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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

傍に居ること・・・

2019年07月06日 | Weblog

 久々の勤務に疲れて帰宅する。職員にも依るが、其々に楽をして給料を貰う算段をする。何をするにも業務は山積みだし、丁寧にこなしていこうとすれば、必ず皺寄せが出るもので、割の合わない理不尽さに厭きれる。然し、これも仕事であれば、と我慢するが、体力にも限界が出て来るのよ。

 水分を摂ってもらうのも、奨め方にも依るし、その日の本人の気分も影響する。介護に完璧さはなく、誠実さや正直さも伴う。認知症状には、生活暦が不明であれば理解できないことも出て来る。古里は遠くにありて思うものであり、心の鬱屈は誰にも分からない。心理学が必要なことも多い。

 新暦で何もかも行っていて、季節感の乏しさにも由ることも少なくない。七夕からして、地方では8月7日を差すのを、1ヶ月早く済ませる。児童の参加があるためと、地域の交流が目的なこともある。どっちを取るんだ?と言うことになれば、皆で行う方を選択してしまう。誰を優先するのか。

 まあ、個人的には旧暦での七夕にしており、何も不満はない。宮沢賢治の銀河鉄道の夜が、くり拡がっていく様は美しい。七夕は秋であり、初秋の頃に行うのは、農事が絡んでいるからで、豊作を願い、田畑に水を潤して、枯れることの無いようにと祈った。日照り・干ばつでは死活問題となる。

 歴史は苦手で嫌いと言うが、そういった事実の上に、今日の日本は存在している。綺麗で美しい、絵に描いたような国は、何処に行っても見つからない。便利で快適な生活が、どれ程の犠牲を強いてきたことかを、じっくり考えてみたいもの。本気で取り組んで行かねば、この国も未来は危うい。

 帰宅して、白枇杷を枝に残していた三分の一を、やっと捥いだ。烏や野鳥が啄んでおり、袋も裂けているのがある。今年は、700近く掛けて周ったのだもの、熟れていく順番で採ったが、一人では無理なんですよ。売り物ではないから、押し付けてしまうのも気が引けるばかり。天候不順で遅れ。

 生り年と裏年が交互に来るので、来年は無理だろう。剪定もしていくので、今年の分を溜めておいてね。種も花芽も気候に左右される。人間の思うようにはならない。それでも、受け取ってくれ、歓んでくれるのは、とてもうれしいものだ。自分で育てていても自然からの恩恵を感謝する。祈りも。

 昨年の花芽の付き方は、過去最高の鈴生りだった。開けて今年、袋を700近く掛けてぐったり。

 

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