ステーブン・キングの代表作で、個人的には好きな作品。映画化されていたのを、ネットで観て、アメリカの高校生がなんとしても、出席して栄冠を勝ち得たい催し、プロム。そういうのを知らなかったら、この作品の凄惨さが理解できない。
で。この作品を観ながら、シンデレラの原作を思い出して、ちょっと身震いした。ペロー童話でも、グリム童話にも、シンデレラの持つ魔力が、王子と結婚する件で炸裂する。虐められて、じっと我慢していたのは、復讐できるからだったの。
それを、ディズニーは真っ向から書き換えた。幸せを掴むには、耐えること、働いて鍛えることで、苦難にも立ち向かえ、気転を利かせば、不可能はないということを、シンデレラにさせた。美人で、気が付き、家事万端は出来るとなれば・・・
魔力とは、魔法の力ではない。キャリーもシンデレラも、産まれて来る前からあった。つまりは遺伝的なもので、自由に生きていれば、使うこともなく済んでいた。それが、晴れ舞台で嘲笑されたことによって切れた。エネルギーの全開放出。
町が一つ消えた。キャリーの力は、その怒りの、或いは極度のストレスだけで、膨大なエネルギーを生んで、木っ端微塵にしたのだ。念動能力・テレキネティック。これは物語の世界だけかも知れず、そうでないかも知れない。超能力者だ。
動物の言葉が分ったり、人間の心が読めたりできるのも、超能力だろう。これらも、誰にでもできるという物ではない。眼の見えない人が、耳聡くなり、臭いや歩き方で誰かが分ったりする。風向きで天気も分ってくるもの。訓練?努力かな。
然し、現時点での出現は止めておこう。その力を正しいことに使えないからだ。悪い事と知っていながら、適地でのスパイは良くない。平和な世であれば、超能力は必要ないからだ。もし、そういった力を持っていたら、沖縄からの基地撤退。
毎年、4月頃には、小さい青い実が見えて来る。これがそのまま、熟れるとは限らない。袋かけの段階で、落下することも。