百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

邯鄲地区の思い出(館陶県)

2007-08-23 19:07:43 | Weblog

  8月23日  (木)  ①
                          平成17年1月1日より 965日目
                                    歩いた歩数       その距離
                          本日        18,294歩        12,806m
                          総計  13,492,800歩  9,444,960 m
        北京より保定・石家荘・刑台・邯鄲を経て洛陽に向かう。後 304,190m

  昨夜の雨で、続いていた流石の猛暑も納まって今朝は長袖を着るまでになった。気がつくと、「歩いて世界一周」も河北省の省境を越えて河南省に踏み入れていた。そこで、厚遇して頂いた河北省をもう一度振り返って見たいと思う。

               
                                             館陶県の家畜市場 

  1990年9月3日、私は邯鄲市の冀南賓館を発って、南方75kmの館陶県に向かった。世界七不思議にも出たが、もろこしや粟の茎を道路に出して、車に踏ませている光景に出会った。誰もが平然とやっている。交通妨害じゃないか、何のためにやっているのかと運転手に聞くと、「車にふませると、早く肥料になるからだ」と答え容認しているようだ。

  何時も何処のも同じだが、内の道路がドロンコ道になっている。民家の流しの水が道に流しているからだ。そこを車が通るからドロンコ道になる。判りきった話だが、内のメーンストリートをドロンコ道にしておく手は無いだろう。車がぬかり込んでも、見ているだけで手を貸そうともしない。通訳の梁君曰く。「あの人たちは農民ヨ!」と。差別されている側と差別している側の反発か?

 内にやたらと深い穴がある。回り道をしなければ前へ進めない。レンガ工場に土を売ってしまったのだ。の中は犬も豚も放し飼い。犬の咆えた声は聞いた事が無いし、豚は車が来ればチャンとよける。子供が私を見てドンドン集まってくる。日曜日でもないのに・・・。学校には行ってないようだ。

 館陶のりんご園では強いショックを受けた。定植して未だ3年というのに、主幹を地上30cm程の所を完全に環状剥皮して、泥を巻いてヤット生かしている。勿論枯れた木もある。何のために・・・?こうすれば木が弱ってりんごが早くなるから・・・と。泥がいつまで皮の役割を果たしてくれるやら。

 定植直後から始められたと思う捻枝は、徒長枝から主枝までもやっているし、主枝は地上20~30cmですべてが紐で下垂意されていて、木は片輪になっている。まぁ成木になったら、お化けのようなりんご園になるのではないか。先日秦皇島から同乗してきた昌黎果樹研究所の技術員の指導だ。彼らと対決してやるべきか、日中友好のボランティアであることを忘れてはなるまい。

  「館陶県は人口25万の貧しい県です。あなたは日本人として初めて当県へ来ました。歓迎します。」と県長の挨拶。「わが県は、他に特産物とて無いので、すべてをりんごに賭けている。よろしくごしどうを!」と。終日りんご園を視察して、何が何でも早期収穫をというやり方には意欲を失ってしまった。

              

                              
                                         初めて館陶県を訪れた私

  夕食後、梁君と散歩に出たが、広い道路は街灯も無く真っ暗で、所々にローソクをつけた屋台がタバコを売っている有様、歩道を占拠して西瓜を売っている山に躓いたり、明りを求めて彷徨っている内、迷子になってしまい、梁君が招待所を聞きに回ったが、言葉が通じないとこぼす有様。9時、ヤット戻る。「館陶は貧乏な県です」と言った意味が理解できた。

 部屋に戻ると、所長が「先生、お風呂は何時に?」と言うので、「何時でもイイヨ」「何時でもといわれても・・・」「じゃ、今!」それから10分程経ったので、蛇口を捻ったが水ばかり、その内、お湯に代わるだろうと思いきや、いつになってもみずのまま、こりゃどうしたもんかと思案していると、大きなバケツを前後に、天秤棒で担いで来るではないか。バスルームへ江戸の旅籠の下男がやってきた格好。「謝謝」と手を突っ込んだら熱いこと蛇口は水をうめるためのもと、やっと判る。

 梁君曰く 、「この館陶と天津は川でつながっているヨ」「何を馬鹿な」と思った。天津ー北京ー石家荘ー邯鄲そして75kmもやってきた館陶と繋がっている筈が無いと思ったが、念のため地図を開いて驚いた。ナント、ホントに続いてる。オドロイタ!日本とは物語のスケールが違うわい!

 翌日は、房賽鎮の冷蔵庫見学。りんごとにんにくの芽。ビニールの袋に入れられ、棚に整然と並べられていた。満庫状態だが、保存状態も良く、「これは儲かりますネ」というと、ニッコリ。ただし政府の仕事。共産党の親分もニッコリ握手してくれた。

 日程が早く終わったので自由市場の見学。私を見つけた群衆が私を目掛けてさっとうして、山羊のせりは中止になってしまう有様。カメラを向けると、科長が「館陶の政府は喜びません」というので、梁君に素直にカメラを渡す。ここは未開放区だ。

 午後は昼寝の後、4時から座談会、集まった者50名を超す盛会に気を良くして喋り捲る。県長さん、あなたの提案を生かして良いりんごを作りたい、と。この後、お別れパーティとなる。