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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

汗ばむ季節に・・・

2011年05月24日 | Weblog

 先日、確認していたAさんちの、枇杷の実の袋かけに行く。夕方での確認だったので、見当ではあったが、100枚入りを2つ買っていてよかった。残りが10枚程度になった。Aさんちの枇杷葉は、日当たりもよく、それに況して、土壌がいいのか大人の親指大のが、枝のあちこちに見えている。脚立に上がって、更にびっくりした。

 葉に遮られて見えなかったが、鈴生りである。その枝に袋を被せ、不安定な脚立から落ちないように括っていく。花芽が枯れているのを指先で落とし、実を傷つけないようにする。おおよそ2時間近くでかけ終わる。明日には消毒に来る。ということに、ほっと胸を撫で下ろす。よかった。これで1ヶ月後には、甘くて瑞々しい枇杷の実が食べられます。

 学童に孫を迎えに行き、お八つを食べさせ、宿題を済ませて、息子の家まで送って行く。明日も迎えなので、着替えを受け取り、今後の予定など話して帰宅する。駐車場に車を停めようと、ふと見ると、薔薇がうな垂れている。近所のクソガキだ。親の躾がなっとらん!勝手に花を千切るな。マナーも常識も教えない親の、何と多いことか。

 他人が丹精込めて作った花を、きれいだからと手折る気持ちがわからない。ほしければお金を出して買えばいい。自分の物でもない、人様の物を、子どもだからというだけの理由で、勝手にはできないんだよ。花にも命が宿っています。そこに咲いているから、きれいなのである。作った人や、花の心がわかるようなら手折らないか。

 駐車場は駆け抜ける。車に傷がついたら弁償するのか?花がやっと蕾をつけ、明日には咲くか。と心待ちにしているのを、勝手に手折る。お八つで食べた包み紙を、ポイ捨てにする。ゴミは持ち帰るのよ。注意を促せば、子どもすることです。中にはうちの子はしていません。もう絶句である。親自身の躾ができていないのだ。無駄である。

 先ずは、ごめんなさい。と謝る。或いは、二度と同じ事をしない。その基本的な躾が、今の親にはできていない。かと思えば、謝ればいいように思い、心は置いて、口先でだけ言うばかりする。これにも閉口する。隣近所とは口を利くのも大儀である。家の中だけ、掃除をかける。家の外や周りの草さえ抜かない。

 そのくせ、虫を見ると目の敵にする。田舎は不潔で不便だと宣。愚の骨頂。こういう手合いは何を言っても、馬耳東風。最近は、自分の務めとして、掃除をするのだ。家の周りは勿論、地球のために、せっせと体を動かせている。腹の立つのも、五分五分である。自然の恩恵を、受けられるなら戴く。それ以上に欲張らない想いを強くしている。

 茂木枇杷は、10年目の木です。田中は、淡路の種を植えて5年目です(右奥)。ちょっと日陰になったので、発育が遅いです。左のは、茂木枇杷の種からを植えた苗。一番手前は、品種不明、3年目です。

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