まぬ家ごめ助

姓はまぬけ、名はごめすけ、合わせて、「まぬ家ごめ助」と申します。どうぞお見知りおきを。

プロパガンダ

2014-07-16 21:19:01 | 日記
施設に何の許可もなく、勝手にこの映画のチラシを休憩室に貼ってしまいました。

ひとりでも、たったひとりでも、興味を示して下さる方がいたらと嬉しいな、と。

愛しのSさんがイギリスに旅立ったその理由がわかるのではないか、なんて。

繰り返し言っておかなければなりません。

認知症に特別なケアは必要ありません(投薬等の問題は別です)。

ごく普通に、先祖代々そうしてきたように、普通に優しく(これがとても、いちばん難しい)接すれば良いのです。


「毎日がアルツハイマー2」予告編

1000円均一だよ!
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夏なんだな

2014-07-16 20:55:21 | 日記
8月のシフトが出ました。

やった!

連休があるぞ(笑)


先ずは、ムネゾーに連絡。

「納涼名選会 鈴本演芸場夏まつり 吉例夏夜噺 さん喬・権太楼 特選集」

夏の定番。

運よく、本当に運よく、17日(日)のチケットをゲットすることができました。

左龍、アサダ二世、圓太郎、扇遊、三三、小猫、喬太郎、新治、ホームラン 、権太楼(「お化け長屋」)、正楽、さん喬(「唐茄子屋政談」)。

これが寄席なのだ、ムネゾー。


次に、イデチューに連絡。

7月2日、池袋演芸場。

あくまで予定ですが、昼の部はこんな感じ。こみち、ロケット団、木久蔵、〆治、小円歌、藤兵衛、正蔵、猫八、さん喬、一琴、圓丈、正楽、小三治。

初落語を堪能してくれ給え、イデチュー。


さらに、シミからの連絡。

なんとまぁ、奴も連休なんだって、オレと同じ日に。

そんなわけで、彼と一緒に妙高に行く予定。

彼の親父さん、偶然にも妙高のご出身とのことで、馴染みがあるのだそうです。

信濃町のとうもろこし。

これもまた、夏の定番ですな。


「夏なんだな」THE HIGH-LOWS
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SAYAMAより

2014-07-16 00:37:54 | 日記
小学校の時にいちばんお世話になった先生は沖縄出身でした。だから、フォークギターを鳴らした彼女は、ラブ&ピースの人でした。だから、という書き方は間違っていないはず。年代的にもそうでした。例えば「はだしのゲン」を読んだのは間違いなく彼女の影響です。そうして、たぶん、狭山事件のことも彼女から教わったんだと思う。

そう、狭山に住んでいて、狭山事件のことを知らずに暮らしている人は多い。むしろ大多数。きっと、若い世代では特にそうなのではないか。忌々しい過去だからなのだろうか。イメージが下がることを懸念しているからなのだろうか。否、これは時代の流れなのだ。つまり、狭山には良くも悪くも継承すべき歴史と文化がないのだ。

私はたまたま、佐木隆三さんの本を読んでいます。そして、今でもそのあとがきを忘れてはいません。読んで欲しい。観て欲しい。知って欲しい。私に出来ることは何だろう。どうしたら伝えられるのだろう。

あれは青春40の旅のひとつでした。島根県の隠岐諸島。海士町。そこで出会った、かなり親しくさせて頂いた彼、大好きだった彼は、大阪出身だったので、同和問題に詳しかった、というより、まさに今なお、その偏見に満ちた地域の中で生活をしている(はず)。彼の狭山事件の石川さんに対する発言には我慢ならなかった。でも、昔も今も私には「言葉」がない。あるのは「諦め」だけ。そうして思います。オレだって、差別をする、区別をする、軽蔑をする、皆、程度の違いこそあれ、同じ穴のムジナなのだと思います。石川さんは無実。これが事実。そしてこれは、同和問題である以前に、冤罪問題なのです。そうして、その本質は、真犯人が自分の罪に耐えたという事実、その弱さなのだとも思います。

この映画は夫婦の愛の物語です。だから素晴らしい。そういう意味で、石川さんのお兄さんとそのお嫁さんの存在が凄く大きい。だから、「SAYAMA みえない手錠をはずすまで」というタイトルよりも、「きょうも、夫婦。」というコピーの方が断然この映画の本質をついています。

昨日、上演後の座談会に出席して下さったのは松元ヒロさんでした。とても素敵な方でした。植木等のお父さん(植木徹誠)の話を教えてくれました。浄土真宗大谷派の住職さん。戦地に赴く兵隊さんに向かって「殺すな。生きて帰れ。」無茶なことを言ってたんだって。そんなこんなで投獄されてしまったと。なんとも素敵なお坊さんですな。さすが親鸞者です。植木徹誠は、<「差別はしない」と言うこと、そのものが「差別をしている」のだ>と、説いていたのだそうです。確かにね。高みだけを見つめて生きるだけの勁さ(「強さ」ではない)を持った人は少ない。だからこそ、できるだけ、低きに流れてはいけない。

最後に、ありがとう、中上健次。熊野への旅を通じて、その遺言?伝言を受け取ったような気がしています。だってそれは、あまりにも偶然だったから。あまりにも必然だったから。
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