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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

星月夜・大潮

2022年11月25日 | Weblog
 雨神の訪問後には寒くなるかな?が、昨日も今日になっても小春日和と続いて有難い。湯たんぽを未だ出さずで、軽装にて過ごせる。庭では枇杷葉の花芽が次々と開花して、蜜蜂の羽音賑やか。昨年は裏年、今年は生り年に感謝も一入なのですわ。巣箱を置きに来れば、上質な蜜が集まるのにと思うばかりなの。

 枇杷蜜は、高価で栄養も高いと云うが我が家を知らぬからね。知人の濱さん(注・鬼ヶ島)は飼っているそうだが、初心者で怪しい。業者の多くは春から秋と働かせ、この時期には巣箱と云う。霜月にもなり、温かさに気も緩む日々で蜜蜂の本能は正しい。本能寺の変に気づいてはくれまいか、キムタクさん。

 朔日を中心にして、1週間前後は夜半の宙が見渡せる。星月夜とも云い、月明かりがない分だけ北半球の観望堪能となる。火星の中接近もあり、偶然とも流れ星がの事態にも遭遇する。玄関を開ければ其処は宇宙へと繋がる環境で、通行中のライトは眩しいが堪能できる有難さ。皆さん、自宅で籠ってだろうな。

 今朝は、すばるのトイレを換えて洗い干す。トイレの砂は、流せるのがいいので保存分が切れそうなので買いに行く。途中、Aさん地に卵を取りに寄り帰宅する。洗濯物は前日のもあり賑やかな展開、布団も干していたがあやふやなのもと仕舞って出かけた。そういう日に限って、時雨が無いのだが濡れてもね。

 一日が素敵でなければ?幸せでなければ?と書かれているのに、何時も違和感を抱く。一日が過ぎれば佳なのを、殊更に文章にするのが不可解です。風神・雨神・雷神・水神が神社仏閣にある通り、その存在を感じず形だけを真似る。何故見えないの?ではなく、心で感応すれば視えるのにと不思議でならず。
コメント (2)
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