北の旅人

旅行や、ちょっといい話などを。そして、時には言いたいことを、ひとこと。

アメリカ大陸横断「青春日記」-1972・35日間・5000km<23>

2008-03-09 08:11:27 | Weblog

1972・9・9(土) 曇りのち晴れ オマハ
(ネブラスカ州)

午前7:30 get up。雨。8:00過ぎ朝食。9:30まで新聞を見たり(・・・)、家の周りを散歩する。気づいたことはゴミがたくさん出ていること。日本の何倍もの多さだ。使い捨て文化が顕著に表れている。

ご主人は月に1~2回、芝生を刈る。そして、毎週、2時間ほどかけて買い物に出かける。「シアーズ」や「ペニーズ」といった、デパートやスーパーへ行く。私もお供する。昼前に帰宅。絵葉書などを買ってもらう。

すぐに、リンカーン市に向う。ネブラスカ州の首都。車で40分ほどかかる。途中、オマハ市内にあるニクソンの選挙事務所に立ち寄る。秘書からバッチ、ステッカー、ニクソンのキャンペーンに関する本をもらう。お返しに、北海道の形をしたバッチ(摩周湖)をあげ、写真を撮る。ニクソンのシンボルである象のバッチを買う。大変参考になるPRツールを手に入れた。

この後、軽食をとり、リンカーン市に。庁舎はすごく立派な建物だ。約120mの高さだ。その芸術的な雰囲気は抜群だ。ここでは、ネブラスカ州の歴史がそのまま感じられる。勇敢な軍人、この地のパイオニア、詩人などの像が建っている。庁舎の入り口には、リンカーンの言葉も彫られていた。州の鳥=ひばり、 花=アキノキリンソウ、 木=エルム、 モットー=「法の下では平等」、ニックネーム=トウモロコシの皮をむく人。ミズリー河があり、平原も丘も広がっていて素晴らしい景観だ。

次の目的地は、ネブラスカ大学だ。2,300人の学生がいて、寄宿舎なども大変立派なもの。日本の一流マンション並みだ。ロビーでは、女子学生と男子学生が戯れている。台湾の学生に出会う。この大学もリラックスムード。ネブラスカ大学の博物館へ。

ここがまた凄い!ネブラスカに棲んでいたという巨大サイなどは、高さ18フィート、長さ30フィート、まさにお化けそのもの。アジアには1,800万年前に、ネブラスカには3,500万年前に棲息していた。そのほか、バッファローなど初めて見る動物や化石が沢山あり、見に来た価値が大いにあった。

2日間一人で苦労しながら英語を話していたので疲れた。自分で言いたいことは何とか伝えられるが、相手の言っていることを理解しようと全神経を集中しているので非常に疲れるわけだ。帰りは車の中で少し昼寝をしてしまった。

ディナーをご馳走になる。チキン、サラダ、アップルパイ、牛乳など。家に帰ってきたら、息子さんが遊びに来ていた。JCのメンバーでもあり話が弾む。この辺りのリーダー的存在らしい。大統領選挙ではニクソン支持だ。しかも、ケネディのファンだという。こちらも、知る限りのケネディの話をしたら彼も感激して、彼が持っていたケネディの本を6冊もくれた。まさにビッグプレゼント!! 

私は日本のJCのバッチと北海道の形をしたバッチ、それに日本の硬貨(5・10・50円)をあげた。大変安いものだが。明日は彼が迎えにくるということなので一緒に出かけることになった。思わぬスケジュールが飛び込んだが、何でもやってみよう。散髪に行く。9:45ベッドルームへ。充実感抜群!

    ☆         ☆

   ニクソンとケネディの選挙戦

ニクソンといえば、やはり思い起こすのは1972年2月の電撃的な中国訪問だ。1949年に成立した共産政府を、アメリカの大統領が初めて訪れたのだから世界中が驚いたのも無理はない。この時、水面下で交渉に当たっていたのがキッシンジャー補佐官であった。日本にとっては、いわゆる頭越し外交であった。

そういうこともあって、訪中を発表してから3か月後の1971年10月、大統領特使としてリーガン氏(後のレーガン大統領)が来日、訪中は世界の緊張緩和のためであり、従来の同盟関係を変更するものではないなどと説明した。この時、リーガン氏は、日本のほか、台湾、タイ、ベトナム、韓国なども訪れた。

そして、正式に国交が樹立されたのは1979年1月、ジミー・カーター大統領の時だった。われわれは、その年の8~9月にアメリカを訪れたので、あちこちで、「中国人ですか?」と聞かれたものだ。

ニクソンに関して、もう一つ興味があったのは、ケネディと戦った選挙キャンペーンについてだ。よく言われることだが、現職副大統領として知名度が高かったニクソンだが、上院議員だったケネディとのテレビによるディベートに負けたというものだ。

ニクソンは顔色が良くなく、側近がメーキャップを勧めたが断って臨んだ。しかも、足を痛めていたという。立ったままの状態で行うので、姿勢も悪く不健康に映った。一方、ケネディは、スポーツで日焼けしていて健康的に見えた。洋服もテレビ映りの良いものを選ぶなど、完全なイメージ選挙を展開した。

こうした作戦が功を奏して、このディベートを境に、世論調査では、ケネディが逆転し、結局、最後は僅かの差でケネディが勝利した。このようなイメージ選挙は、その後、日本でも行われるようになった。

私も多くの選挙キャンペーンに関わってきたが、政治家がテレビに登場している際、一番興味を持って観ているのは、もちろん政策だが、その話し方と言葉にも注目している。限られた時間で、いかに分かりやすく説明するか、いかに観ている人たちの共感を得るか。その能力を身につけることは、現代のようにマスメディアが発達した中では、政治家にとって必須科目だ。今、アメリカ大統領選挙でオバマ候補が注目を集めているが、その演説の上手さが大きな魅力の一つだと言われている。

アメリカでは上院議員などの秘書の中に「スピーチライター」がいると聞く。大統領の演説などでも、「スピーチライター」を起用しているそうだ。クリントン政権時代には、専門のライターがジョークまで用意していたという話もある。そういう意味では、小泉純一郎前総理は、情報化社会という空気を読める最も現代的な政治家の一人だと言えるかもしれない。

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1972・9・10(日) 雨のち晴れ オマハ
(ネブラスカ州)

午前9:00起床。小雨。軽い食事の後、教会へ。1時間ほど賛美歌を歌う。アメリカで教会へ行くのは2回目だが、この雰囲気というのは落ち着くし、実に素晴らしい。教会の建物自体も美しい。お昼は、近くのかなり高級のレストランで食事。昼間からビールを飲めと勧められ、ご機嫌だ。とても、ザックバランな夫婦だ。

食事の後、街をドライブ。午後1:30に、近くの空手道場で息子さんと待ち合わせ。ガールフレンドも一緒に来ていた。空手の試験とかで、近くの州から50人ほどが集まっていた。この道場では柔道も教えていて、息子さんは青帯でO先生に習っていて、練習はリンカーン市でやっている。女性も何人かいたし、黒帯も5人ぐらいいた。見学者も50人ぐらい来ていた。空手も柔道もかなりの人気だ。そういえば、デモインにも空手の道場があった。4:00まで、見学。

彼のガールフレンドも一緒に帰宅。7:00まで、のんびり過ごす。アンケートの記入をお願いする。わざわざ、洗濯をしてくれる。7:00からテレビでオリンピックを観戦。9:30まで。シャワーを浴びてからベッドルームへ。ここでも大変お世話になり、楽しくて充実した3日間だった。体調も万全だ。
       
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       頼むぞ柔道ニッポン!

柔道や空手を通して、日本の伝統や文化を世界に伝えている人たちの役割は大きい。柔道と言えば、昨年の全日本選抜体重別選手権の女子48㌔級で、谷亮子選手(31)
が敗れたのに、世界選手権の代表に選ばれたことは納得できないことだった。以前、書いたことがあるので詳しくは書かないが、決勝で勝ったのは福見友子選手(31)だった。

いくら金メダル獲得が絶対条件だと言っても、努力したものが報われないのでは、あまりにも気の毒だ。伸びていく若手の成長を阻害してしまうことになる。もちろん、谷選手の今までの素晴らしい実績を認めた上での話だ。柔道連盟も発想を新たにして、選考に際しても「あわせ技」などではなく、「技あり一本!」という、すっきりした形で決めてほしい。

国際的にも、「有効」だの「効果」だのというルールを見直そうという動きが出てきているというから、本来の柔道の魅力が戻ってきそうだ。柔道ニッポンの復活を期待したい。

(参考資料は最後に一括して掲載させていただきます)
 



 


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