極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

発熱するスマホ

2014年02月23日 | 時事書評

 

 

 

【発熱するスマホ】 

国民生活センターは、スマートフォンの充電端子の焼損や、本体の発熱に関する相談が急増
ているとして、消費者に対し注意喚起を行うとともに、寄せられた相談内容をもとにした
調査
結果を公表した。国民生活センターでは、充電端子の取り扱いに毎回注意し、発熱した
本体は
肌に長時間接触させないよう案内している。今回対象となった「スマートフォンの充
電端子の
焼損や本体の発熱等」に関しては、2009年度~2013年度12月31日までの4年弱の間
に、合計1032
件の相談が寄せられた。このうちやけどや、やけどしそうになった「危害・危
険情報」に区分
される相談は268件。いずれも、2012年度から相談件数は急増しており、2013
年度は前年の同
時期と比較しても増加傾向にあるという

尚、調査では具体的な事例も紹介されており、充電端子部分が溶けて焼損したり、就寝中に本
体に
長時間触れて低温やけどを負った事例、通話中の発熱により頬に低温やけどを負った事例
などが明らかにされている。焼損の事例を受ける中で、個々の事例の原因調査や、事例を再現
するテストも実施している。ただし、焼損の事例では明確な原因の特定には至ってい
ないとい
う。電端子が焼損した1つの事例では、microUSB端子内部の5本の端子のうち、5V電源用
の1番ピン周辺の損傷が最も激しかった
。別のテストでは、この1番ピンを意図
的に破損させ
て充電すると、接点部が異常に過熱することも再現されている。一方で、300回のmicroUSB
子の挿抜テストでは、同型の製品において端子の損傷はみられなかったほか、調査を依頼され
た事例では、焼損した端子部分に異物の痕跡は確認できなかったという。  

 
本体が発熱するという事例では、依頼を受けて当該の端末を調査すると、ゲームやテレビ電話
を使用すると10分程度で本体上部が最大54℃、背面側で最大58℃にまで上昇。このとき、温度
の上昇を防ぐため、画面には警告が表示されてアプリが終了する仕組みになっていた。また、
バッテリー部分は発熱していなかったことから、発熱の主な原因はCPUへの負荷が増大したた
めとしている。国民生活センターでは、消費者に対し、スマートフォンを充電する際は、充電
端子の取り扱いに毎回注意するよう案内。低温やけどを防止するため、充電や使用中に肌に長
時間密着させないようにも案内している。

CPUの過負荷による発熱、低温火傷の体験はマイピーシーで経験済みである。使いう側のリテ
ラシーを上げて緊急避難するしかないが、余裕を持った熱設計にするためのメーカ努力と大事
に到らぬための取り決めルールを早急に決めることも大事だろうと感じた。 


 1999.09

【アベノミクス第三の矢 成長戦略論】

アベノミクスの「第1の矢(大胆な金融政策)」と「第2の矢(機動的な財政政策)」が経済
(生産物市場)の需要サイドに作用する一方、「第3の矢(民間投資を喚起する成長戦略)」
がその供給サイドに作用することによって、アベノミクスがめざすところの「成長による富の
創出」に寄与しようとしていることを説明した。そして、これらの3本の矢が一緒になって初
めて、日本経済の成長に寄与することを、報告書「日本再興戦略-JAPAN is BACK-」とそれを
進めるための「日本再興戦略 中短期工程表」に示されている。また、この報告書に対する批
判も出そろっている。

 

ここでは、一旦、この報告書を離れ、過日、このブログの『未来共有への合意形成』で紹介し
たた吉本
隆明著の『僕なら言うぞ!!―世紀末ニッポンの正しい眺め方、つきあい方』の第三
章「『不況』をさらに深刻にする奴ら」を手がかりに"成長戦略"について考えを進める。


  ●国がなくなっても大丈夫

  まずこの不況のとらえ方に大きな前提があると思います。
  第一に、判断がどんなに遅くなってもいいですから、自分の直感に映った光景を信じる
 べきだと思います。自分が温泉や行楽地に遊びに行ってみたら、まるでさびれた死の街み
 たいで、うそ寒い思いが実感されたら、それが「不況」「大倒産時代」の本当の姿です。
 決してテレビや報道機関に出てくる明るい話とか希望的な観測や言論に惑わされないでも
 らいたいです。
  そうとうに見識のある専門家でも、自分が「不況」や「倒産」や「リストラ」でさしあ
 たり困っていないときは楽観的な言論になるものです。そんなものより、巷や繁華街や歓
 楽街で道を行く人や遊び人が、こそこそ、ひそひそと、何となくこう思えてならないと話
 している実感の方が正確です。何よりもそれは個人消費が低迷を続けている証拠ですから。
  僕の知人で、ボール箱をつくる中小企業をやってる人は、銀行が貸し渋っています、と
 話してました。
  銀行が貸し渋っているのは、一つは、貸すと返ってくる公算が少ないかもしれないとい
 うことで締めているのかな、という気もします。そうじゃなければ、日和見してる状態な
 のか、それとも、銀行にお金が本当になくて、少し大規模になると貸すだけの金もないの
 かな、とも思います。
  敗戦直後などは、四、五ヵ月、厳密に言わなければ一年か丁年半ぐらいですが、その間、
 日本国政府はなかったわけですよ。
  戦争やってたけど負けちゃったと言って、戦犯になりそうな人は逃げていなくなっちゃ
 うし、そうじゃない人だって、もう知らん顔して、ただただ責任逃れになってしまう。み
 んな投げ出して、それまで食糧の配給はどこそこがこうやってとか、どこそこが指示をし
 てとかやってたんだけど、誰も何も言わない期間が、ありました。
  だけど、人間というのは、国がなくなったって生きるもんだな、というのが僕の実感で
 した。
  なけなしの金や衣類を食糧に代えて食べつないでました。明日食うものがなきゃしょう
 がないからというんで、とにかくあり金をみんな集めて、僕らだったら京成電鉄沿線の千
 葉県の農家にお芋か何か買い出しに行って、それを食べるとか、それをまた近所で何かと
 物々交換して食いつなぐみたいなことをしてきたわけです。
  警察官も形の上では取り締まるために、ときどき電車の中で臨検みたいなのをするんだ
 けど、そんなことしたって、取り締まるほうだってやる気もないわけです。上で命令する
 政府がないんだし、それに自分たちも食べなくては生きられない点では同じですから、同
 情心もあります。つまり、無理なこと言う気もないから、あんまりやかましくないんです
 ね。みんな、どうせ食えねえんだから、といって連帯意識を持ってるから、臨検がどこそ
 こであるぞとかいうようなことも、ちゃんと自然に伝わってくるんです。
  そうすると、前の駅で降りて、ひと電車遅らせるとかして、それを逃れて運んできて、
 お金がなくなると、その次は衣料品で交換する。
  そうすると、食糧品は生きていく上で欠かせないものだから、農家は威張っちゃって、
 何て野郎だと思うんだけど、しょうがないんですね。頭下げて、俺のところでは売らねえ、
 と言われると、また次に行って頼むわけです。
  とにかく何とかして食いつないで、その間政府なんてのは何にもない。もちろん世話し
 てくれる人は誰もいないから、自分で食うよりしょうがないよなというんで、みんなで食
 いつないで、それでついに餓死したというのは、僕はあんまり聞いてないんですね。配絶
 品しか食べないで餓死したという裁判所の判事(注8)が新聞に出たりしたけど、それぐら
 いのことしかなくて、とにかく何とかかんとか、みんな食いつないでいた。
  厳密には数カ月、でも一年半ぐらいはそれでもって優に生きられるもんだ、というのが
 実感でした。
  そこまで開き直って覚悟を決められたら、現在の日本の生活水準なら、まだまだ何かや
 れる余地があるのではないでしょうか。
  例えば新しいベソチチャー企業を共同で工夫するなど、いろんなことができると思いま
 す。
 しかし正直に言って「不況」「大倒産時代」「リストラ」など、すべて政治・金融・企業
 体の首脳の無能さの責任であるとともに、そこから脱するカギを握っているのも、今のと
 ころそういう連中です。これはどうすることもできないほど口惜しいことですが、僕ちの
 いうことが消極的な口振りになってしまうのはそのためです。
  とはいえ、国民の上に立つ彼ら政府や政党などに、いい気になってもらっては困ります。
 知識人もそうです。よく知識人などが選挙に当選すると、「おめでとう」とか言って、万
 歳、万歳とやっているでしょう。何がおめでたいもんですか。当選したなら死ぬ気で政治
 をやれ、国民大衆のことを忘れるなと言いたいですね。
  こういう経験を積み重ねてゆくことで、無能で一般国民をないがしろにする首脳を政治
 から排除していくことがいずれできるようになると思います。

   ●みんなこうして喰いつないでいる

  できるだけ実感と経験に近いところを例にするのがいいと思いますから、出版と物書き
 の世界を例にとります。
  僕らの知っている出版社で、出版業としては大きいところ、例えば中央公論を例にとる
 と、読売新聞社と合併して吸収されています。社員を「リストラ」しないという条件だと
 報道されていました。これは名のある大出版社や、老舗といえる名跡の出版社だったら可
 能な「不況」の切り抜け方です。
  自己破産を宜して新社をつくり、借財を完済するというやり方は、「不況」でなくても
 行なわれてきました。
  名もない中小の出版社で、散十人から散人でやっているところは倒産するか、または開
 店休業状態にして在庫をさばくために、社員を「リストラ」縮小しつつ「不況」をやり過
 ごす方法をとっています。
  物書きから見ますと、資本主義はいい文学者、いい作品を金銭的にか、名声によってか、
 助けました。けれど超資本主義は消費者(読者)本位に動きますから、必ずしもいい文学
 者、いい作品を助けてくれません。その代わりに消費者(読者)の多い大衆性・娯楽性の
 ある作品を助けます。そのことが、消費者(読者)の少ない作品や作家を、ますます困難
 におとし入れているわけです。この現状に照らして、出版社はどうすればいいのでしょう
 か。
  一つは、たとえ読者がI人もいなくなっても、いい作品、いい作家を経済的に援助し、
 ますますいい作品を書けるように尊重することです。もう一つは、盛んなだけで大衆性・
 娯楽性で読者をたくさん得ているにすぎないように見える領域から、珠玉のような作品を
 発掘する努力を惜しまないことです。資本主義時代には活字など見向きもしなかった人が
 読者(消費者)として登場してきたのが、超資本主義社会の特徴ですから、必ずその領域
 にいい作品、作家が埋もれています。
  ところが今、一般的に出版社が使っている方法としては、社員の給与やボーナスを切り
 下げ、物書きには印税や原稿料の支払いを小刻みにし、遅延するというものです。理屈か
 らいえば支払いを小刻みにし、無限に遅延すれば、支払いはないことと同じになります。
  また、これまで堅い本ばかり出版し、それを誇りや自慢にしていた出版社が武家の商法
 で、急ごしらえの軟らかい本をつくったりして、じたばたしてみるという方法を採ってい
 るところもあります。
  物言きとしての僕自身、支払いが遅れがちで、寒い雰囲気がただよっています。
  また、自分でこの本はどのくらい売れるはずだという予測が、かなり正確に自己評価で
 きるのですが、それが発行部数を減らされたり、刻まれたりすることから「不況」を感知
 します。
  物言きとして「不況」に対応する方法は、今のところ1つしかありません。それは内容
 の程度を落とさないで、易しい文体表現を工夫して試ること。それだけの能のない話です。
 直版式の販売方法もとれないことはないのですが、これは気心の知れた出版、編集人の協
 力なしには、物書きには不可能に近い方法です。
  この「大不況」に遭遇して出版社を含む企業体のとっている対策はみんな間違っていま
 す。交際費、出張費を減額節約し、恒常消費を電燈の点滅までやかましく強い、支出は引
 き延ばし、社員を「リストラ」して減らす、というやり方です。
  「リストラ」の金銭的な効果がいかに少ないものか、そして心理的(精神的)な不安効
 果がいかに大きいものかについては、先に少し触れました。「リストラ」だけではなく、
 今ここにあげた節約の方法もまた、いかに無意味に近い支出節約にすぎないか。「リスト
 ラ」の場合と同じように考えてみると、よくわかります。
  僕が企業体の責任者だったら「不況」対策としてやってみたいことは、まるで反対のこ
 とです。
  社員の給与を増大させ、商品は多種多様化させ、安価でしかも品質を落とさないように
 する。あるいは社員には給与を増大させる代わりに、多少の創意や労働意欲を増進させて
 もらうことです。もちろんこれは政府が、第三次消費産業が求めるだけの公共投資をつぎ
 込むことが、大きな助けになることを前提とします。
  また、これは第三次産業のサラリーマソ、労働者が全体の60~70%になっていると
 いう現状認識がなければ、できるものではありません。しかし、僕ならそういう直接的か
 つ積極的な方策をとって個人消費の増大をはかるでしょう。
  僕には「不況」を防衛する一般国民という受身の場所しか持っていないのが残念でなり
 ませんが、為政者や金融・経済のエキスパートが本気になれば「不況」からすみやかに脱
 する手段は、まだいくらも残されているはずです
  これがもしも駄目で、今度はいよいよ日本の不況は窮まった、いよいよアメリカが乗り
 出してきた、金融専門家を送り出してきた、というふうになったら、敗戦の時と同じで、
 責任を持つやつが誰もいなくなっちゃって、どうしたらいいんだ、ということになりそう
 な気がしますね。
  そうなると、そうとう覚悟しないと、もしかしたら本当に食糧を食いっぱぐれちゃうよ、
 ということを誰もが考えなきやいけない、ということになるかもしれない。遂にそこまで
 行かない限りは、何かかんかして、便法を使って食っていくことは、不自由でもできない
 ことはないです。

  ●物書きとしての不況対策

 
  大きなことを言うな、お前はただの在野の▽介の物書きにすぎないのだ、まずお前が破
 産しないようにしろ、余計なおせっかいはするな、というところに還りましょう。
  お前は物言きとしてどんな「不況」対策をもっているのか、またどうしようと思ってい
 るのか、という問いは、自問自答の形でもやってきました。
  また「物書き」とは何なのか、職業として成り立つものか、時代の「不況」に遭遇して
 どう切り抜けるつもりか、これは他人から問われる前に、十分な答えを持っているはずの
 ものです。
  僕の物書きとしての「不況」対策は実行する段では難しいですが、言葉で言えば簡単で
 す。
  第一に、できるかぎり易しい表現の仕方をして、しかも少しも程度を落したり、読者を
 なめたような説教にならないことを心掛けること。
  第二はどんな分野のことについてもおそれや好き嫌いを排して、主題として立ち向かう
 こと。
  第三に、残業につぐ残業で仕事時間をのばすこと。
  これは今までも職業的には心がけてきたことですが、それを改めて意識的に試てみるこ
 と。それからどんな職業人でも同じですが、「不況」を正面に据えて、むだな心身の負担
 を重くしないことです。
  なぜ無能な政治家や官僚や経済人のお陰で俺がそんなことをしなければならないのかと
 考え出すと腹が立ってきますが、腹が立とうが、疲労が重なろうが、即物的に生きるぞと
 いうことを最優先します。
  本当に芸のない話ですが、身体さえ大丈夫ならすぐできることですから、まずこれで
 「不況」を切り抜けられるかどうかやってみることにしましょう。どこまでやれるかおな
 ぐさみ、というところです。
  太平洋戦争の敗戦期に比べて少しは経験と思考を蓄えてきましたから、見識だけのイメ
 ージは、日本国政府やアメリカよりも大きく高い視野で世界経済を見ることができます。
 そしてこの大きな視野で世界を視ることを、国民一般ができるようになったときが、世界
 が変革されるときです。
  そのときには、無能な連中が「不況」をまねいた責任は、第一の敗戦時の戦争責任と同
 じように経済責任として、晴れて「物書き」の立場から追及させてもらいます。
  物を書くということは、物を読むことと同じで、文化です。けれど、同時に物を書いて
 印税をもらったり、本にしたりすることは普通の生産と消費、需要と供給の経済行為でも
 あり、物書きはたまたま生産者、読者はたまたま消費者です。
  創造が経済と背中合せにくっついて引きはがせないのが「物書き」という職業の特殊な
 本性で、すべてはそこから生じます。
  物言きというのは、今まで書き慣れてた文体とか主題とか、そういうことにこだわりた
 いものだし、しかも多少でも啓蒙的でないと嫌なんですね。そういう傾向があるんです。
 でも、お説教じみないで、ちゃんとしたことが言えてて、とてもやさしい言葉で書いてあ
 る、みたいなことができれば万々歳の理想だということなんです。
  それじゃなければ、本当にエンターテイメントというか、もともとそういう志向がある
 人なら、それで行けばいいわけです。推理小説を書いたりとか、物語をつくる能力がある
 人はそうやっていると思います。僕らみたいなのはそういう才能がないから、結局、自分
 のやってきたことでいくとなると、とにかくやさしくして程度を落とさない、というやり
 方が、唯一のやり方になるんです。
  あとは内職みたいな零細かどうかを問わず、とにかくどんな仕事でも請負っていって切 
 り抜ける。それだって、単に金銭的にみれば僕らはちょっと不服がのこる、やれと言われ
 てもなかなかできない抵抗感があります。
  でもそんな不器用な一手しか「不況」に立ち向う方法はない。そしてそれでも「不況」
 を切り抜けられなかったら、また工夫しなくてはならないでしょう。

                     -中 略-
  
  ●リストラされても自分を責めるな

  そのためには、出版資本である消費資本と編集者が奮起するほかないんです。
  だから、気分の対策としては今の状態だったら、まず、心配、深刻になることなく、お

 おらかに、気を強く持つ効用を言いたいとおもいます。
  倒産した中小企業、「リストラ」されたサラリーマソ、不正融資の責任を問われて検察
 に召喚されていた長銀の元副社長など、ニュース種になった自殺者の数と階層は多岐多様
 です。
  これは痛ましい限りのことですが、無能で無自覚な政府与党や、何もわからないでメダ
 カのように群れている旧左翼の連中にいくら説いてもわかりっこありません。
  現在も強い「不況」の進行度で死を選んだ人たちがいますが、当事者にまだ生きられる
 じゃないか、深刻になるなといっても無理なことは、よくわかりますし、誰だってそんな
 気持になるものです。しかし政党、政府の無能の犠牲になって死んだりするな、我慢づよ
 く生き抜いてくださいと、願うことしきりです。
  それに関連しますが、こんな深刻な目にあっている自殺者がある一方で、すぐ隣りでお
 笑いや遊びや娯楽が行われているという社会を承知し、赦すこともおすすめしたいのです。
 日本人が初めて本当に必要とする寛容さが、これですから。
  本なんか使利なもんで、僕はそういう覚えがありますけど、神田の古本屋街もこのごろ
 画万化してきて駄目になりましたが、かつては、こっちの本屋とあっちの本屋で、値段が
 ぜんぜん違う同じ古本が置いてあったりしたんです。そうすると、こっちで買ってあっち
 で売ればいいんじゃないかと思いました。本が骨董品とおなじく文化的な価値で価格が定
 められたような、古典的な古本が存在しえたころは、古本屋さんの価値判断の相違から本
 当にそのくらい格差があることがありました。ちょっと足はくたびれるけれど、古本街を
 回って、同じ本を安いほうで買って、高いほうで売ってやる。いざとなったらそれもでき
 たのです。
  だけど、今はそうじゃない。古本も個展も消費者(読者)本位で価格が作られるように
 なりました。
  結局、こういう時代にしてしまったのですから、誰がどう考えたって今の「リストラ」
 失業の本当の責任は、政治・金融産業の首脳たちの無能、失敗、ヘマにあります。
  つまり、「リストラ」されたものには何の落度もない。自分を責める必要はないわけで
 す。顔をあげ、胸をはり、目をしっかり見開いて、現実社会の有り様を見すえて、土台と
 なる手段を前向きに探すべきだと思います。
  寄り集まっていい智慧を出し合い、協力し合って新しい企業概念やサラリーマソ概念を
 つくりだすところまで、行けたらと思います。
  僕は希望的な観測も空想も一切述べようとおもいませんが、国民一般が黙って我慢して
 いるために、図に乗って改革をサボッているこの社会の指導的な立場の人たちは、今のま
 まで自分たちが国民から許されていると考えたら、大いなる錯覚だと思った方がいい。
  温和な日本の国民一般でも黙っていないときがくると思います。


                 吉本隆明著 『僕なら言うぞ!』第3章、PP.66-79



ここでは、『ハイ・イメージ論』などで展開されている「高度消費資本主義社会」論を踏まえ
つつ―
僕が企業体の責任者だったら「不況」対策としてやってみたいことは、まるで反対のこ
とです。(1)社員の給与を増大させ、(2)商品は多種多様化させ、(3)安価でしかも品
質を落とさないようにする。あるいは社員には給与を増大させる代わりに、(4)多少の創意
や労働意欲を増進させてもらうことです。もちろんこれは(5)政府が、第三次消費産業が求
めるだけの公共投資をつぎ込むことが、大きな助けになることを前提とします―の5つの政策
に集約されることは、わたし(たち)が主張してきたポスト・ケインズ主義的政策(『デジタ
ルケインズと共生・贈与
』)とほぼ同一とみなせる彼の主張だ、ただ、「環境リスク本位制」
時代に移行しているとみなす考え方とは、真っ向から対立する局面も想定されるから手放しで
と、いうわけではないが-基本線、同意させられるものである。
 
                                       
                                                      この項つづく                

 

 
    

今夜は、冨田酒造の「七本鎗 純米 シェリー樽熟成」とそのシェリー酒樽の産出国スペインの
アヒージ
ョのアレンジ八丁味噌アヒージョについてブログ掲載したかったが、明日にでも掲載
することにしたい。 

 

コメント
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