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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

敬老の日、上弦・小潮

2015年09月21日 | Weblog

 今夜は半月、上弦である。月はどの形も好ましいが、天帝の想い人、嫦娥姫の姿のよう。何処の国にも、昔話があるようだ。かぐや姫は、下界に何をしに来ていたのか?高齢になった夫婦の老後に活を入れ、姥捨て山には行かぬようにしたの?

 不老長寿の薬があるならだが、何百年も生きていくのは辛い。愛する人等は亡くなっていくのに、自分だけが取り残される。グリーン・マイルではないが、そういった力を秘めると、余計に哀しみが増える気がする。人生は、択べないところがいい。

 国民に、選べる権利があるのは、議員の選出だ。安保法案を撤回させねばならない。自民党のお粗末さは、比べるべくもないが、野党の不甲斐なさも変らない。どうでもいいような党出固まらず、人間としての気骨を見せてほしい。政権崩壊だよ。

 これまでにアメリカのしてきた、権力と武力での戦いで、一体何人の、罪のない人間が殺された?命令を下す立場の者はいいが、実行する者は、任務である以上やらねばならない。そんな不条理があるのか?人間同士を戦わせ、殺させないで。

 枇杷葉のパワーの凄さは、個人差もあり、効果の出方にも開きがある。漢方としての効能には、万能薬とあるが、使う者に依っては、奇跡が起きることも。何が、何処が違うのか?持って生まれた物には違いないが、自分を犠牲にしてもいい心。

 何にも換え難い想いを、献身的に注ぐこと。自分の命に代えても、援けたい心根だろう。アンデルセンの童話には、そういった物語が多い。七羽の白鳥では、后のかけた兄等への呪いを解くのに、イラクサで上着を編み続け、摑まって沫や火炙り。

 純粋に、一途に、愛するがゆえに。援けたいと想うのだ。枇杷葉には、それらの想いが通じる。生葉を採っていくのに、援けてちょうだいね、と心で念じる。我が家の枇杷葉でないと、通じないものがある。そのことにはきっと、とても深い想いが籠もる。

 さくら、桜、サクラ。満開の桜。孫の通う、小学校の河岸を埋める、櫻並木。勤務先への往復路。

 

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