まぬ家ごめ助

姓はまぬけ、名はごめすけ、合わせて、「まぬ家ごめ助」と申します。どうぞお見知りおきを。

追悼 山田太一(生きるかなしみ)

2023-12-07 00:28:50 | 日記
この何日間か、僕が本当に伝えたかったのは、山田太一さんのこと、というか、この機会に、あらためてその魅力を紹介して、感謝を述べたかった、ということ。
しかし、想いが募れば募るほどに、緊張感というか、義務感みたいな感情が生じて、遠のいてしまう、そんなことって、あるよね。ありますよね。

山田さんは、人間を、その社会を、後方からしっかり観察しながら、その一歩先の未来を描くというような、先見の明を感じさせてくれたような、そんな作家だったように思います。
そうして、その集大成が「空也上人がいた」でした。

寺山修司と親友だった、という事実は、とっても象徴的なことだったのではないでしょうか。
ふたりはまだ学生で、利害関係がなく、お互いにまだ何者でもなかったけれども、惹かれ合ったわけですから。

「生きるかなしみ」編者=山田太一。
冒頭の「断念するということ」という随想も素敵なのですが、その編集(選択)の中に、山田さん本来の資質が隠されているようでもあり、ある種、ご本人の著作よりも雄弁に、山田さんの感性の鋭さを垣間見せている、とも言えなくはないような。

「親ができるのはほんの少しばかりのこと」
僕はハウツー本の類は苦手、だからこその、「まぬけ」・・・。とにかく、PHP系だとか、ほぼ興味なし、ですが、この本はおそらく、普通の子育て論や教育論とは違い、達観や諦念や悔恨から生まれた本なのだろうなと思って、買ったんだと思う。この当時、カオの成長に戸惑っていた、ということもありましたし。

賢者はたくさんいます。存在しています。しかし、優しく厳しい賢者という存在は、そもそも地味ということもあって、あまり表には出てきません。だから貴重だったということも、あったのでしょうか。テレビ(や新聞)の時代が終わり、YouTubeの盛況が今では安定に推移し、ともあれ、派手で目立つことがもてはやされる傾向は同じであるからこそ、時には山田作品を振り返り、偲びたかった。
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