北の旅人

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「1956」-14歳の心象風景⑮

2009-07-20 09:25:00 | Weblog

<作文>

         古いスキー
                 (K・M)

僕のスキーは23になる兄さんのおさがりで、もう大分古く、後ろの方が、かけて丸くなってしまっている。こんな古いスキーでも、友達のスキーをはくとやっぱりはきずらくて、自分の持っている物が一番いいのだな…と思った。

このスキーをはいて、三十りんぱん(場所の名)へすべりに一人で行った。なんだかさみしいような感じがした。それでも5、6人の人がすべっていた。みんなのスキーとくらべて見ると、どうも僕のスキーの方が一番古いようだ。

そして皆んなに、君のスキー、ずいぶん古いなあーなんて言われた。すると仲間の一人が「古くたってすべれればスキーの値うちがあるんだ」と云った。僕はその日はその人を同情したくなった。もちろんあたりまえである。

いろいろなスキーの話をしながらみんなとすべった。3、4人が同じ所をすべって、ジャンプを飛んだので、僕もおそるおそる飛んだ。のぼって行こうとすると、あとからすべって来た人が「こんな所にスキーの折れたのがある」と云って、君のスキーのだ、と大きな声を出した。

僕はドキッとした。 近所ですべっていた仲間達が、あつまって来て「やっぱり古いスキーだけあるね」とゲラゲラ笑っていた。僕はどんなにざんねんだったか皆にはちょっとわからないだろう。

折れた所を見ながら、帰ったら、しかられるかな、すべれるかなと心配しながらのぼっていった。            

        ☆        ☆

仲間というのはいいものだ。ありがたいものだ。そう思ったことが何回かある。

その一つ。昭和50年代初めの頃、誘われて30代前半で転職しようと決意したことがある。それまでとは全く畑違いの職種だったが、150人ほどの会社で、当時としては月給も高く、役員という条件だった。子どもが5歳位でお金がかかる時期になってきていたので、悩んだ末に転職した。

ところが、初出勤して皆に挨拶し、名刺も貰って新しいサラリーマン生活が始まるはずだった。しかし、一日で「この会社で勤めていくのは、無理だな」という、自分でも的確に表現できないのだが、何とも言いようのない不安が頭をよぎり、2日目から欠勤した。

1週間後に社長の自宅を訪ね、お詫びして退職を願い出た。社長は「疲れているんだよ。しばらく休んで、疲れが癒えたら来いよ」と言ってくれたが、気持ちは変わらなかった。

転職に当たって、中に入ってくれた知人・友人たちからは総スカンを食った。当たり前だ。いい大人が、自分で決断して決めたことなのだから。

そんな折、大学時代の友人が、親の後を継いで会社を経営しており、「お前がどうしても嫌だというなら仕方ないだろう。いよいよになったら、俺の会社に机と電話を置いてやるから、お前なら食べるくらい何とか出来るだろう」と言ってくれたのだ。ほんとうに、涙が出るほど有難い一言だった。

しかし、同時に、そう簡単に世話になるわけにはいかないという思いも強くした。結局、3か月ほど失業保険で食いつなぎ、運よく自分でも好きな仕事ができる会社から誘われ入社した。設立間もない会社で、月給が一度に出ないような状況だったが、背水の陣で一生懸命頑張った。

3~4年経ったころ、私が「一日重役」で辞めた会社の社長が亡くなり、その後、合併、吸収の果てに倒産してしまったのだ。皮肉なものだ。そういうこともあり、疎遠になっていた人たちにも理解してもらえるようになった。

窮地に陥っていた私を、精神的に支えてくれた彼とは、もちろん親友として今に至っている。



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