恥ずかしい歴史教科書を作らせない会

改憲で「戦争する国」、教基法改定で「戦争する人」づくりが進められる今の政治が
将来「恥ずかしい歴史」にならぬように…

中川昭一政調会長への手紙

2006年10月16日 | 国会・政党・選挙
自民党政務調査会長 中川昭一様

 謹啓 初めてご挨拶申し上げます。goo-needsと申します。
 さて早速ですが、10月15日のテレビ番組で、中川会長は「核保有議論は必要」「憲法でも核保有は禁止されていない」「やればやり返すという論理はあり得る」などと述べられました。
 しかし私は、中川会長のご発言と、これまでのご発言とでは、大きな矛盾があるように思えてならないのです。
 中川会長は2003年7月24日、衆議院憲法調査会において北朝鮮の核開発についてこう述べておられます。

 「問題は、核兵器をつくって、小型のミサイル搭載型の核兵器にして、そしてそれを装備したときにはまさに意思と能力がある、これがまさに侵略戦争のまず第一義的な定義だ」

 中川会長は、核兵器をミサイル搭載型にして装備するということが「侵略戦争の第一義的な定義」としておられますが、「やればやり返す」とおっしゃる以上、いつでも発射できるよう、核兵器をミサイル搭載型にして装備する必要があるのではないでしょうか。
 それこそ「侵略戦争の第一義的な定義」と自ら定義づけたことであり、憲法とは全く相容れないのではないでしょうか。

 もちろん中川会長は、そのことをよくご存知のことと思います。
 また、2005年4月22日の衆議院経済産業委員会で次のように答弁されました。
 
 「日本は世界の平和を希求するという憲法あるいは国民の総意がある」
 「とりわけ核の脅威というもの、核拡散、あるいはまた使用といったことについては先頭に立って反対をしていかなければならないことは、実績としても、また今後もそういう方針は国民の総意として変わらない」

 おっしゃる通りだと思います。ぜひ「先頭に立って反対をしていかなければならない」というご自身のご発言を忘れてしまわないようお願い致します。
  
 同じく2005年の5月12日、参議院経済産業委員会でも、こう語っておられます。

 「もとより、日本は世界で唯一の被爆国であり、また第五福竜丸、水爆実験の被害でもありということで、国民の間に忘れてはならない核兵器に対する、つまり核兵器に対する絶対に二度と繰り返してはならないという決意がある」

 16日、「私はもとより核武装反対論者だ」と釈明されたと報じられています。
 私はその言葉を信じることに致しますが、誤解を招くご発言は厳に謹んで頂きたいと思います。
 中川会長が発言して来られた通り、「反核」「平和」への総意と決意が国民の間にあり、今後も変わらないということを決して忘れずに、真摯に政務に取り組んで下さいますよう、国民の一人として強くお願い申し上げます。

敬白


goo-needsより