北の旅人

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「1956」-14歳の心象風景⑰

2009-07-25 12:45:06 | Weblog

<作文>

          テレビ
              
(T・M) 

1月12日、札幌の丸井デパートでテレビの陳列を見た。テレビを陳列している8階にいくと、すごく混雑していた。テレビの特長など会社の宣伝の紙5枚ぐらい集めると、なんだか自分が恥ずかしいような気がした。それでも今まで集めたのをポケットにつっこんで置いた。

きょ年、完成したという高さ147mのテレビ塔は、200mもあるように思われた。ここへ帰ってくる途中、富良野の親戚の家によるため富良野におりた。腹が減ったので食堂へ行った。ぐうぜん、ここにはテレビがあった。

1月10日なので、今日から大相撲初場所の始まる日だった。3時から大相撲が映りだした。残念にも4横綱の土俵入りを見て、もうすこしで、まく内の相撲が始まると云う時、父が「さぁ、もういくぞ」といったので、しかたなく僕はその食堂を出た。

道路を歩きながら土俵入りのすばらしいさが目に浮かんだ。そして吉葉山の土俵入りがいかったとか、栃錦のが悪いなどと自分の頭の中で考えた。しんせきの家はテレビがありません。

よくじつの昼ごろ帯広についた。汽車から家の混んでいるところを見るとチラホラ、テレビのアンテナが立っている。地図によると、ここは帯広より少し遠いので帯広より立っていない。釧路に来るとぜんぜん立っていない。

家へ帰ってきて10日ぐらいたつと札幌の兄さんの家ではテレビを買ったらしい。札幌の郊外なので、室内アンテナでもはっきり映る。あと10年ぐらいたつと、このM町でもはっきり映るようになると僕は信じているのである。それから小型のけいたい用のテレビも出来るようになると思います。

        ☆        ☆

まぁ、驚いた。50年以上前に「小型の携帯用テレビ」の開発を予言していたとは。子どもの発想力、頭の柔軟性というのは凄いものだと思う。まさに今、手の平の上でテレビを見る時代になっている。

テレビ放送が始まったのが昭和28年、この年の11月に30万世帯が、テレビを持っていたという。「もはや戦後ではない」「神武景気」という言葉が聞かれたのも、この頃だ。

街頭テレビでは、プロレスと共に相撲のテレビ中継も人気が高かった。当時の横綱は、栃錦、吉葉山、千代の山、鏡里。プロレスでは、何といっても、ヒーローは力道山。外国人を空手チョップでバッタバッタと倒す姿に熱狂したものだ。外人では、シャープ兄弟、ル・テーズなどが記憶に残っている。なんとも、懐かしい時代だ。



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