望んでいるからです。――

ですが、今は、聖徒たちに奉仕するためにエルサレムへ行こうとしています。
それは、マケドニヤとアカヤでは、喜んでエルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために醵金することにしたからです。
彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、同時にまた、その人々に対してはその義務があるのです。異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたのですから、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。
それで、私はこのことを済ませ、彼らにこの実を確かに渡してから、あなたがたのところを通ってイスパニヤに行くことにします。
あなたがたのところに行くときは、キリストの満ちあふれる祝福をもって行くことと信じています。

兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によって切にお願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。
私がユダヤにいる不信仰な人々から救い出され、またエルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるものとなりますように。
その結果として、神のみこころにより、喜びをもってあなたがたのところへ行き、あなたがたの中で、ともにいこいを得ることができますように。

どうか、平和の神が、あなたがたすべてとともにいてくださいますように。アーメン。

喜びと平和

2017-12-18 07:53:46 | Weblog
ローマ人への手紙

15:8-13私は言います。キリストは、神の真理を現わすために、割礼のある者のしもべとなられました。それは先祖たちに与えられた約束を保証するためであり、
また異邦人も、あわれみのゆえに、神をあがめるようになるためです。こう書かれているとおりです。「それゆえ、私は15:8-13異邦人の中で、あなたをほめたたえ、あなたの御名をほめ歌おう。」
また、こうも言われています。「異邦人よ。主の民とともに喜べ。」
さらにまた、「すべての異邦人よ。主をほめよ。もろもろの国民よ。主をたたえよ。」
さらにまた、イザヤがこう言っています。「エッサイの根が起こる。異邦人を治めるために立ち上がる方である。異邦人はこの方に望みをかける。」

どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。

むかし書かれた旧約聖書は今も

2017-12-17 07:04:29 | Weblog
ローマ人への手紙
15:1-7 私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。
私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。
キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです。むしろ、「あなたをそしる人々のそしりは、わたしの上にふりかかった。」と書いてあるとおりです。

昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。
どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。

15:6 それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。
こういうわけですから、キリストが神の栄光のために、私たちを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れなさい。

飲食でなく

2017-12-16 10:56:05 | Weblog
ローマ人への手紙
14:8-23
もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
キリストは、死んだ人にとっても、生きている人にとっても、その主となるために、死んで、また生きられたのです。
それなのに、なぜ、あなたは自分の兄弟をさばくのですか。また、自分の兄弟を侮るのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つようになるのです。
次のように書かれているからです。「主は言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしの前にひざまずき、すべての舌は、神をほめたたえる。」
こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。
ですから、私たちは、もはや互いにさばき合うことのないようにしましょう。いや、それ以上に、兄弟にとって妨げになるもの、つまずきになるものを置かないように決心しなさい。
主イエスにあって、私が知り、また確信していることは、それ自体で汚れているものは何一つないということです。ただ、これは汚れていると認める人にとっては、それは汚れたものなのです。

もし、食べ物のことで、あなたの兄弟が心を痛めているのなら、あなたはもはや愛によって行動しているのではありません。キリストが代わりに死んでくださったほどの人を、あなたの食べ物のことで、滅ぼさないでください。
ですから、あなたがたが良いとしている事がらによって、そしられないようにしなさい。
なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。

このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、また人々にも認められるのです。
そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。
食べ物のことで神のみわざを破壊してはいけません。すべての物はきよいのです。しかし、それを食べて人につまずきを与えるような人のばあいは、悪いのです。
肉を食べず、ぶどう酒を飲まず、そのほか兄弟のつまずきになることをしないのは良いことなのです。
あなたの持っている信仰は、神の御前でそれを自分の信仰として保ちなさい。自分が、良いと認めていることによって、さばかれない人は幸福です。
しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です。