8月24日 (金) ①
平成17年1月1日より 966日目
歩いた歩数 その距離
本日 12,909歩 9,036m
総計 13,505,709歩 9,453,996 m
北京より保定・石家荘・刑台・邯鄲を経て洛陽に向かう。後 295,154m
1990年9月5日朝、館陶の皆さんに見送られて、次なる訪問地「曲周県に向かった。ふと気づくと、車内に館陶で付ききりで世話をしてくれた女性(どこか兵馬俑の兵士に似た顔立ちの女の子)が乗ってるではないか。梁君曰く。「彼女は貴方の世話をするためにワザワザ館陶まで付いてきた者です。ソーヨ!」と言う。そんな気遣いまでしてくれて居たなんて・・・。感謝!
曲周は畑に井戸を掘って汲み上げた水をモロコシの殻を炊いて塩を作って、それを売って生きてきたという極端なアルカリ土壌の地で、世界銀行の融資を受けて土地改良に取り組んで来た県である。今は、早く土地改良に成功したは3階建てのタイル張りのビルを持つまでになっていた。
曲周の町並みを通過して、車は西呈孟村に着く。の入り口から100m程が例によって泥濘となっていて、トラクターが突っ込んで立ち往生していた。の農民は何の反応も示さず、物憂げに傍観しているのみ。私たちは近くからシャベルを借り、トラクターを押して通したが、今度は我々一行の車がスリップして、押す羽目になる。の中は更に道が悪。く、とうとう立ち往生。万策尽きて徒歩でりんご園に向かう。
遥か彼方に、我々を迎える一団が見える。私はドロンコ道を先頭に立って進んだ。近づいて「ニイメンハオ」と手を高く挙げると、一斉に拍手が返ってきた。心の昂ぶりで「独裁者」になったような感じだった。馬賊の頭目のような責任者を紹介されて握手。
りんおご園・梨園の視察が終わるや、「先生、ご感想を」と。主幹をナイフで幾箇所も傷つけたり、捻枝もしているが、昌黎の技術指導は特に受けていないと言うので、かなり大胆に所見を述べ、、日本流を望むなら手をかしても良いと発言したところ、大歓声があがる。小生も興奮して、馬賊の頭目と堅い握手を交わす。
「先生、もう一つ、待ってるりんご園があります。」に促されて、次なる地、前里街へ。ここは300ムー(約20Ha)4m*5mの定植ながら、木は放任状態で、無理してないのでホっとする。これなら思う存分やれる・・・と自信が湧いてきた。林業局の胡さんからも懇願され、指導を約束する。
曲周は人口32万、県民挙げて先生のご来訪を心から歓迎致します。是非りんごのご指導を・・・」で昼食が始まって、乾杯乾杯。4時半邯鄲へ戻る。