小学校の時にいちばんお世話になった先生は沖縄出身でした。だから、フォークギターを鳴らした彼女は、ラブ&ピースの人でした。だから、という書き方は間違っていないはず。年代的にもそうでした。例えば「はだしのゲン」を読んだのは間違いなく彼女の影響です。そうして、たぶん、狭山事件のことも彼女から教わったんだと思う。
そう、狭山に住んでいて、狭山事件のことを知らずに暮らしている人は多い。むしろ大多数。きっと、若い世代では特にそうなのではないか。忌々しい過去だからなのだろうか。イメージが下がることを懸念しているからなのだろうか。否、これは時代の流れなのだ。つまり、狭山には良くも悪くも継承すべき歴史と文化がないのだ。
私はたまたま、佐木隆三さんの本を読んでいます。そして、今でもそのあとがきを忘れてはいません。読んで欲しい。観て欲しい。知って欲しい。私に出来ることは何だろう。どうしたら伝えられるのだろう。
あれは青春40の旅のひとつでした。島根県の隠岐諸島。海士町。そこで出会った、かなり親しくさせて頂いた彼、大好きだった彼は、大阪出身だったので、同和問題に詳しかった、というより、まさに今なお、その偏見に満ちた地域の中で生活をしている(はず)。彼の狭山事件の石川さんに対する発言には我慢ならなかった。でも、昔も今も私には「言葉」がない。あるのは「諦め」だけ。そうして思います。オレだって、差別をする、区別をする、軽蔑をする、皆、程度の違いこそあれ、同じ穴のムジナなのだと思います。石川さんは無実。これが事実。そしてこれは、同和問題である以前に、冤罪問題なのです。そうして、その本質は、真犯人が自分の罪に耐えたという事実、その弱さなのだとも思います。
この映画は夫婦の愛の物語です。だから素晴らしい。そういう意味で、石川さんのお兄さんとそのお嫁さんの存在が凄く大きい。だから、「SAYAMA みえない手錠をはずすまで」というタイトルよりも、「きょうも、夫婦。」というコピーの方が断然この映画の本質をついています。
昨日、上演後の座談会に出席して下さったのは松元ヒロさんでした。とても素敵な方でした。植木等のお父さん(
植木徹誠)の話を教えてくれました。浄土真宗大谷派の住職さん。戦地に赴く兵隊さんに向かって「殺すな。生きて帰れ。」無茶なことを言ってたんだって。そんなこんなで投獄されてしまったと。なんとも素敵なお坊さんですな。さすが親鸞者です。植木徹誠は、<「差別はしない」と言うこと、そのものが「差別をしている」のだ>と、説いていたのだそうです。確かにね。高みだけを見つめて生きるだけの勁さ(「強さ」ではない)を持った人は少ない。だからこそ、できるだけ、低きに流れてはいけない。
最後に、ありがとう、中上健次。熊野への旅を通じて、その遺言?伝言を受け取ったような気がしています。だってそれは、あまりにも偶然だったから。あまりにも必然だったから。