恥ずかしい歴史教科書を作らせない会

改憲で「戦争する国」、教基法改定で「戦争する人」づくりが進められる今の政治が
将来「恥ずかしい歴史」にならぬように…

安倍首相の「改憲志向」に対する危機感

2006年10月03日 | 憲法
■ 「改憲志向」を打ち出してきた安倍首相

 9月、「戦後レジームからの新たな船出を」「5年後を目途に新憲法の制定を」と唱えて自民党総裁となり、首相となった安倍晋三氏。
 この強烈な戦前回帰の匂いを漂わせる安倍首相の「改憲志向」には、周囲に静かながら強い危機感を感じます。

■ 公明党の「主張」

 連立を組む公明党は、党大会での運動方針で連立重視の立場から、先の通常国会までに提案された諸法案に肯定的な立場を強調しています。
 しかし、99年の連立政権参加以来、周辺事態法、国旗国歌法、盗聴法、憲法調査会設置に始まり、テロ特措法に基づくアフガン攻撃の後方支援、有事関連10法、自衛隊イラク派遣と多国籍軍参加、在日米軍再編による日本の前線基地化・日米軍事一体化という、これまでの流れに強い抵抗があります。
 その抵抗の表れが、太田新体制の「平和の党」の強調です。
 今回、自民・公明両党が署名した政権合意では、安倍首相がこだわる「新憲法制定」を一切、消し去りました。
 公明党の赤羽氏・高木らは7月中旬に「安倍政権」を見越して、当時の安倍官房長官に「公明党からも補佐官の起用を」と直談判を行いましたが、安倍首相は5名もの補佐官を登用しながら、公明党からの起用はありませんでした。これは、「官邸主導」強化を打ち出す安倍首相の「公明党を利用はするが、実際の政権運営は我々のグループだけで行う。」という意思表示です。それほどまでに身勝手な安倍首相に何の義理立てがいるでしょうか。
 かつて、公明党が連立に加わるとき「改革にアクセル、右傾化にブレーキ」と言ってきました。公明党が「平和の党」と自認するのであれば、「右」に著しく傾く安倍政権に対し、無理に合わせるのではなく、主張すべきことは堂々と主張する姿勢こそが求められるのではないでしょうか。

■ 改憲に反対する自民党員

 さて、安倍首相の改憲志向への危機感は、実は自民党内にも根強いものがあります。
 総裁選では、当初8割前後とも言われていた安倍氏支持票が6割台にとどまったのも、その一つかもしれません。
 しかし、それ以上に興味深いのは、総裁選が始まった直後に自民党の党員・党友に対して、共同通信社が行った調査結果でした。その調査は5項目の設問があり、その4番目に「憲法を改正すべきだと思いますか、そうは思いませんか」という質問がありました。
 半世紀以上にもわたって「自主憲法制定」という看板を掲げ、昨年11月には「新憲法草案」まで発表して改憲への気運をあおる自民党の党員に尋ねる以上、「改正すべき」という意見が圧倒的多数を占めるのが当然です。
 ところが、「改正すべき」は52.4%と、辛うじて過半数を維持するにとどまり、逆に「改正すべきではない」という意見は27.4%にも達したました。自民党の党員・党友が4人いれば、少なくとも1人は「憲法は変えるな」という意見なのです。
 安倍首相の「改憲志向」を危惧する「足元」からの声は、安倍首相の「改憲志向」がいかに「上滑り」的なものかを物語っています。

■ リーダーシップ

 安倍首相は、総裁選中に「新憲法制定」について「リーダーシップを発揮する」と訴えました。
 しかし、自民党総裁という立場だけならまだしも、首相あるいは国会議員という立場にある以上、現行憲法第99条が定める「憲法を尊重し、擁護する義務」を負わねばなりません。これまでのように現行憲法を否定する発言は、憲法違反の指摘を免れません。
 さらに言えば、「憲法改正」について第96条は、国会に「発議」、国民に「承認」の権利を定めていますが、内閣には何一つ権限を与えていないのです。
 安倍氏も首相になった以上、その程度は理解すべきでしょう。
 首相が、憲法に関して「リーダーシップ」を言うならば、憲法の尊重や擁護に対して、それを発揮するべきなのです。
 
■ 主権者である国民として

 「憲法は権力への規制」だといいます。
 暴走しがちな権力というものに対して、主権者である国民による「規制」です。
 国民から搾り取ろうとする権力、国民の自由や権利を抑えて服従させようとする権力、そして国民を戦争に駆り出そうとする権力。そうした権力の横暴を規制してきたのが憲法です。
 私たちは、いま彼が、私たち国民から何を奪おうとしているのか、何を押し付けようとしているのかを冷静に見極めねばなりません。

 憲法第97条はこう定めています。
 「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」
 いま私たちが、先人たちの「自由獲得の努力の成果」に背を向け、再び国家主義の罠に陥れば、「現在」だけでなく「将来の国民」すなわち、まだ生まれぬ子どもたちにまで禍根を残すことを忘れてはなりません。
 権力に憲法を守らせることこそ、権力の横暴から自分たちを守る手段なのですから。