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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

降り止まぬ、上弦・小潮

2019年07月09日 | Weblog

 昨夜からのひそやかな雨に、耳だけが反応している。湿気が多くなると、耳の中が痒くなるのだ。小さな傷痕のかさぶたが、気になってしまう。爪で引掻くので、傷口はかさぶたが取れて、新しい傷になる。悪化の一途をとるので綿棒に変えた。傷口に枇杷葉エキスを塗る。然し、繰り返してしまう。

 左足の股間部分からつま先にかけ、痺れたようになっている。神経痛が酷くなってきている。最悪、歩行困難になることが思え、動かないことが動けなくなり、出不精が引篭もりになりそうである。人混みが苦手なので、以前からの生活状況で、更なる対人関係の、悪化に繋がっているのだ。極度に。

 思考回路も夥しい衰えがみえる。手早く出来ていたことが、時間が掛かるようになりつつあって、時計を見てびっくりする。光陰矢の如し、とはこれのことかと気落ちするばかり。人生の終章にきて、これでは何等意味がないとは思うが、身体の衰えと同時にくる。それも急激なことに慌ててしまう。

 老後の備蓄は無論のこと。毎日の繰り返しの中で、気づいて唖然とする。過ぎ去った時間は戻らないし、身体も若くはならない。ではどうすればいいのだろう?金もない暮らしの目処も立たない者は、生きていることすら適わない。日本の国も様変わりが激しく、今日と明日では雲泥の差が出て来る。

 平成も令和も、天皇陛下がお気の毒である。政務を司るのではないが、そこへの万感の想いは、それ以上のものがおありではないのか。戦争への加担も、憲法の9条を変えることに躍起になっている党首とは、格段の開きがある。言うは易く行いは難しで、選挙の公約にも上げないし国会での論争も。

 夕方のニュースに、捩花が映っていて、然も白い色があるのに驚いた。この時期、団地内に咲いているが、元は我が家から飛んで行った物である。根を掘って持ち帰るが、一向に付かないので、花が咲いたら取りに行く。食卓のテーブルに乗せている。明日は休みなので、空き地に行ってみようかな。

 沈む夕日。朝日よりも、夕陽の方がもの悲しく映って見える。心の歪みに差し込んでくる。

コメント
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