8月30日 (木)
平成17年1月1日より 972日目
歩いた歩数 その距離
本日 14,044歩 9,831m
総計 13,591,893 歩 9,514,325 m
北京より保定・石家荘・刑台・邯鄲を経て洛陽に向かう。後 234,825m
1990年9月11日 晴れ 気温24℃~27℃
今日は邯鄲最後の日。午前中は外貿局農産品公司、午後は邯鄲農業試験場とのこと。公司に向かう途中、市長選で当選した小山現市長に祝電を打ちたいと話すと、科学技術委員会の面々も「私たちの気持ちも同じ。みんなの名前を入れて下さい」と乗ってくる。電報を出すに1時間あまりも掛かって公司着は10時を回ってしまった。
ずるそうな眼つきの張総経理の説明を聞き、桐材の売り込みを依頼される。現在の取引先を問うと、兼松江商というので、そこは日本一流の商社、我々の出る幕ではないと突っぱねる。マシュルームの件は平茸で、作業場内は泥まみれ、白衣も白帽もない女たちがぺチャクチャ,がやがや。笠の無い足ばかりのキノコを瓶詰めしている。これじゃ落第、と引き揚げる。
昼食後、冀南賓館で3時まで昼寝。3時20分邯鄲農業試験場へ。綿・大豆・もろこしの話をゆっくり聞き、エジブト綿と中国綿の比較・枝豆に向く大豆の品種改良・生食用のもろこしなどの対応についての質問をする。試験場からの要望は、可能なもの意外はハッキリと断る。これは却って良い印象を与えたようだ。昨夜の聯誼会の話が出たので、日本名には「日中友好実務者交流協会」とすることを対案としてだし、承認してもらう。記念写真を撮り6時辞去する。
夕食には張主任も参加した。食べ物の話に花が咲き、日本じゃ餃子を食べる時は餃子だけ、余計なものは出ない。中国じゃ、いろんなものが出て、折角本命が出た時には腹いっぱいで余ってしまう。もったいない。食べ物を残すなんて悪習だ。有り余って捨てるほど有るならいいが、食べ物がなくてひもじい思いをしている者も居る。俺たち、子供の頃は便所に落ちた一粒の飯粒も粗末にするな!と躾けられたものだ。食べきれないほど出すなんて悪習の最たるもんだ、とやったから、皆、「トイ・トイ・トイ」と言ったが折角のお別れパーティもシュンとなってお開き。一言も二言も多すぎた。
部屋に戻ると、主任と科長が来て、「明日はいよいよお別れ!何かとご指導頂いて感銘しています。これは記念の印です。末永く」と一対の亀をもって来る。毒舌の後だけに恐縮する。