今日は、モーツァルト作のピアノ協奏曲第23番について
書きたいと思います。
第1楽章は、なんというか、モーツァルトが作ったピアノコンチェルトの
中でも、とてもバランス感覚にすぐれていると感じています。
と言いますのは、ゆったりエレガントなところと、小気味いいところと、
その両者を融合した言葉で表現しにくいところとが、うまくつなげて
全体が構成されている点に驚きを少なからず感じたためです。
穏やかで明るい感覚の中に重さと暗さを適度に調合した感じが、
他にないように思いました。ありそうでないのが、この楽章の特徴かもしれません。
音楽の都”ウィーン”といえば、多くの国に囲まれ、他民族の融合の中で
妥協やバランス感覚が歴史上、必要とされてきた経緯があります。
このオーストリアの代表的な音楽家、モーツァルトが、このようなバランス感覚に
すぐれた曲を出しているのは、象徴的でもあり、歴史風土の影響も
たぶんにあるのかな、と思ってしまいます。
数多くの国を馬車で旅してきたモーツァルトだからこそ、生み出せた曲
なのかもしれません。
内田光子など日本の名ピアニストもこの曲を豊かに表現していますが、
今日聴いたのは、ルドルフ・ゼルキンの演奏でした。
彼のを聴くと、間奏があり、そこから始まるピアノの出足の音が、
それまでの余韻を残しながら静かに受け継いで、やさしくシンプルに
弾いていきます。強引にしゃしゃりでないバランス感覚を
感じてしまいます。
本物というのは、意外にシンプルで静かなものなのかもしれませんね。
いかがでしょうか?
書きたいと思います。
第1楽章は、なんというか、モーツァルトが作ったピアノコンチェルトの
中でも、とてもバランス感覚にすぐれていると感じています。
と言いますのは、ゆったりエレガントなところと、小気味いいところと、
その両者を融合した言葉で表現しにくいところとが、うまくつなげて
全体が構成されている点に驚きを少なからず感じたためです。
穏やかで明るい感覚の中に重さと暗さを適度に調合した感じが、
他にないように思いました。ありそうでないのが、この楽章の特徴かもしれません。
音楽の都”ウィーン”といえば、多くの国に囲まれ、他民族の融合の中で
妥協やバランス感覚が歴史上、必要とされてきた経緯があります。
このオーストリアの代表的な音楽家、モーツァルトが、このようなバランス感覚に
すぐれた曲を出しているのは、象徴的でもあり、歴史風土の影響も
たぶんにあるのかな、と思ってしまいます。
数多くの国を馬車で旅してきたモーツァルトだからこそ、生み出せた曲
なのかもしれません。
内田光子など日本の名ピアニストもこの曲を豊かに表現していますが、
今日聴いたのは、ルドルフ・ゼルキンの演奏でした。
彼のを聴くと、間奏があり、そこから始まるピアノの出足の音が、
それまでの余韻を残しながら静かに受け継いで、やさしくシンプルに
弾いていきます。強引にしゃしゃりでないバランス感覚を
感じてしまいます。
本物というのは、意外にシンプルで静かなものなのかもしれませんね。
いかがでしょうか?