ご承知の通り、僕は雑食性なので、いろんな分野に関心があります。
ミーハーで、つまり、節操がないってこと。
僕がレイドバックで真っ先に思い浮かぶのはボブ・ディラン。
彼は1966年、結婚を契機に(おそらく、オートバイ事故とは関係なく)隠遁(家庭)生活に入りましたでしょ。
同時に、ミュージシャンとしても、大きく変化しました。
ロイヤル・アルバート・ホール(イギリス公演)の演奏(録音)が、1966年5月17日。
オートバイの事故(ニューヨーク州のウッドストック)が1966年7月29日。
つまり、この約2ヶ月間における変化のことです。
ヨーロッパツアーの時、ザ・バンド(当時はホークス)は、ディランのバック・ミュージシャンに過ぎませんでした。
そして当初、ロビー以外のザ・バンドの連中は、ディランのことを、軟弱なフォークシンガーだと、馬鹿にさえしてさえいました。
けれども、ブーイングの嵐の中で演奏を続け(故にリヴォンは離脱した)、戦友として交友を重ねた後に、米国に戻ってからの彼らは、リヴォンを復帰させて、ディランを巻き込み(感化させつつ)、それまでとは異なる、穏やかな音楽集団になったわけです。
イギリス公演の頃の彼らは、パンクのように先鋭に尖がっていましたでしょ。
それなのに、米国に戻ってから、トラディショナルなカントリー・ブルーズ(的な音楽を)を奏でるようになってしまった。
そうして、この変化を目の当たりにして、驚愕したふたりこそが、僕らが大好きなジョージ・ハリスンと、エリック・クラプトンだった、と、僕は解釈しています。
だからこそ、「ラスト・ワルツ」にリンゴ・スターとロン・ウッドが出演していたという事実とその意図が、凄く象徴的な出来事だと思うんだ!
「 Like A Rolling Stone (1966)」Bob Dylan
ミーハーで、つまり、節操がないってこと。
僕がレイドバックで真っ先に思い浮かぶのはボブ・ディラン。
彼は1966年、結婚を契機に(おそらく、オートバイ事故とは関係なく)隠遁(家庭)生活に入りましたでしょ。
同時に、ミュージシャンとしても、大きく変化しました。
ロイヤル・アルバート・ホール(イギリス公演)の演奏(録音)が、1966年5月17日。
オートバイの事故(ニューヨーク州のウッドストック)が1966年7月29日。
つまり、この約2ヶ月間における変化のことです。
ヨーロッパツアーの時、ザ・バンド(当時はホークス)は、ディランのバック・ミュージシャンに過ぎませんでした。
そして当初、ロビー以外のザ・バンドの連中は、ディランのことを、軟弱なフォークシンガーだと、馬鹿にさえしてさえいました。
けれども、ブーイングの嵐の中で演奏を続け(故にリヴォンは離脱した)、戦友として交友を重ねた後に、米国に戻ってからの彼らは、リヴォンを復帰させて、ディランを巻き込み(感化させつつ)、それまでとは異なる、穏やかな音楽集団になったわけです。
イギリス公演の頃の彼らは、パンクのように先鋭に尖がっていましたでしょ。
それなのに、米国に戻ってから、トラディショナルなカントリー・ブルーズ(的な音楽を)を奏でるようになってしまった。
そうして、この変化を目の当たりにして、驚愕したふたりこそが、僕らが大好きなジョージ・ハリスンと、エリック・クラプトンだった、と、僕は解釈しています。
だからこそ、「ラスト・ワルツ」にリンゴ・スターとロン・ウッドが出演していたという事実とその意図が、凄く象徴的な出来事だと思うんだ!
「 Like A Rolling Stone (1966)」Bob Dylan