極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

再エネからエネルギーフリーへ

2016年03月22日 | デジタル革命渦論

 

 

 

  

      一人を殺さば、これを不義と謂い、必ず一死罪あり。……いま大いに不義をなし国を
      攻むるに至りては、すなわち非とするを知らず、従いてこれを誉めてこれを義と謂う。
                   
                             
                                     墨子 『非攻』

                                                                                                                                               

      ※  一人を殺した男は死刑となり、百万人を殺した将軍は功績をたたえられる。戦いだけでは
             ない。
いま、人々は。"小さな不正""小さな暴力"に怒って"大きな不正""大きな暴力"を忘
       れ、"
小さな親切”に感激して"大きな親切"を忘れている。この逆立ちはどこからくるのか? 

 

        非攻 - 非戦論 - 

 

【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 

  公輸――墨子と戦争技術者
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな
  非攻――非戦論
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか
 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす


《解説》 解顕でふれたように『墨子』の中には、独特の構成をもったものが十編ある。それは一つの編
が上・中・下から成り、それぞれ言い回しが多少違うだけで論旨は全く同じなのだ。つまり同内容のもの
が三つずつ収録されている(「非儒編」は上・下の二編)。これは『墨子』が弟子たちの手によって成っ
たものであり、かれの死後、三派に分かれた墨家によってそれぞれに伝えられたためといわれる。「非攻
編」も上・中・下という構成で、ここに訳出しだのは「非攻・上」だが、この幅だけは形式、内容ともや
やおもむきを変えている。他の幅のように、「子墨子曰く……」ではじまる問答体ではなく、冒頭から墨
子の著という体裁をとっている。あるいは、この幅だけは、墨子自身が書いたのかもしれない。事実、こ
の編は、そういう推測が許されるほどの迫力をもっている。

参考までに「非攻・中編」の内容を要約しておこう。

為政者は人民の幸福を目的として国を洽めるべきであるのに、人民の用を奪い、人民の利を廃して戦争を
超こす支配者が多い。かれらの戦争目的は何かといえば、戦勝を誇り、他国を奪って利益を得ることなの
だ。だが、戦勝を誇ることなどは、どんな実利ももたらさない。他国を奪って利益を得たとしても、失う
ものはそれ以上に大きい。多くの費用と多くの生命が失われるからだ。戦争を起こすのは、多くの場合、
強国である。これらの国は、広大な土地をもちながら、なお他国の土地を侵している。その結果、多くの
人民を殺し、苦しめている。人民の利益をそこなうことが、どうして正しい道といえよう。

ところが、好戦的な者はこんなことをいう。――今日、楚・呉・斉・晋は大いに栄えているが、これらの
国の祖先がはじめて諸侯に封ぜられたときは、その領地はわずかに数百里四方、人民も
数十万にすぎなか
った。ところが戦争を重ねて他国の領地をとり、他国の人民を併せたために、
今は数千里四方の領地と、
数百万人の人民をもつようになった。これは戦争によって得た利益で
はないか、と。

だが、たとえそれらの国が利益を得たとしても、決してそれは正しい道ではない。それらの国が利益を得
たために、どれほど多くの国が悲惨な目にあったことか。医者が人の病いをなおす場
合を考えてみよ。薬
を病人にあたえても、数大の者だけに効いて、他の多くの者には効かなけれ
ば、その薬はよい薬とはいえ
ないではないか。医者の使令は、万人の病いをなおすことである。
少数の者にしか効かない薬を調合する
ことは、医者としての本分にもとることである。

むかしから今まで、多くの国がロんだ。それらの国々はみな戦争によって亡んだのである。大国は力ずく
で小国を圧迫する。そのために小国は亡びる。菖が斉と越と問にはさまって亡び、莒(きょ)
・蔡が越と
呉との間にはさまって亡んだのはそのためである。大国であっても亡びる。呉は越
を属国にして一時覇者
となったが、その後、越に亡ぼされてしまった。どれもこれも戦争が亡国
を招いたのである。武力を恃ん
で国をいつまでも保つことはできない。

昔、晋に六人の将軍がいた。そのひとりである智伯は、領地の広大さと人民の多きとを特んで、諸侯に対
抗して自分も一国の君主となろうと考えた。それには武力によるのが最上の策であると考え、まず中行氏
を攻めてその領地を奪い、さらに苗氏を攻めてこれを破り、ついで趙襄子を晋陽に囲んだ。そのとき、そ
れまで智伯にくみしていた韓・魏両氏は、趙氏が亡ぼされたら、やがて自分たちも同じ運命に見舞われる
のではないかと考えた。そこでかれらはひそかに趙氏と内通し三方から智伯を攻め、ついにこれを亡ぼし
てしまった。

「君子は水に鏡みずして、人に鏡みる」ということわざがある。水に顔を映してみれば、顔の形がわかる
だけだが、人を鎗とすれば、吉凶を知ることができる。戦争によって利益が得られると思う考は、智伯の
ことを鎗とすべきだ。


●今夜で『墨子』は終わる。それにしてもすごいパワーだ。何よりも現場・現地に進んで赴き行動した思
 想家で理論家にして社会実験(実践)家であり教祖である。次回は、『戦国策』(「中国思想」第二巻
 )に移る。

【量子ドット工学革命: エネルギーフリー社会の実現へ】 

 

量子ドット太陽電池製造関連の特許調査をやっと終了させる。頭の中はモヤモヤ状態で総括を考ええる。
電子・正孔のキャリアをわずか数ナノメートルの立方体に閉じ込めるた量子ドットをサイズを制御するだ
けで、受光素子に応用すれば紫外光から赤外光の広範囲の波長の太陽光を自在にエネルギー変換でき、発
光素子に応用すれば低電流で電圧印加すれば自在に、エネルギー波長に変換できるという夢のような話が
実現すると期待されている。

それがもう十年するとかなりの分野で実用化――トランジスタ、太陽電池、レーザー、ディスプレー、電
池、量子コンピューター、量子暗号通信、癌予防・治療など――前夜を迎えているのだから、もう興奮し
まくりの作業だ(否、へろへろ状態で死にたくなるくらだった?!)。正直に話せば、「デジタル革命」
を実体験してきた上に、さらに「量子ドット工学革命」を実体験するなどだれが信じられようかという風
に感嘆している。思えば、コンピュータの出現にはじまるデジタル革命により、巨大なIBMはアップル
のPCと三菱電機製のフラッシュメモリーに駆逐され、東芝製の真空管は、ダイオードの出現により駆逐、
ブラウン管に象徴されるテレビジョンの撮像管は固体撮像素子、受像管は薄膜半導体ディスプレイに駆逐
され、インターネットという軍事技術がベルリンの壁の崩壊とともに開放され、それまでの有線からGP
S付移動体ワイヤレス機に席捲される。
 

この『デジタル革命渦論』の遺伝子を一身に背負ったナノサイズ電子デバイスとしての「量子ドット」は
さらにこれを進化させ、バイオテクノロジーとナノマテリアルイノベーションを合体収斂させて超新星と
して輝きはじめた(実用段階に突入)。その象徴的な現象は、これまでの情報通信領域だけでなく、生命
領域――たとえば、標的化送達用組成物の蛍光体として応用されることで、超精密顕微鏡用の画像処理技
術へ発展し、癌などの難病の予防・治療――などに役立てられる。まだエネルギー領域――たとえば、高
効率変換太陽電池が実用化すれば、巨大にしてリスキーな原子力発電を駆逐し、コンパクトで環境にやさ
しい発電が、
これまたコンパクトで頑丈な蓄電池と結合することで、"エネルギーフリーな夢の贈与経済
社会”が実現する。


  絶え間なく降り注ぐ太陽エネルギーが『贈与経済』の源

このように、1982年の荒川・榊東大教授らにより半導体量子ドットがはじめて提案されて以来、09
年に10ギガビット毎秒量子ドットドットレーザの実用量産化に世界で初めて成功するが、その量産製造
には(1)結晶組成比の最適が困難、(2)各量子ドット同士の干渉・合体などよる発光やエネルギ効率
や収率が思うように向上しないと問題を抱えていたが、試験評価方法など量産化に向けての方法や技術改
良が進み、量産・普及の道が開けてきた。が、問題もある。それは、一気に量産化すれば過剰生産――な
にせ、ナノメートルはマイクロメートルの千分の一、面積比で百万分の一、体積比で十億分の一と緻密度
と反比例し原材料の使用量は逓減していく。ここは、企業合併も見すえトップランナーを疾走すべく、政
府による環境整備が求められる。

この革命は日本列島の隅々に波及し世界に波及する。電信柱はこの国土から消え(ワイヤレス通信中継基地
は残る)、道路はバッテリーレス自動車が走る時代が十年後には現れてくる。その実験――電気自動車(EV)
の普及課題として「1充電当たりの航続距離」と「充電時間の長さ」が指摘される。この課題を解決するバ
ッテリーを持たないEVに対して路面から駆動用の電力を送電する――に豊橋技術科学大学と大成建設が、世
界ではじめて成功している(上写真クリック)。このように、地球温暖化防止などの環境分野、医療・介護
分野、運輸・道路分野、景観の付加価値化分野など、あらゆる分野の次世代化のための積極的な公共投資(
財政投資)が求められているのである。

何はともあれ、今夜で一連の作業に終始を打ち、ネクスト・ステージに吾(われ)は立つ。
                                          

 

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