春めいてきた。朝の光に目覚める。カーテンを開け、布団を干し、朝昼兼用の食事をする。その後は、お決まりの珈琲で、新聞をじっくりと読む。休日の特権だ。そこに近所の親子の会話が聴こえて仰天する。春みたいだ。と母親が話している。えっ?春ですよ。
日常的な会話に、口を差し挟む筋合いではないが、余りにも常識に欠けている。苦笑するしかなかった。手紙や葉書を、というか、文章を書かなくなったのも一因。だが、小学校も、中学校も義務教育で出ている。敢えていえば高等学校も出ているだろう。
高齢者と関わっていると、決まったパターンに出くわす。個々に持ち合わせた体内時計が、ある一定の時期や、何かでフラッシュバックすると、追い立てられる行動に出る。それが、体調や精神的な構造に多大な影響を与え、信じれらない事態になる。
図書館に出向く。予約をかけておいた、ああ無情が届いていた。新潮社の世界文學全集。とある。1972年5月5日発行。全三巻になっている。価格は340円。いやいや、探せばある物です。期間は2週間で、その間に読まなければならない。徹夜だ。
活字中毒とはいえ、試験の暗記も、特にしなければならないこともない。久々に掃除機も掛けたし、出歩くこともないのが幸い。これまでに読んできたのは、完訳ではなかった。こういったチャンスに、ちゃんと読んでおくのもいいかな。図書館にあったのも幸運。
暇ではないが、花芽を摘んだり、葉を切ったりし、庭に佇んで暫し花芽の芳香をかぐ。心が洗われるような、それでいて爽やかな心地になる。屋敷内の花芽を見て歩く。立春過ぎた苞は、今年は咲かないので摘む。サンタさんのは2枝、結実は3個あるかな。
白枇杷葉は、かなり咲いている。北側だが、あまり方角は関係ないらしい。中の方のも咲いている。東の川側のも、咲いているが結実がどうだろう。長崎茂木は、咲き切っている。これらは確実に結実する。剪定したのがよかったらしい。
長崎茂木とりささん枇杷葉。剪定する前の茂木。どの枝にも花芽がついていた。あちこちに活けて咲かせた。室内は暖かい。