以前、007の『ダイアモンドは永遠に』で、ラストシーンは、宇宙に輝く星を写していた。あれはベガだったのか、いやプレアデス星団であったのか・・・数多の星の輝きにも似て、ダイアモンドは光っていた。美しい物は禍を呼ぶ。人間だけの所有物ではない。
試験は終わったのに眠い。そろそろ、春眠暁を覚えず、であろうかとも思う。夜更かしも読書くらいで、ページ数を決めている。つい徹夜をしてしまい、朝が起きれらない。仕事のある日は、特に用心がいる。休みの日も無論だ。読み出すと止まらなくなる。
平岩弓枝の『西遊記』も、何度も読み返している。どんなに便利になっても、活字で読む醍醐味はたまらない。想像を膨らませ、その世界に往けるから。同時に、いつでも還って来られる。そのスリルは、感動以外の何物でもない。扉よ、いざ開かれん。
枇杷葉の花芽が、満開になっている。剪定したのは、お茶にしているが、お茶パックに詰めながら、その匂いが心地よい。枇杷葉茶を変えるのは、新月の時で、種と花芽とを入れて沸かす。煎じてしまったのは、自然に乾かせて、紙袋で保存しておく。
その後は、風呂に入れたり、排水口に吊るす。臭い消しになる。風呂に入れると、体臭が消えるのと、湯が傷まない。足し湯をして、1ヶ月間入る。カルキの臭いはしないし、肌に突き刺さる刺激がない。何よりも、冬独特の痒みが軽減される。塩で擦るのもいい。
還暦を越えると、病院などはどうでもいい。60年間生きてこられたのだ。体のあちこちが傷んでいない筈はなく、故障のないのが可笑しいだろう。どんな小さなことにも感謝し、生かされていることのありがたさを祈れていればいいのだ。これからこそ我が人生だ。
贅沢な物は手に入らなくても、旬の野菜が戴ければよく、素材の旨味を引き出せる料理こそ、本当の贅沢さであろう。それもたくさんではなく、独りで楽しめる程がよい。神さまの与えてくれた物には、それだけでも感謝がある。また、分けることを惜しんではならない。
朝の光を受けて、浮かび上がる花芽。透き通った花弁が、とても綺麗です。この命を戴いていることを感謝。