極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

里山資本主義で経済成長 Ⅱ

2014年04月02日 | 政策論

 

●こん夜も、ニュースなニューズが天こ盛り

何年ぶりになるのだろう?いや、はじめだという。 選抜高校野球大会は1日、準決勝2試合が行われ、
第1試合は履正社(大阪)が豊川(愛知)を延長十回12‐7で下して初の決勝進出。第2試合は龍谷
平安(京都)が佐野日大(栃木)を8‐1で破って、こちらも初の決勝進出を決めて、史上初 大阪
-京都
決勝対決となるという。因みに、センバツでの近畿勢の決勝は、1979年の第51回大会、箕
島(和歌
山)-浪商(現大体大浪商=大阪)以来35年ぶり。この時は、8‐7で箕島が優勝した。大
阪勢と京都勢
の決勝戦は初という。そこで一言、明日はテレビ観戦に釘付けになる、と。

STAP(スタップ)細胞の論文に捏造(ねつぞう)や改ざんなどの不正があったと認定した最終報告
で、理化学研究所の野依良治理事長が東京都内で記者会見し、STAP細胞の存在を検証する再現実験
を理研内で始めたことを明らかにしたという。野依理事長は、理研の小保方晴子ユニットリーダーら論
文著者に論文取り下げを勧告する方針だが、小保方リーダーは不服を申し立てる考えだが一方、下村文
部科学相は、「(組織のどこに問題があるかの)調査は不十分だ」と述べ、第三者による追加調査を求
めたという。そこで一言、"小保方伝説"がここから始まる、と。

日本の最南端の国土を守る工事のさなか事故は起きた沖ノ鳥島(東京都)の桟橋建設現場で、5人が
亡、2人が行方不明となった。本州から南に1700キロも離れた太平洋上での救助活動は難航し、

事を発注した国土交通省関東地方整備局や施工会社は情報収集に追われているという。橋は鋼製で、床
部分が長さ三十メート
ル、幅二十メートル、高さ五メートルの箱型で重さ五百トン。脚は直径が二メー
トル、高さ約四十メー
トルで重さは百七十トンある。桟橋は机を上下逆さにしたように、四本の脚部分
を上にして台船で運ば
れていた。事故は、台船をいったん海中に沈め、えい航船二隻が桟橋を引っ張り、
脚部分を上にしたま
ま海上に浮かべた後に発生したというが、同局港湾空港部の松永康男部長は会見で
「重心が何らかの理由で
偏ったのが転覆原因とみられる」と述べる一方、「設計段階で安定性を十分計
算し、施工上の問題点がない
とも確認した」と強調。三管は業務上過失致死傷容疑を視野に関係者から
事情を聴くとしている。そこで一言、随分欲張った?係留桟橋施設工法だなぁ~、と。


 

年間五百万トンともいわれる使用済み化学薬品は産業廃棄物となり、環境へ大きな負荷を与えている。
そんな中、特に再生が難しいといわれている「混合薬品」を再生する技術が京都市にある「佐々木化学
薬品株式会社」で開発されたという。この中で『里山資本主義で経済成長Ⅰ』で触れたフッ酸の廃液(
「フッ酸+硫酸混合液」)なのだが、わたしも定年退職前の、開発研究テーマだったので詳細ネット検
索してみた。再生方法には、(1)カリウムイオン添加析出分離法(2)電気透析(電解)法、(3)
イオン交換樹脂吸着分離法などがあるが、佐々木化学薬品株式会社の再生法は(1)に該当しそうだが、
具体的な処理プロセスを確定できすに終わった。そこで一言、やっかいだが、誰もやりたがらないこと
に『宝』あり、と。



※ (1)の事例として株式会社アナテックの「特開2013-46888 フッ酸含有処理液の再生方法及び再
  生装置」がある。
 

「Green Farm」に、「Green FarmCube」(幅225×奥行225×高さ285.5 m)と「Green Farm TRI-TOWER」(幅5
15×奥行367×高さ1152㎜)の姉妹品2機種が登場した、
リビングで種から野菜を育て、成長を愛で、
昧わって楽しむための栽培キットが、株式会社ユーイングから発売されている。栽培は簡単で、半密閉
構造のケースに野菜の種と水、液体肥料、栽培スポンジをセットして運転ボタンを押すだけ。 LED照明
の"日光"と新鮮な空気を取り入れるファンを搭載し、毎日水やりをすることもなく約30日で野菜を収穫
できる。1日あたりの電気代はCubeが約6,2円、TRI-TOWERが約25.7円(*).スイートバ ジルやトマト、
レタスなど23種類の野菜が栽培できるという。そこで一言、デジタル革命渦論は生活を根底から変えて
いく予言なり、と。 ^^;

 

 

 1999.09 

【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】 

 
●『異形の心的現象』を二度読む

  2009.11.25

● 親鸞の悟りと精神の病い

A:歴史というのは野蛮未開の時代から文明の時代へ進んでいくという、大雑把に言えば、それがお
  およその方向だという考え方からすれば、精神的な病気は拡散して多くなると言いましょうか、
  量が多くなるか、質が多くなるか解りませんけれども、そうなるのは歴史の成り行きですから、
  ある意味では対策を立てる以外にないのだ、ということになりますか?
Q:そういうことだと思います。その辺りも今日は伺いたいなと思っています。ただ、日本でも「心
  の危機」というのは、今にはじまったことではないと思います。例えば鎌倉時代に新仏教が出て
  きたわけですけれども、あの時代の「心の危機」というのも凄まじかった思いますが、そのへ
  んはどんなふうに考えられるのでしょうか?
A:僕は病気に対しては病気で治すということがあったと思います。最も極端な例で言えば「一言芳
  談抄」だと思います。つまり、仏教の興隆時代ですけど、この世というのは大したことないのだ、
  苦しいだけであまり良いことはないのだ、だけど死んで浄土へ行けば安楽で、帰って来る必要も
  ない、生まれ変わる必要もないという考えが確立します。そうしますと、社会で起こるあらゆる
  ことが、死んで浄土へ行けば、楽な所へ行くわけですから良いのだということになります。「一
  言芳談抄」はそういう坊さんの話ばかりなのです。これは病気の本だと思いますね。
   当時の仏教は、「一言芳談抄」の言葉で言えば、「とく死なばや」と言いますが、要するに早
  く死なないかと言うのです。ですから、当の坊さん達もご飯を食べなかったり、放浪に出てしま
  って、ミイラになって死んでしまうという人たちが野山にもいっぱい出てきます。少しましな人
  は、一遍上人のように、この世では何も持つな、無一物で、瓶の一つも持つなと言っています。
   味噌か塩を入れるカメではないでしょうか、それ一つさえも持たない方が良いと言うのです。
  住処も定住の住処を待つと執着が出るから持たない方が良いと言う。ですからふらふらと遍歴し
  ながら念仏を唱えて、死んであの世へ行けば一番良いのだと言っていますね。



Q:病人の集団みたいなものですね。
A:そうですね。もの凄い病人の集団です。「一言芳談抄」に出てくるのは、私たちが知っている人
  だと法然も書いていますが、無名の出家した人たちの短い言葉ですね.早く死にたいという。と
  にかくあれ程面白い古典はないというくらいです。一人ひとりが短い文庫ですから読むのに余り
  苦労しなくていいし、すっきりしたことを言っているから、病気の本ですけど、ある意味では時
  代の風潮全体を代表するような本で、実際、そうやって早く野垂れ死にしてしまう人が沢山いた
  わけですね。
   僕は他にも坊さんが記録したものを読んだことがありますが、野山にはそういう人がいて、本
  の下で座禅をしていて何も食べないで死んでしまった、巷では武家が威張っていて乱暴して、許
  通の人の食べ物を持っていかれてしまった、ということが、当時の社会で一般的にあったと書い
  てあるわけです。
   坊さんたちは、天白系の坊さんですと、薙刀を持って覆面して、僧兵になって乱暴狼籍を防ぐ
  ということで武装する。何宗にも属していない坊さんは、勝手に出家して早く死ねれば良い、死
  ねば浄土に行けるのだと疑わないわけですね。「一言芳談抄」を読むとそれぞれのお坊さんがそ
  れぞれの言い方で「この世は駄目だ、あの世が良い」と言っているのです。これは明らかに病気
  だと思います。そういう病気は一体どうしたら良いのか、と考えたら、反対の病気で治すしかな
  、と僕には思えます。
Q:そこだけ伺うと今よりもっと大変なことですね。
A:今と割合に似ていると思うのは、浄土系のお坊さんで「往生要集」を書いた源信という坊さんが
  いるのですが、源信は実際に死にそうな人を集めてくるのです。今でも京都にその小屋が残って
  いますけれども、何もない普通のあばら家なのです。そこへ病気で重体の人や危篤状態の人は皆
  来なさい、ここへ来れば浄土へ行けるぞ、と言って、その小屋へ病人を連れて来るのです。そう
  して、仏像の手に五色の布を結んで、死にそうな病人に片方を持たせて、ここで念仏を唱えれば、
  仏像とは五色の布で手と手が結ばれているのですから最も浄土に行き易い、と源信は考えたので
  しょうね。
   ですけど、危篤状態や重体で念仏を唱えるのも苦しくてそれどころじゃないという人もいるで
  しょうし、五色の布を持たせても意味がないわけです。それで坊さんが側に付いていて、念仏が
  止まると坊さんが声を張り上げて、もっとしっかりしろ、と言って、念仏を唱えさせたりしたの
  です。ホスピスみたいなことを源信がやったのですね。源信は浄土教の元祖ですから、そういう
  ことを考えたのでしょうね。
   それはいけない、ときっぱりと言ったのが親鸞です。源信の時代から親鸞までいくのに二〇〇
  年位経っていますけれど、臨終の際に念仏に重きを置くのは駄目だ、もってのほかだということ
  になったのです。人間の死は不定であるし、いつ誰がどういう所でどういう死に方をするのか
  は、全く分からないのだから、念仏に重きを置くというのはとんでもないことだ、と言うわけで
  す。ですから「一念往生」と言いますが、親鸞は、一生に一回だけ本気で念仏を唱えれば良い、
  ということにしてしまったのですね。
   親鸞は、修行したり仏像を拝んだりするな、一生に一回だけ本気で念仏すれば良いのだ、まだ
  余力があれば、適当に念仏を唱えるのもいいし、唱えなくてもいい、と言っていますね。そこま
  でいくのに2~3百年かかっているのです。その中間には法然がいて、念仏は百万遍、生きてい
  る限り唱えるのが良いと言うのですけど、親鸞は余裕があったらすればいいけど、本当は一生

  一回だけすればいいと言ったのです。

Q:凄いですね。
A:坊さんがこういうことを言うのはおかしいのですが、親鸞は覆してしまった。修行をすれば仏が
  迎えに来てくれるなどというのは、みんな虚構で心理的なものに過ぎないのだ、精神の問題では
  ない、信念の問題だけだと言う。ですから、何も治療するなという考え方ですね。
   それでは死を悟るにはどうすればよいかと、優秀で率直な弟子は考えるわけですね。「浄土が
  良いと言うけれど、私はそのようには少しも思えないが、どうしてでしょうか」と親鸞に問くわ
  けです。親鸞は率直に、私もそうだ、と答えるわけです。そう答えなくては嘘になりますね。
   自分で独自に悟りを拓けるのでしたら宗教はいらないわけです。誰でも浄上が良いと言われて
  も行きたくないのはそういうことなのだと答えて、「自然に死ぬときが来たらそのとき浄土へ行
   けばいいのだ」と言うわけですが、浄土に実態があるとは言わないのですね。「浄土へすぐ行ける所へ
  行けば良い」という言い方をして、親鸞も死んだら浄土へ行けるとは信じていないし、人にも言
  わないですね。「死んだらすぐに浄土へ行けるような所に行けるよ」と言うだけなのです。
   それは僕に言わせると、浄上牧の世界的な最終の理念というか、考え方が親鸞のなかにあると
  思うわけです。信仰がある人もない人も同じじゃないかというところまで行ってしまうのです。
  ですから、ほとんど仏教を解体するのに等しいのですね。
  鎌倉室町時代は、念仏は盛んになりましたけれど、「あの世は良いのだ」という考え方が多くを
  占めていて、他の宗派もだんだんと近づいてきていて、今のお坊さんもそうだと思いますね。キ
  リスト教も天国へ行くのだ、という考えを大部分の牧師さんは持っているのではないでしょうか。
   ですから、僕は病気に対しては反対の病気で対応する、というのが一番根本的なことではない
  かと思っているのです。
Q:病気が流行って、その病気のさなかに親鸞が出てきた。名医が出たのですけれども、その後必ず
  しも病気が治まらないという、結構難しいところですね。

●「狂気」と文学の可能性

A:そうですね。難しいですね。親鸞のやったことで今でも通用しているのは、妻帯しても良いし、
  魚を食べても良いのだということです。そこだけは今の坊さんもほとんどそうなってしまってい
  ますね。法然はそうしたことは言わないですね。坊さんとしての戒律をきちんと守る、と言って
  います。親鸞はそうしたことは全然問題にしないですね。そのころは破戒坊主という誹りを免れ
  なかったけれど、理念というものも論理的な病気だと思えば病気ですし、今でも同じようなもの
  だと思いますね。現在から未来にかけても精神の病いというものは最後まで残るように思います
  ね。
Q:吉本さんも研究されている室町時代の能に「狂女もの」というのがありますね。
A:能ですね。
Q:狂気があのような舞台芸術というか、文学の一つのジャンルとして確立されたというのは、ある
  意味では日本ぐらいかなとも思うのですが、室町時代に「狂女もの」というジャンルが確立した
  ということについてはどうお考えでしょうか? それだけ「狂気」というものが一般化したのか
  なとも思いますし、その頃「狂気」を見る目が変わってきたのかな、とも思えますが、吉本さん
  としてはどう考えられますか?
A:僕の考えというのは、今、森山さんが言われたことの二番目のことです。親鸞が関東にいる七人
  の弟子に与えた書簡があるのです。その書簡の中で親鸞が触れていることは、精神の病いだけは
  仏教でも教えない、それだけは除外されているのですね。つまり念仏を唱えようが何をしようが
  どうにもならない、ということです。精神の病いとは言っていないのですが、「気狂い」という
  ものは除外例である、宿命的というか運命的で、どうすることもできないのだ、というのが親鸞
  の書簡に一箇所だけありましたね。ですから、その時代は除外例だったのだと思います。仏教は
  「気狂い」にタッチしないというのが浄土教の一つの教えなのでしょうけれど、親鸞教は明らか
  にタッチしないのです。
   江戸時代には、荻生徂徠1666~1728年、江戸時代中期の儒学者・思想家・文献学者)
  という漢学者がいまして、この人の書いたものに「親鸞師の宗派は大したものだ」とあるのです。
  どうしてかと言うと、「親鸞師は迷信的なことは一切言ったり、信じたりしないというのが親鸞
  教の人達には非常にはっきり根付いている」と言うのです。
   親鸞は「気狂い」というのはどうしようもない、宿命的なものだ、と言うけれど、他言えば、
  祈祷で治す以外にないようなことなのですね。その時代は、祈祷で治る、とか治らないとか思わ
  れていたのですね。親鸞は「それは嘘だよ」と言って、これだけは除外例にしていますね。他の
  宗派でしたらなおさらそのように考えた方がいいように思いますけれども、宿命的な病いには手
  を付けない、という考え方が根本的ではないかと思いますね。
   それ以前は、天皇や女官、皇族を祈祷で治すというのを看病禅師がやっていましたが、それは
  親鸞や道元の鎌倉時代に入る前までの仏教の主なお役目になっていました。道元の「道元禅師語
  録」を読むと、その当時、空海を弘法大師、最澄を伝教大師と言っていますが、新興宗教の一つ
  である曹洞宗では、「大師なんて名前が付いている奴はろくな奴がいない」ということを道元は
  率直に書いています。
   朝廷の貴人を治したとか、治し方が上手かったとか、その功績で大師と呼ばれているだけで、
  そういうのは坊主じゃない、というのが道元の理解ですね。本当の坊主というのは、道端のお堂
  に何年も龍もって、乞食のような格好をしても構わないで、座禅したり、読経したりする人が本
  当に偉い坊主だと言っています。大師といわれるような人は坊主の風上にも置けない、あのよう
  な坊主に習うわけにはいかないから、自分は中国へ行って習ってくると言って、道元は中国へ行
  ってしまったのですね。
   その当時は、何でも祈祷で癒していたので、お産のときでもそうです。お産が相当きつくて身
  体の弱い天皇夫人だと産後の肥立ちが悪くて死んでしまうことが割に多かったものですから、祈
  祷をしながらお産をして、母子共に生きていたら大したものだ、珍しいことだというくらいのこ
  とですから、病気というのはことごとく祈祷の問題になっていたと思います。そうした祈祷や睨  
  いを信じないとすれば、親鸞のように除外例としておこう、というようになったと思いますね。
   道元はそのように言っていますし、口蓋のように口が悪くて、言いたいことを言う人は、逆
  に、口本のお坊さんでは天台宗の開祖・最澄という伝教大師だけが偉いのだと言う。どうして偉
  いのかというと、法華経を根本聖典とすることを絶対に譲らなかった、というのが古典主義者の
  口蓋の考え方ですね。新興宗教のなかで日差だけが最澄を評価しています。空海以下はすべて駄
  目だと旨って、一番駄目なのは浄土宗で、法然とその弟子たちは一番悪い、坊さんの格好をして
  いるけれど、本当は末法の世に出て来る仏教の破戒者だと言っていますね。
   親鸞は自分で「愚かな禿人」だと言っていますが、日蓮は親鸞のことを人であって坊主じゃな
  い、坊主の格好をしているだけだ、と糞味噌に言っていますけどね。
   道元と日蓮の時代になってくると、その頃病気に対してどういう対応をしたかということが
  解ってきて、ホスピスのようなことをやったのは浄土宗の源信の流れの人達ですね。親鸞だけは
  一切関知していない。
  親鸞は、「気狂い」というのは、仏教の外にあるものだという理解の仕方ですね。どういう対応
  をしたかというと、世俗的な病気に対して世俗的じゃない病気を対応させるのが唯一の解毒剤
  あって、あとは除外してしまうか、祈祷で治すしかないというのがおおよその構図なのではない
  でしょうか。
Q:そういう時代のなかで敢えて「狂女もの」といって「狂気」を取り上げたのはどうしてでしょう
  か?
A:手前味噌な言い方をすると、それは文学でやっているだけなのではないでしょうか。つまり、文
  学では、能でも「狂女もの」でもそうですけれど、前半まではまともであって後半になっ
  てガラッと狂ってしまうという構成はよくやります。つまり「気狂い」や「狂女もの」を誰もま
  ともに扱っていないし、リアルに扱っているのは自分たちだけだと思っていたのではないでしょ
  うか。はじめは声が普通だったのに狂ってしまうときもある、また途中で治るときもある、そう
  いうことがあり得るならば、確かに存在するわけですからリアルに扱ってみようと考えたのでは
  ないでしょうか。
   要するに、「狂気」をまともに扱う文学は、ことさら仏教思想が排除したり祈祷や占いで解決
  しようとしたりするのに対して、そうではない扱い方ができるのが特色と言えるのではないで
  しょうか。「気狂い」や「狂女もの」の能が始まったときに、能の役者とか脚本を書いた人とか、
  能の理論を作った人達は、そういうふうに思っていたのではないでしょうか。
   役者として大変優れている世阿弥の描いた「花伝書」を読むと、これは心理的に確かだと思え
  ることが書いてあります。例えば、若さの盛りのときには能役者は黙っていたって一種の花にな
  るから良いのだ。だけど、年を取って名人だと言われるような場合は、余り主役は演じない方が
  良い、傍役を控えめに演ずれば演技が一種の老いの花をもたらすことができる、と。
   年老いた能役者は花を過ぎたので若い盛りのときのようにはいかないけれど、花を持たせるな
  ら名人は傍役を演じて、しかも控えめに演じたら老いの花が少しは出て来るという言い方をして、
  役の心理を良く洞察していますね。




   もう一つ大したものだと思うのは、舞台の袖から観客の様子を窺っていて、沈んでいるように
  見えたときには意図的に足の踏み方を高く上げてバンと音が大きくなるような踏み方をして舞台
  へ出て行った方が良いということも言っているのです。「花伝書」は、演技の心理状態を非常に
  巧みに描いていますから坊さんというのはとんでもないことを放言している、ということは良く
    分かっていたのではないでしょうか。
    もう一つ、よく分かっていたと思える証拠は「源氏物語」は紫式部というとても由々しき人の
    作だと思いますけれども、この中に、浄土教の元祖源信をモデルにしたと分かるような「横川の
  僧都」というのが出てきます。このなかで源信の扱い方はちょっとからかっているな、と思える
  のです。「私の方が解っているさ」といった感じで、暗に覗かせているということが解りますね。
   ですから、能の役者も、脚本家も、理論家も、文学関係の人は、結構そういうところを考えて
  いて、坊さんの言い方はおかしいよ、と言う。それなら自分達の扱い方はどうかというと、まと
  もかどうかは別として、まともに近い扱い方をしようという考えはあったのではないでしょう
  か。つまり、文学では、仏教が排除したり、扱い方をどうしていいか分からないから祈祷や呪い
  で解決しようとする、そういう扱い方とも、普通の人の扱い方とも違う、別の扱い方をしてみ
  た、ということだと思うのですね。

●レーニン的唯物論の陥穽と仏教の世界

Q:吉本さんの立場からすると、宗教は解体していくべきだと受け止めていいのでしょうか。
A:僕は少なくともレーニンたちが言っているような唯物論や観念論とは違うのですが、観念論の中
  に仏教への信仰も入れてしまうのだという考え方はおかしい、という意味合いでは、宗教の観念
  論は認めなくてはいけないと思っています。僕には宗教の観念論というのは相当凄いものだと思
  っているところがありますから、好き嫌いで言うと、宗教とか宗教家というのは好きですね。 
Q:随分といろいろ勉強しておられると思いますが。
A:そうですね。
Q:特に親鸞ですか?
A:そうですね。親鸞は恐ろしい悟りを拓いた坊さんですね。坊さんは必ず親鸞の「唯信鈴文意」と
  蓮如の「正信渇大意」の中にある「白骨の御文」を読みます。僕の家は浄土真宗ですから、「白
  骨の御文」は特に易しいということもあってよく耳にしました。「朝に紅顔を誇っている身も夕
  には白骨と化す」ということを平気で言うので、子どものときから耳に残るようになっていたと
  いうことはありますね。
Q:私のところでも、祖父さんが昔よく読んでいたものですから、耳にこびりついています。
A:
子どものときから法事の度に坊さんが来ると、ひとりでに雰囲気がそうなっていて、「歎異抄」
  は易しそうだから最初に読んでみようと思っていました。
  レーニンの「唯物論」は怪し気で、結局、人間の脳よりも先に天然自然は、あるいは宇宙はあっ
  た、ということを認めれば「唯物論」だ、ということだけしか言っていないと思うのです。それ
  を認めないのなら、自分が目を眼ったら世界はないのだ、という考え方に陥るので、それは「観
  念論」だということになって、マッハ主義のように言われてしまう。ですけど、「観念論」や
  「唯物論」とはお構いなしに、人間の脳より先に、あるいは人類より先に天然自然はあったのだ
  ということは、いかなる人でも認めるのではないかと思いますね。そのことだけなら「唯物論」
  でも何でもないということになりますから、レーニンの「唯物論」を真似すると、フィジカルな
  サイエンスだけになってしまいます。そうすると、どこかしらに「観念論」が入ってきますし、
  生命体科学の遺伝子とか肉体の問題が入ってくると、水は水素と酸素からできているという簡単
  なことが通用するのは特別な場合しかないのですね。サイエンスはもっと複雑になってきている
  わけですから、レーニン的な意味での「唯物論」というのは通用しないだろうなと思っているの
  です。
   ですから、普遍的な意味での世界性と言えるものはサイエンスだけであって、しかもサイエン
  スも、水は酸素と水素からできているというのを化学式で書けば通用するような、単純なサイエ
  ンスは、エングルスの「自然弁証法」の時代でしたらそれでも良いのですが、今はサイエンスだ
  けだということも言えないようになっていると思っています。
   そうすると、仏教は迷信的要素を排除すれば、人間の精神について最も良く考えている、と言
  えそうな気がするのです。そういう意味で宗教性というのは滅びないのではないかと思いますし、
  僕はそう考えて良いのではないかと思います。そのように考えないと精神現象は全部表現でしか
  解釈しなくなってしまうし、できなくなってしまうのではないかという気がしています。


                               『異形の心的現象』pp.171-182

                                     この項つづく  
 

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Unknown (中川さやか)
2014-04-02 11:55:48
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