百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

終戦日前後事情

2007-08-15 19:05:33 | Weblog

  8月15日  (水)  ②
                          平成17年1月1日より 957日目
                                       歩いた歩数      その距離
                          本日      17,826歩    12,428m           
                          総計   13,380,622歩  9,366,435 m
   北京より保定・石家荘刑台・を経て洛陽に向かう。邯鄲まで後 715m

             

            中越沖地震で頭の落ちたままの城山登口の常夜灯

              
         連日36度を越す猛暑にダウンした我が家のチビとダイちゃん

  62年前の今日、私は松本の東部150部隊通信中隊に所属する陸軍衛生一等兵として、連隊内に居た。部隊の本隊は、広島に投下された特殊爆弾の破壊力を知らされて、「これより部隊は展開をする」との部隊長命令で、僅かの留守要員を残して周囲の山間地の学校などに移動していた。私はたまたま医務室の管理の留守要員として残留していたのだ。

 夜間、兵舎を出て星を眺めながら夕涼みをしていた。すると親しくなった隊員(無線兵)から「衛生兵殿、戦争は終わります。負けました」と囁かれた。彼は通信中隊の留守要員として勤務の傍ら、米軍の日本語放送を傍受していたのだ。

 8月15日、全隊員営庭に整列、玉音放送に耳を傾けた。兵は「一億玉砕」を覚悟で最後まで戦うものとの前提で、陛下の勅語を聞いているのだから、雑音もさることながら、趣旨が理解できないまま兵舎の戻ってきた。色々な意見が出たが、的確な解釈でないことだけは判った。

 「衛生兵殿はどう思われますか?」と私に番が回ってきた。私は事前に情報を受けていたので、「万世の為に太平を開かんと欲す」と言われたことは「戦争はしない。止めた。」とおっしゃたんだと言った。さあ大変なことになった。薄々はそのようにもとれるが、まさか天皇陛下が「戦争を止める」なんて言う筈がない。と心の中に思い切っているのだから、カンタンに割り切れるもんじゃない。

 しかし、段々冷静になって考えてみると、四囲の情勢からそれしかとる道のないことが判ってきた。「戦争は終わったんだ。負けたんだ。命だけは助かったんだ。天皇陛下はそれを国民に知らせて呉れたんだ」。と。

  突然、誰かが、「衛生殿は何処の大学を出らたのでありますか?」と尋ねてきた。みんなが私の方に目を向けた。「高等小学校を出たんだ」「じゃぁ、何故先生を」と聞き返して来た。星二つしかない兵隊の言葉に耳を傾けて呉れる様になった。夜、「戦争は終わった。もう暗幕は要らない」と言ったが、その晩は警戒警報のままだった。

《野暮用が出来たのでブログはここで中断するが、近頃物忘れが激しくなってきているので、終戦時の部隊の様相は今の裡に記録して置きたいと考えているので、いずれまた・・・》