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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

旧暦・七草

2013年02月16日 | Weblog

 道端のはこべなが、15cm程になっていた。矢張り、この時期にならねば、七草は集まらぬ。太陽の光が零れたような、タンポポが咲いていた。自然に眼を向けると、春が小さな足音をさせて来ているのがわかる。梅の花もそろそろですね。

 二月は逃げるとも云うが、早後半である。あっという間に月日は過ぎる。帰宅しようとしたが、息子の家で、録画しているがんこちゃん・スペシャルを観に寄る。嫁が、孫の映っているというNHKの訪問スナップも観たが、学校名と写真が逆だった。

 間違いとわかるのは、人物を見知っている者であるが、受信料を取るくらいなら、お詫びでは許されない。まあ、何処の放送局も、何分いい加減ということがわかっただけ。NHKも例外ではない。自宅のテレビは観ないので売り払うか。

 以前は、新諸国物語や三国志も観ていた。それなりに面白かった。尤も、録画で観たりはしない。忘れていたら辻褄が合わない。活字なら自分の時間の工夫だけで済む。まあ、子育てをしていた時には、食べることが優先であったが。

 新八犬伝は、故坂本九さんの語りであった。辻村ジュサブロウさんの人形に、食い入るように観ていた。たかが人形とは思えない、其処には命を吹き込まれた者が、画面で演技をしていた。本を読んでいると、物語に囚われるのと似ている。

 ああ・無情には、これまで知らなかった文章がある。最初の場面からがそうで、神の御心のままに、自分のためでなく、他人の人のために、生きている司祭に、とても深く考えさせられた。神に仕える者は、何者をも怖れないことにも驚いた。

 何故そうなれるのか?自分の物には執着なく、他人のためなら、かかる火の粉も厭わず、其処に行けるのだろう。キリストも、お釈迦さまの所まで、経典を取りに天竺に向かった、玄奨三蔵師弟も、苦難をものともせず、旅が続けられたのか。

 俗界に於いては、修行が未だ足らず、まだまだ遠く遙けき路を、進んで行かなければならないらしい。努力の仕方も、働きも乏しい。不平不満ばかりが口を突いて出る。ジャン・バルジャンに、遙か及ばない。還暦とは、元に還るということ。

 長崎茂木。剪定する前の状態。どの枝にも花芽がある。昨年は寒冷紗を掛けたが、今年はしていない。雪が2度積もった。

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