極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

原理なき復興

2011年04月20日 | 緊急|東日本大震災





【プリンシプルのない日本】

朝起きテレビで、日光の観光客が95%減だというのでコメンテータ
が色々手を尽くして観光しようと煽っていて、ある女性コメンテー
タが「社員旅行で観光しては」と提案しているので唖然としてしま
った。余震・群発地震・連動地震の発生が起きやすい、少なくとも
半年間はという国民の思いが正しいなら、もし現地で災害に巻き込
まれ死亡したらその会社は一巻の終わとなる。わたし(たち)の行
動原則は、自己責任の行動でというものと、観光客が減ったから地
域経済の復旧のために協力せよと付和雷同し煽ることを強く戒めな
ければならないというものであり理性を欠いた発言には失望した。

また、震災復興の財源は増税と五百旗頭真復興構想会議議長の発言
に驚いたが、その背景に経済界保守派や与謝野、藤井などの旧大蔵
官僚保守派(旧福田派)の政治家や官僚の画策があることは間違い
ないが、軽佻浮薄で原理原則を欠く発言にも強く失望していた矢先
でありここはブログで批判しておかねばと思い立つ。そんなことを
考えていると、10年近く前に読んだ、白州次郎の『プリンシプルの
ない日本人』を思い返した。


 プリンシプルとは何と訳したらよいか知らない。原則とでもい
 うのか。…西洋人とつき合うには、すべての言動にプリンシプ
 ルがはっきりしていることは絶対に必要
である。日本も明治維
 新前までの武士階級等は、総ての言動は本能的にプリンシプル
 によらなければならないという教育を徹底的にたたき込まれた
 ものらしい

 新憲法のプリンシプルは立派なものである。主権のない天皇が
 象徴とかいう形で残って、法律的には何というのか知らないが
 政治の機構としては何か中心がアイマイな、前代未聞の憲法が
 出来上ったが、これも憲法などにはズブの素人の米国の法律家
 が集ってデッチ上げたものだから無理もない。しかし、その
 リンシプルは実に立派である
。マッカーサーが考えたのか
幣原
 総理
が発明したのかは別として、戦争放棄の条項などその圧巻
 である。押しつけられようが、そうでなかろうが、いいものは
 いいと率直に受け入れるべきではないだろうか

 私は、“戦後”というものは一寸やそっとで消失するものだと
 は思わない。我々が現在声高らかに唱えている新憲法もデモク
 ラシーも、我々のほんとの自分のものになっているとは思わな
 
。それが本当に心の底から自分のものになった時において、
 はじめて“戦後”は終わったと自己満足してもよかろう


            白州次郎『プリンシプルのない日本』


  その1

さて、高速道路無料化政策の見識では異なるもののわたし(たち)
リフレ派と同様の立場にいる上げ潮派の論客の高橋洋一はで次のよ
うに復興税導入を批判している。


 復興構想会議運営要領7条で、「会議の庶務は、内閣官房にお
 いて処理する」とかかれている。具体的には、佐々木内閣副長
 官補を室長とする被災地復興に関する法案等準備室である。佐
 々木内閣副長官補は財務省出身で、この内閣副長官補というポ
 ストは代々財務省からの指定席だ。財務省は、そのほかにも、
 総理秘書官や官房長官秘書官など官邸内の様々な重要ポストを
 握っており、官邸を自由にコントロールできる。14日の復興構
 想会議の様子の一部は官邸のインターネットテレビでも見るこ
 とができるが、それでも、説明者の背後に、何人もの財務省官
 僚がいることがわかる。会議の庶務をやっていると、会議のス
 ケジュール調整や会議の説明ということで、委員に直接接触す
 る機会が多い。その時に、「ご説明」を行い、経済にあまり詳
 しくない有識者は、財務省にころりとやられてしまうのだ。

 
     『あらためていう。「震災増税」で日本は二度死ぬ
         現代ビジネス 「ニュースの深層」4月18日

※「東日本大震災復興構想会議運営要領(案)」

 その2

 その3

  その4

 その5

 その6


趣旨はデフレ脱却という観点から擁護されるてもいるが、そもそも
こんかいの復興は、残余資産価格の見積もりどのぐらいかわからな
いが、例えば、90%の損失として、復旧分にさらに60%を新しい構
想分の投資だとして150%の国土資産に積み上げると考えれば、建設
債でありえても赤字国債ということはあり得ないのだから(外国人
による復興であれば借金と見なせなくはないが)、消費税の変則的
増税とする見識の原理が皆目、わたし(たち)には理解できないの
であり、代わりに、例えが悪いが、火事場泥棒的な‘増税先にあり’
というエモーショナルな煽りとしか受け取れないのだ。


【ドイツ連帯付加税と帝都復興院】






高橋洋一は、具体的に増税によるドイツの景気停滞と日銀引受けの
常態化を説明する2つ図を示し、復興債発行の正統性を主張してい
る。ドイツの場合は連帯付加税導入だけでなく、ドイツ統一時の統
一前の東西ドイツの通貨レートの過大評価(1西独マルク:6東独
マルク、公式のレートはあくまでも1:1)という混乱もあり今日
の経済停滞に繋がっている(この件はブログでも掲載し触れた『朝
鮮統一と太子信仰』)。

※伊藤さゆり「低迷するドイツ経済
※極東極楽「
持続可能な東北関東大地震復興




帝都復興院は、1923年(大正12年)9月1日に起こった関東大震災翌
日の2日より、帝都復興省案とともに検討され、9月27日に山本権兵
衛内閣により設置された政府機関。総裁は内務大臣後藤新平(元鉄
道院総裁・東京市長)が兼務し、幹部には後藤の腹心やブレーンが
集められた。総裁官房・計画局・土地整理局・土木局・建築局・経
理局・物資供給局が置かれ、内務省、鉄道省その他から有能な技術
者を集めて、帝都復興事業に取り組んだ。復興院が立案した帝都復
興計画は、伊東巳代治(枢密顧問官)ら長老政治家や、野党政友会
の反発によって大幅に縮小された。また同年12月の虎ノ門事件によ
り山本内閣が総辞職すると、総裁は後藤から水野錬太郎に交代し、
1924年(大正13年)2月25日に帝都復興院は廃止された。帝都復興
事業は内務省の外局として設置された復興局に引き継がれた。なお
復興局は1930年(昭和5年)年4月1日に復興事務局に改組され、1932
年(昭和7年)4月1日に復興事務局も廃止された。 
 

後藤は一人で東京復興の基本方針

  1. 遷都すべからず
  2. 復興費は30億円を要すべし
  3. 欧米最新の都市計画を採用して、我国に相応しい新都を造営せ
    ざるべからず
  4. 新都市計画実施の為めには、地主に対し断固たる態度を取らざ
    るべからず

を練り上げる。こうして後藤は即ちに復興計画策定を内務官僚に指
示、あわせて復興組織づくりを進めたが、
事業規模は当時の経済状
況をかんがみて縮小され復興の組織や意志決定も後藤が思うように
はならなかった

設計に当たっては復興帝都にふさわしい意匠を成すために外国事例
や画家や作家などの意見を聞くなどして、
建築家野田俊彦の「全て
同一形式」意見を一蹴
。また建築家の協力が求められることとなり、
当時の逓信省の営繕部局に勤務する建築家スタッフをスカウトして
設計組織を形成していった。部長太田圓三や課長の田中豊はまず山
田守を、続いて山田の推挙で山口文象を嘱託とする。山口は後に日
本電力の嘱託技師となる。山田は聖橋等を担当。山口は数寄屋橋、
清洲橋、八重洲橋をはじめ、数多くを手がける。復興局が手がけた
橋の数は100以上といわれている。帝都の門たる第一橋梁の永代橋は
アーチ橋とし、第二橋梁の清洲橋はライン川にかかるケルンの吊橋
をモデルとするやわらかさを感じさせる案を採用し、橋の博覧会と
もいえるような状況が生じた。こうして隅田川の橋梁群は個々の橋
が多様なデザインを主張しながら、全体として都市景観に高いシン
ボル性をもたらすこととなる。作家永井荷風も随筆「深川の散歩」
の中で、清洲橋からの隅田川の眺望を書き残している。


【世界に広がる反原発の輪】

Maine Nuclear Power Station




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