まぬ家ごめ助

姓はまぬけ、名はごめすけ、合わせて、「まぬ家ごめ助」と申します。どうぞお見知りおきを。

ダメ爺が嫌いだ!

2023-12-07 19:25:01 | 日記
先日の出来事です。
父親が、悪さを続ける(公共の物に執着した)息子たちを、怒りました。
そうして、(加減の差はあったにせよ)平等に、お尻ペンペンしました。

するってぇと、その場に居合わせた、年増夫婦?の女性に、叱られました。
体罰はよくない、目にした我々も不愉快だった、と。
父親は、素直に、非を詫びていました。謝っていました。

当然、公共の場で不愉快にさせてしまったわけですから、その点については、謝罪しなくてはならないでしょう。
けれども、体罰に関してはどうでしょう。その因果関係が、僕にはよくわかりません。
例えば、「僕も、父(や母)に、体罰を受けたことがあります。それは、自分が悪かったからでもあるし、父の教育方針だったのかもしれません。ともあれ、僕はそんな父に感謝しているし、だからこそ、今の自分があるのだと信じています。今、私は、間違っていました。しかし、父を行為を汚すつもりもないことは、ご理解下さい。そうして、僕には僕なりの教育方針がありますので、今後も、体罰を加えることだって、あるかもしれません」。

僕らも問われています。
例えば、婆は、「よくぞ言ってくれた」と思ったのか。
それとも、「余計なお世話だ」って、思ったのか。
おそらくは、その両方の感情を抱いていたと、推測しますけれども。

爺は、逆に、問いたかったですね。
「失礼ですが、あなたは、子育てをされたことがありますか」と。
「あります」「そうですか、よほど大人しく賢いお子さまたちだったのでしょうね」
「ありません」「そうですか、そうであれば、キレイごとを言うのは簡単でしょうね」
つまり、嫌味ですな(笑)

もし、母親がその場所に居合わせたならば、怒ったのかなぁ。
わかんないなぁ・・・。


「ダメ男数え唄」石川さゆり
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この曲のベースを聴け!

2023-12-07 17:52:21 | 日記
レコード・コレクターズという雑誌の、この曲のベースを聴け!という特集が気になって、立ち読みしていました。
で、我々(僕とあっくん)がこよなく愛する、Facesの「Three Button Hand Me Down」が、何位だったか忘れましたが、取り上げられていました。
そのスポットライトは、喜ばしいことではあるものの、事実誤認も甚だしかったので、指摘しておきます。騙されないでね、って。

この曲でベースを奏でているのは、クレジットが正しいならば、ロン・ウッドです。ロニー・レーンではありません。
ですから、「いかにもロニーらしい」みたいな記述があって、恥を知れ、ってな感じでした。
繰り返しますが、取り上げて下さって、有り難いですよ、有り難くはありますけれども。
ちなみに、彼らの代表作と言われている「Stay With Me」のスタジオ盤のベースも、ロン・ウッドが演奏しています。

僕に言わせて頂けるならば、この曲におけるベースこそが、ロニー・プロンク・レーンの真骨頂!

「Wide Eyed Girl on the Wall」Small Faces
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追悼 山田太一(生きるかなしみ)

2023-12-07 00:28:50 | 日記
この何日間か、僕が本当に伝えたかったのは、山田太一さんのこと、というか、この機会に、あらためてその魅力を紹介して、感謝を述べたかった、ということ。
しかし、想いが募れば募るほどに、緊張感というか、義務感みたいな感情が生じて、遠のいてしまう、そんなことって、あるよね。ありますよね。

山田さんは、人間を、その社会を、後方からしっかり観察しながら、その一歩先の未来を描くというような、先見の明を感じさせてくれたような、そんな作家だったように思います。
そうして、その集大成が「空也上人がいた」でした。

寺山修司と親友だった、という事実は、とっても象徴的なことだったのではないでしょうか。
ふたりはまだ学生で、利害関係がなく、お互いにまだ何者でもなかったけれども、惹かれ合ったわけですから。

「生きるかなしみ」編者=山田太一。
冒頭の「断念するということ」という随想も素敵なのですが、その編集(選択)の中に、山田さん本来の資質が隠されているようでもあり、ある種、ご本人の著作よりも雄弁に、山田さんの感性の鋭さを垣間見せている、とも言えなくはないような。

「親ができるのはほんの少しばかりのこと」
僕はハウツー本の類は苦手、だからこその、「まぬけ」・・・。とにかく、PHP系だとか、ほぼ興味なし、ですが、この本はおそらく、普通の子育て論や教育論とは違い、達観や諦念や悔恨から生まれた本なのだろうなと思って、買ったんだと思う。この当時、カオの成長に戸惑っていた、ということもありましたし。

賢者はたくさんいます。存在しています。しかし、優しく厳しい賢者という存在は、そもそも地味ということもあって、あまり表には出てきません。だから貴重だったということも、あったのでしょうか。テレビ(や新聞)の時代が終わり、YouTubeの盛況が今では安定に推移し、ともあれ、派手で目立つことがもてはやされる傾向は同じであるからこそ、時には山田作品を振り返り、偲びたかった。
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