極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

トムヤンクンライスと植物由来ミルク

2022年12月02日 | 日々草々


彦根藩二代当主である井伊直孝公をお寺の門前で手招き雷雨から救っ
たと伝えられる"招き猫"と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え。
(戦国時代の軍団編成の一種で、あらゆる武具を朱塗りにした部隊編
のこと)の兜(かぶと)を合体させて生まれたキャラクタ。愛称「ひ
こにゃん


【園芸植物と短歌トレッキング:ポインセチア】
メキシコの山地原産のユーフォルビア・プルケリマ(Euphorbia pulche-
rrima
)を改良してつくられましたポインセチア。寒さに弱く、最低温
度10℃以上で管理されているが、1年で枯らしてしまうことが多い草花
のようで本来は低木に属する。赤や白などに色づいた部分は花と間違
えられがちですが、これは苞(ほう)と呼ばれ、本当の花のまわりに
つくられ、花は苞の中心にある黄色い部分。ポインセチアは日が短く
なると花芽ができる短日植物。自然条件では10月下旬から花芽分化が
始まる。



  美しき花かとも朱にきはまりしその葉を見ればあはれポインセチア
                                                 宮   柊二
※宮 柊二(みや しゅうじ):1912-1986
歌人。本名,肇。長岡中学校卒業。1932年上京、種々の職業を転戦北
原白秋に師事して歌作を始めた。第2次世界大戦後、処女歌集『群鶏』
(1946) を上梓,人間性の根源を彷彿する清新な抒情で歌壇の注目を集
めた。その後、歌集『小紺珠』(48)『山西省』 (49) を相次いで刊行
し、戦後歌壇の中軸としての声価を定めた。歌誌『コスモス』を主宰、
白秋や折口信夫の研究なども推進。『定本宮柊二全歌集』 (56) があ
る。77年日本芸術院賞受賞。 83年日本芸術院会員。 

   霜しろき土に置かれて猩々木真紅の花びら疎《まば》らに長し
                                                窪田 空穂

※窪田 空穂(ぼた うつぼ):1877-1967
歌人・国文学者。長野の生まれ。本名、通治。早大教授。新詩社歌人と
して出発。万葉・古今・新古今の評釈などにすぐれた業績を残した。
詩歌集「まひる野」、歌集「土を眺めて」「鏡葉」など。
 
【今日のランチ:冷凍タイ風炒めご飯とオーツミルク】
タイ産レモングラス香るトモヤムクンライス。トムヤム」「混ぜた煮
物この後にメインの食材名が連なる。鶏肉ならトムヤムガイ、魚肉な
らトムヤムプラー、イカならトムヤムプラームックとなる世界三大ス
ープの一つトムヤムクン(Tom yum goong)としても知られる。また、
カオパットトムヤムとはタイ米及びタイ餅米の炒飯(炒めご飯)。こ
れを冷凍加工品としてコンビニでセブン/イレブンから販売さたので
購入し昨日、ランチ時間に頂く。



もともと、トムヤムクンが大好物、90年代は食べまっくっていった程
目がない。ただし、カオ=お米 パット=炒める トム=煮る ヤム=
混ぜる カオパットトムヤムはその名前のとおり『トムヤムクンで味付
けをしたチャーハン』で、トムヤムクンは酸味と辛さを味わえ、炒め
ているからか、酸味はさほど感じないが、ライムを絞ってかけると酸
味はます。トムヤムベースなので、エビやイカなどのシーフードも入
る(シーフードチャーハン)。見た目はケチャップを使った、甘いカ
オパットアメリカンに似ているが、カオパットトムヤムはかなり辛い
ので要注意。


 
via GIGAZINE
実際、後を引く辛さが残るので、咄嗟に、植物由来ミルク----「粉っ
ぽさ」を感じるほどに素材の味が凝縮された「スゴイオーツミルク」
(大塚食品)を飲み合わせみたが、これは「ド・ストライク」となる。
明日以降、"マイ選・ベスト
ランチメニュー"のエスニック・レシピの
冷凍食品部門に登録する(➲名称:チャーハン、原材料名:米、全
卵、ボイルえび、アカピーマン、コチュジャン、魚醤(魚介類)、な
たね油、チャツネ、パーム油、蝦醤、チキンエキス、ジンジャベース、
チキンエキス調味料、食塩、砂糖、醤油、レモン濃縮果汁、がーレッ
クペースト、とうがらし、調味エキス、カフィルライム、レモングラ
ス、酵母エキス、いため油(なたね油、ラード)/ 調味料(アミノ産
等)、カロチノイド色素、香辛料抽出物、pH 調整剤、香料 (えび・
小麦、卵、大豆、鶏肉、リンゴ、魚醤(魚介類)を 含む)、内容量:
170グラム、賞味期限:蓋面に記載、保存方法:-18℃以下、凍結前
加熱有無:無加熱、販売者:味の素株式会社、製造所:味の素冷凍株
式会社。国産米使用。エネルギー:310kcal、タンパク質 8.1 グラム、
油室:8.7グラム、炭水化物:50.1グラム、(糖質 49.7 グラム/食物
繊維0.4グラム)/ 食塩相当量 2.5グラム

 

2028年,イメージング&センシング市場は15.8兆円
11月25日、マーケティング&コンサルテーションの株式会社富士キメ
ラ総研は、スマートフォン向けが外部環境要因や製品需要の飽和を背
景に落ち込む中、自動車やクロスリアリティ(以下、XR)向けに注目
が集まるイメージング&センシング関連の世界市場を調査。この調査
では、イメージング&センシング(技術)の関連デバイス・部材・装
置として半導体デバイス7品目、光学ユニット11品目、光学部品6品目
、光学関連材料5品目、光学関連装置2品目、関連アプリケーションと
して14品目計45品目を対象に、イメージング&センシング関連の世界
市場の現状を分析し、将来を展望した。
【概要】
2028年世界市場予測(2021年比)
イメージング&センシング関連
(デバイス・部材・装置) 15兆8,342億円(159.3%)

車載向けやXR向けの好調に加え、2024年以降、スマートフォン向けも
回復し大きく伸長LiDAR(2D・3D) 9,900億円(18.0倍)
2D LiDARは産業向け、3D LiDARは自動運転向けが増加





【完全クローズド太陽光システム事業整備ノート ⑫】
【再エネ革命渦論 73: アフターコロナ時代 272】

---------------------------------------------------------------------------------------------
コンパクトでスマートでタフな①光電変換素子と②蓄電池及び③水電
解に④水素系燃料電池、あるいは⑤光触媒由来有機化合物合成と完璧
なシステムが実現し社会に配置されようとしている。誰がこれを具体
的に想定しただろうか。その旗手に常に日本や世界の若者達の活躍が
あった。

技術的特異点でエンドレス・サーフィング>
  再生可能エネルギー革命
RE100 ➢  2030  72


効率よく二酸化炭素を回収・濃縮が可能
これまで、二酸化炭素回収において、物理的あるいは化学的な吸収の
手法が長らく提案されてきたが、これは回収能力を有する液体に二酸
化炭素を吹き込んで吸収させ、吸収は比較的容易に行えるものの、放
出の際は外部から加熱する必要があり、発電所排ガスの二酸化炭素回
収の場合では、生み出した電力の1割以上のエネルギーを消費してし
まうという欠点があった。このため、磁石に吸着/脱着できれば、必
要なときに必要なだけ固体材料に二酸化炭素を吸着させ、濃縮したも
のを外部制御で脱離・放出させられれば、エネルギー損失を極少化で
きる。

図3.CO2吸着サイトと配置の検討

今年11月、早稲田大学らの共同研究グループは、スイッチ一つで二酸化
炭素(CO2)を選択的に吸着、脱離できることを理論的に解明。開発し
た技術を応用すれば、CO2を効率よく回収し濃縮できる。その手法は以
下の通り。

1.希土類の酸化物に異種の元素をドープ※1した材料を用いて、外部
 から直流の電位をプラスとマイナスのそれぞれで与えた場合の、二
  酸化炭素の吸着と脱離を詳細に解析➲図に示すようにセリウム酸
 化物という材料に異種の金属を導入した材料を用いて、プラスの強
 い電位(電流は流さない)を与えた場合に二酸化炭素が選択的に吸
 着し、マイナスの電位に切り替えると二酸化炭素が脱離することを
 理論的に確認する。

図10 今回の実験結果の模式図

【脚注】
1.元素のドープ:酸化物の構造をつくる元素に対して、違う元素を
 微量置き換えて入れることにより、酸化物の構造を歪ませたり性能
 を向上させることができる手法
【関連論文】
原 題:Theoretical investigation of selective CO2 capture and desorption
      controlled by the electric field

掲載誌:Physical Chemistry Chemical Physics
掲載日(現地時間):2022年10月26日
掲載URL
   https://pubs.rsc.org/en/content/articlelanding/2022/CP/D2CP04108A


図 アスロックレールファスナー太陽光パネル設置工法を採用した建物 

  建材一体型新工法で太陽光発電
―事務所など、建物のエネルギー自給率向上に貢献―
AGCはと壁材メーカーのノザワは、11月17日、建物の壁で太陽光発電
を可能にする「アスロックレールファスナー太陽光パネル設置工法(
仮称)」を開発。事務所などの建物での実用化に向け試験販売を行い、
2023年中の販売開始を目指す。新工法は、ノザワが販売する押出成形
セメント板で、主に鉄骨造のビル建築などの外壁に採用される「アス
ロック」に、太陽光パネルを乾式工法で設置し一体化させた外壁発電
工法。新工法のベースとなるアスロックレールファスナー工法は、ノ
ザワが2002年の販売を開始。アスロックの外側に乾式で石やスパンド
レルを設置可能とし、耐風圧性、耐震性に優れるという。今回、同工
法を応用し、創エネルギーが可能な太陽光パネルを設置する新工法を
開発。この工法を利用することで、外壁の外側に大掛かりな太陽光パ
ネル取付け専用の下地工事が不要かつ、発電効率の高い太陽光パネル
を設置可能だという。既に地震や強風などの自然災害に対する安全性
の確認も終えており、今後は本格的な販売開始に向けて準備を進める
方針。


図 レールファスナー工法|押出成形セメント板「アスロック」



高温・高湿に強い偏光シートと貼り合わせ不要の偏光部品
-射出成形でのワイヤグリッド偏光素子の製造は世界初-

偏光素子は、偏光制御が必要な光学システムを支える主要な光学部品。
ディスプレー、プロジェクター、偏光サングラスなどに利用されてい
る。近年では、ヘッドアップディスプレーなど可視光の制御だけでな
く、近赤外線によるセンシングシステムにも利用され始めている。今
後の自動運転技術、ドローン、ロボット、バーチャルリアリティーな
どのセンシング・イメージング技術の進展に伴い、これらの用途に対
応した偏光素子が求められているが、従来型のワイヤグリッド偏光素
子を製品に実装するためには、偏光板のインサート成形や偏光板と部
品の貼り合わせなどの後工程による加工を必要とし、特に小型部品や
複雑な形状の部品の作製は困難で、また特性面においても、優れた偏
光度と透過率を維持しつつ、さらなる高温・高湿耐性や反射率の制御
など、多様化する需要に応えることが難しくなっている。従来型のワ
イヤグリッド偏光素子は、広帯域で優れた光学特性を発揮するが、反
射型の偏光素子であるため、その用途は限定的で、さらにコストの低
減が課題といわれていた。

1
図1.独自のナノ構造を利用した偏光シートと貼り合わせ工程の要ら
  ない偏光部品

2月1日、
産業技術総合研究所は、三菱ガス化学トレーディング株式
会社、住友ベークライト株式会社、伊藤光学工業株式会社、東海精密
工業株式会社と共同で独自のナノ構造を利用した高機能偏光シートを、
さらに、世界で初めて射出成形と成膜工程だけで作製できるワイヤグ
リッド偏光素子を開発したことを公表。今回の成果で、独自の三角波
形状のナノ構造により、従来のフィルム・シート形態の偏光素子だけ
でなく、貼り合わせ工程なしで部品形態として実装できる素子の実現
にも成功しました。ナノインプリント成形で製造した偏光シート、
偏光板の単体透過率の理論限界値である50%に近い41%を簡便に実現し
た。この偏光シートは、車載機器に求められる高温・高湿試験(温度8
5 ℃、湿度85%)に2000時間以上耐えることができる。また、独自構
造による高い製造性を生かし、反射型偏光板だけでなく吸収型として
も加工が可能なことから、従来の偏光板では応用が難しかった用途へ
活用できる。

図2 開発した偏光シートと偏光部品の製造工程の例

表1 開発した偏光素子の特性
【展望】
用途に応じて、「フィルム・シート形態」と「射出成形による部品形
態」の偏光素子の研究開発を進めます。現在の共同研究体制をさらに
発展させ、新たなアプリケーション開発に向けた協業・共同研究など
企業連携を推進し、本技術の社会実装を目指す。


中世期最大の詩人のひとりであり、学問と識見とで当代に数すくない
実朝 の心を訪れているのは まるで支えのない奈落のうえに、一枚の
布をおいて坐っているような境涯への覚醒であった。本書は、中世初
の特異な武家社会の統領の位置にすえられて、少年のうちからいやお
うなくじぶんの<死の瞬間>をおもい描かねばならなかった実朝の詩的
思想をあきらかにした傑作批評。
【目次】
1 実朝的なもの
2 制度としての実朝
3 頼家という鏡
4 祭祀の長者
5 実朝の不可解さ
6 実朝伝説
7 実朝における古歌
8 〈古今的〉なもの
9 『古今集』以後
10.〈新古今的〉なもの
11 〈事実〉の思想
実朝における古歌 補遣
実朝年譜
【著者略歴】 吉本隆明(1924-2012年)は、東京生まれ。東京工業大
学電気化学科卒業。詩人・評論家。戦後日本の言論界を長きにわたり
リードし、「戦後最大の思想家」「思想界の巨人」などと称される。
おもな著書に『言語にとって美とはなにか』『共同幻想論』『心的現
象論』『マス・イメージ論』『ハイ・イメージ論』『宮沢賢治』『夏
目漱石を読む』『最後の親鸞』『アフリカ的段階について』『背景の
記憶』などがある。
--------------------------------------------------------------
  Ⅵ 実朝伝説
  P.128
   関東武門勢力の祭祀の長者としての実朝に影響をあたえた宗
  教的な教理は三つあった。ひとつは陰陽道であり、もうひとつ
  は天台・真言のような密教系の加持祈祷である。そしてもうひ
  とつは海人却々帰化系統の〈現神〉の信仰である。
   陰陽道が鎌倉幕府に入ったのは、おそらく京都の律令朝廷に
  おける信仰の模倣であった。実朝はしばしば〈方違〉などをま
    ともにやっていることが『吾妻鏡』の記事から明瞭であるが、
    も とよりこれは唐制の模倣をやった律令官制に発祥している。
     鎌倉幕府に採用された陰陽道では神聖な星として〈天一星〉と
     〈太白星〉とがあり、ある星(またはその星にあたる十干・十
     二支に相当する生れのもの)がこれらの星の運行の方位を侵す
     ときは〈方途〉によってその方向を避けなければ災厄に出あう
     と信じられた。
      平安朝晩期から鎌会期にかけての土俗的な道教としての陰陽
      道と、習合的な密教であり陰陽道とも土俗的に混合した真言・
      天台系の加持祈祷の息災渋々、山伏せの修験道とを区別して
      かんがえることは難かしい。しかし病気になれば祈祷し、地
      震があれば加持し、夢に和田一族の怨恨のさまをみれば修法
      をおこなわせ、また白身も写筆の円説経を三浦義村に護持さ
      せて三浦の海に沈めるといった実朝の司祭としての生活は、
      京都から移入された真言・天白系の密教の流入をかんがえず
      には、あまりうまく説明できないかもしれない。
       建暦三年八月十八日、実朝が深夜おきて御所南面の庭をみ
   て和歌数首を詠んでいると、丑の刻に夢幻のように青衣をか
   ついだ女人一人が前庭をよぎっていったので、名を問わせた
   がこたえず門外へ走り去った。そして光り物が松明のように
   かがやいた。陰陽少允親職を召しだして理由をきいたが、親
   職はべつにさはどの変異ではないと答えたが、南庭で招魂祭
   が行われた。
    この個所の『吾妻鏡』の文章は、もっともすぐれたものの
   一つだが、これは道教の〈三魂七能〉の説によってかかれて
   いるとみなされる。『王国霊宝秘典』には「三魂とは、爽霊、
   台光、幽精の三なり。肝下にあり、形ち人の如し、並びに青
   衣を着る。内には黄衣をざるなり、毎月初三日、十三日、二
   十三日の夜は、人の身を離れ去って身の外に遊ぶ。一魂は直
   ちに木屑宿営に居し、一魂は地府に居し、一濯は形内に居す
   」と記されている。そこで、『吾妻鎗』の記事を解釈すれば、
   陰陽師の競願は、南底を過ぎる青衣の女人は、実朝の三魂が
   遊行したのだと解して、かくべつの変異ではないとかんがえ
   たことになる。けれどこの三魂をもどすために招魂祭をおこ
   なった。
    おなじかんがえは仏教にも習合されている。『十王経』に
   は「曰く三統の魂識とは、一には胎光業魂神識と名づけ、二
   には出精転魂神識、三には相霊現魂神識云々」とかかれてい
   るという。真言・天白系の密教化と道教系の陰陽道とは密過
   しやすい点をもっていた。密教では天然であっても人間であ
   っても、十戒をたもって修法すれば、対象に同化しつくすこ
   とが可能であるとかんがえられ、あらゆる修行の到達点をそ
   こにおいた。これは天然を㈲としてその運行によって人事は
   おおきな支配をうけるという陰陽道のかんがえと表裏をなす
   とみなすことができる。すでに落ちぶれきっていた神道信仰
   は、〈密〉〈道〉を習合することによってしか延命をはかる
   ことができなかったとみてよい。ただ神道では〈天御中主〉
   を中心におくか〈天照大神〉を中心におくかが流派のわかれ
   であっただけである。これは南部支那の辺境界族の信仰であ
   る土俗的な道教を中心にするか東南アジアの原注部族の南方
   的シャーマンを中心におくかのちがいとみてもよい。また、
   平安末期の密教のほうからは、神道と習合することによって
   しか仏教が大衆のかかに撒運することができないという問題
   にほかならなかった。かれらは両方の利害から神社には宮寺
   をつくり、寺院には明神あるいは権現信仰を附着させて、ほ
   とんど密教と陰陽道的な信仰の区別を、あとかたもなく融合
   させようとしたのである。
    たとえば、霊亀元年(七一三年)には藤原武智麿が気比神
   社の境内に神宮寺をたて、また若狭比古神社にも神宮寺をた
   てたとされる。また神泉二年(七二三年)には宇佐八幡宮の
   境内見楽師・弥勒を本尊とする宮寺をたてた。また行基は〈
   天照大神〉の本地は〈大目如来〉であると称して東大寺をた
   て、宇佐八幡の分霊を東大寺にうつし手向山八幡宮とよんだ。
   もちろん鶴ケ岡八幡宮のばあいもこの神仏習合の伝統はうけ
   つがれたのであり、実朝も鶴ケ岡八幡の宮寺に詣でたという
   記事かしげしばみえ、また〈放生会〉その他〈一切経会〉の
   ような〈法会〉がここでおこなわれている。
    鎌倉幕府の祭祀権の統領であった実朝は、その日常をほと
   んど仏教と密教と陰陽道が習合した祭事仏会についやした。
   そしてこの面では関東武官府の固有信仰はかげに潜在してい
   ただけであったといっていい。
    しかし、『吾妻鏡』には実朝を超能力をもった〈現神〉に
   仕立てあげようとした痕跡がいくつかみうけられる。度々の
   夢告の記事がそれであり、また夢告が予知となって陰陽師の
   星占いと一致したという記事などもそれである。このばあい
   、すべての〈現神〉信仰とおなじように二つの側面があらわ
   れる。ひとつは文字通り、武門勢力の祭祀権者として、いっ
   さいの神事と仏事とを主宰するということである。もうひと
   つは、自身が〈現神〉となるということで信仰の象徴であり
   ながら、同時にその共同体の〈生け賛〉としての意味をもつ
   ということである。このばあいには、その共同体にとって怨
   嵯のまととなることを、すべて引きうけなければならないこ
   とになる。また、じっさいにも尊崇と怨幄とはおなじ意味を
   もつものとなる。『吾妻鎗』に曲筆かおるとすれば、実朝の
   独特な人格をとらえて、そこに関東武門の内乱からくる怨嵯
   をすべてなすりこんでしまい、ついに、ほんらいは北粂氏に
   あつまるべき敵意を実朝に集中させ、これを血祭にあげて死
   なしめたという点にあらわれる。『吾妻鏡』は、もしそう読
   もうとすれば、実朝の鋭敏な傾眠症的な人格と〈現神〉とし
   ての象徴性とを交錯させながら、巧みな死にいたる伏線を引
   きつめていったというふうに読めないことはないのである。
   そしてこのような役割を背負うには頼朝も頼家もそれぞれ別
   な理由で不適格だが、実朝だけがその適性をもっていたと云
   えなくはない。
   『吾妻鏡』は、実朝の〈現神〉化の方法をどこからつかんで
   きたのだろうか? たぶん、天台・真言のような密教化した
   旧仏教から、浄土散々法華宗のような新興仏教にいたる宗派
   で、ひとしくおこなわれた聖徳太子の転生説話であった。天
   台宗は教祖慧思の生れかわりが聖徳であるという説話をつく
   りあげた。七六七年にかかれた『一心成文』にはつぎのよう
   なはし書きがかかれているといわれる。

     隋代の南微微山に、思禅師あり。常に願って曰く、我れ
    没して後かならず東国に生れ、仏道を流伝せんと。其の後
    日本国に、聖徳太子有り。生け聡にして慧なり。時に小野
    の臣妹子を遣わし、隋の天子に聘せしむ。即ち太子妹子に
    教えて曰く、我に取るに法華経と錫杖鉢を持ちて来たれと。
    妹子教えを奉じ、尋ねて将来を訪わしむ。時人皆云う、太
    子は是れ思禅師の後身也と。

    わが国の天台宗の祖である最澄は、弘仁七年(八ー六年)
   に上官(聖徳)廟に詣でて、天台宗の折詰を行い、そのとき
   の奉納文につぎのような言葉があるとされている。 

     今の我が法草聖徳太子は、即ちこれ南嶽意思大師の後身
    也。厩戸に託して生れ、四国を汲引し、経を太唐に請待し、
    妙法を日域に興し、等鐸を天台に振り、其の法味を相承す。
    日本の玄孫興福寺の沙門最澄、愚なりといえども、願わく
    ば我が師の教えを弘め、渇仰の心に任せざらんや。

  天台・真言の密教化かすすむにつれて、転生説話もまた神秘化
  されていった。そしてこのような転生説話は神仏習合化の風潮
  によく合致するものであった。目本の真言密教の開祖空海も弘
  仁元年(八ー○年)に聖徳太子廟に参観して「我はこれ救世大
  悲の飛跡也。我れ昔安養世界において、北上の衆生の利益のた
  めに、かの安楽を捨て、この植生に来る。我が母后は、これ本
  師無量寿仏の化身の飛応なり。我れ定恵の妻女は太勢至菩薩の
  追跡を得し也。三尊結契して生を和国に受け、化を日域に施す。
  遷化して年久しく、彼の三尊の位に擬し、三骨をT順に並す」
  (『順良得業口決抄』)という啓示をえたと伝説されている。
  かれらはいずれももとをたどれば帰化人の出自であると俗称さ
  れているが、それは事実かどうかわからない。ただ当時におい
  て帰化人の出自であるといえば、現在、欧米に留学した百欧学
  者だというのとおなじような、のど自慢にはなった。ただ、か
  れらが太子聖徳を仏祖の目本における生れかわりだとし、じぶ
  んをその道統をひくものだとしなければならなかったところに
  は、かれらなりの悲劇がなかったわけではない。ここでは聖徳
  の転生説話は密教化した旧仏教にとって重要なパターンであり、
  それは転生観自体を普遍化するのに役立ったのである。おなじ
    ように奇清涼もまたこの種の説話につきものであった。
     これらの性格は、もとより教祖を〈聖化〉しようという企て
    が宗教のあるところどこでも普遍的だという意味では、『新約
    聖書』におけるイエスの〈聖化〉などとも共通している現象で
    ある。新興仏教の宗派とりわけ浄土教でも、太子聖徳が口試の
    仏祖であるという説話はそのままうけいれられた。親鸞の作と
    される「聖徳和讃」はそのあらわれである。また、夢告を得た
    という伝説かおる磯長の太子廟に参詣した親鴬は、娃仁二年(
    一二〇二年)、夢想のうちに太子聖徳があらわれて、

        我八三尊鹿河ノ界二化スナリ 日域ハ大栄二相応スルノ地 
        傍聴セョ傍聴セョ我ガ教ヘシムルトコロヲ 汝が命根十全
    歳二応ヘタリ 命ヲハツテ遠ヤカニ清浄ノ土二人ルベシ善
    信ョ善信ョ真ノ若蔵ョ

  という呼びかけをえたという宗祖譚を附会されている。

                        この項つづく 
    

風蕭々と碧い時代


Jhon Lennon   Imagine

● 今夜の寸評:(いまを一声に託す) 自分自身に微笑みを
Congraturate yourself on the efforts you made this year and greet the
coming year in the new sprit.


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