進む路が二つ。一方はアスファルトの舗装道で、片一方は土ぼこりの道。前者には行けどもいけども道しかない。後者には鍬やスコップやらの道具がある。さあ、どちらを選ぶかな?若いときなら迷わないが、今は自分に都合よく考えてしまう。私はどちらへも行かない。そこに留まって、その道具で土を耕す。
そこに居て、そこを通る人たちに必要な物を分けよう。或いは、いらなくなった物をもらおう。人間の人生は、もともと退屈なものであるのかもしれない。何も考えず、何も思わず、唯独りであるのかもしれない。見えているのは幻かもしれない。架空の出来事かもしれない。単に疑うことをしないでいるだけかもしれない。
宮部みゆき氏の『模倣犯』上下をやっと読む。なんつうか空恐ろしい話だ。実際に、この事件は、とても多くのことを教えてくれた。加害者にも、被害者にも、何時如何なる場合にも、なれるんだ。これほどに酷いことはしていなくても、誰かしら何かをしていることも、私にも犯した罪があるだろう。今一瞬でも、そのための罰を受けている。
実際には、人を殺してはいないけれども。殺してやりたい。と、思ったことはある。言葉を口に出して言えれば、それに越したことはないが、誰かを殺せば罪に問われるのは当然のこと。加えてその罪は自分だけでは治まらない。だからこそ我慢もし、忍耐強く待っているのだ。神が下してくれるであろうことを。
午前中、枇杷の実の袋かけをする。先日、残っていた袋かけなので、10ばかりで済む。一面のオレンジ色に、ちょっと驚く。民家の庭に、枇杷の木があって、然も袋までかかってあるとすれば、近所周りの噂の種。年寄り連中が賑やかに通る。うふふ・・・たくさん生ってくれた。とてもうれしい。
我が家の春の庭です。狭い庭に、枇杷苗が所狭しとあり、鉢と地植とで、20本ばかしあります。実が生るのは、その内の1本だけ。今年は白枇杷にも実が。東側のは寒さで花芽が落下した。