今日は見るネージュです。
ホワイトチョコ、ミルククリーム、シュガーパウダー・・・白いものだけでおいしいお菓子作っちゃいました。ホワイト・イズ・デリシャス。言葉にならない、雪のような味わい。
そう、言葉にならない・・・つまりは言えない。言えないことについて話しましょう。言いたくても言えない話。
とある洋菓子店に行ったときのことです。アップルパイをふたつ買いました。ケーキと同じショーケースに並べられており、店員さんに頼んで取ってもらいました。
店員さんは、「袋いりますか?」と訊いてきました。そのお店も、スーパーやコンビニと同じように、袋が有料化されていたのです。僕は「ください」と答えました。
すると店員さんは、まず紙の袋にアップルパイを入れました。ファーストフード店などで使われてる、手提げが付いていない、口のところを折りたたむ、長方形タイプのやつです。そして、さらにそれをレジ袋、ビニール製の手提げ袋に入れようとしました。
僕はとっさに、「有料なのはそっちですか?」とレジ袋を指さしました。「そうです」と店員さん。「じゃあ紙の袋は?」と訊くと、「こちらは無料です」とのこと。なので、「だったらそっち(紙袋)だけでいいです」と言いました。
それで紙袋のまま受け取ったのですが、そのときはすでに会計済みでした。アップルパイふたつと、レジ袋代を払ってます。
レジ袋を断ったので、当然その代金3円を返却してもらわなくてはならないのですが、店員さんはそのことに思い至っていません。アップルパイを渡して、あとは立ち去る僕に向かって「ありがとうございました」を言うだけ、という構えを見せています。
僕は、「えっと・・・この袋(紙袋)は無料ですよね」と言ってみましたが、店員さんはキョトンとして「はい」と答えるだけで、レジ袋代を受け取ったままであることに気づかずにいます。僕は打つ手がなくなってしまいました。
ハッキリと「レジ袋代返してください」と言えば済む話です。でも、それを言うとどうなるか。
店員さんは「すみません、失礼しました」と、失態を詫びねばならなくなります。それはいきさつ上しかたないことではありますが、僕は「たかだか3円で謝らせるのもなぁ」と気が引けてしまったのです。
たかが3円。それくらいなら損したとは思わない。でも、買ってもいない袋代を払うのは、なんか気持ちがスッキリしない。
なので、損得じゃなくて、気持ちを穏やかにするために返してほしかったのですが、そのためには店員さんに頭を下げさせないといけないのです。
たかが3円です。たかが3円のために、店員さんに「失礼しました」と言わせる?それはかえって申し訳ない。
お金は返してもらいたいけど、謝らせたくはない。僕はジレンマに陥りました。
時間にして1,2秒。僕は3円の無返却を指摘するか否か、脳内を激しく煩悶させました。
んで、最終的に無言で立ち去りました。「やっぱ言えねー」ってなり、モヤモヤを抱え込むほうを選んだのです。
こういうことはほかにもあります。コンビニで買い物するときです。
コンビニは基本的にお弁当に箸をつけてくれます。お店によってはサービスでおしぼりもつけてくれる。その、おしぼりサービスのあるお店で買い物するときに、ちょいちょい起こることがあるのです。
僕はお弁当を買うときはほぼ必ず箸をもらうのですが、お惣菜とか、一品ものを買うときは箸を断るんですね。
ベテランの店員さんにもなると、客が手に持っている商品を見て、バーコードを読み取る前に、箸やらスプーンやら、必要なものをカウンター上にスタンバイさせます。そこで僕が「箸いりません」と断ると、スタンバイさせていた箸をカウンターの下にひっこめるんですけど、箸だけじゃなく、おしぼりも一緒にひっこめちゃうんですよね。
僕は箸は断ったけど、おしぼりは断っていない。おしぼりは欲しいんです。なのに、店員さんはひっこめちゃう。
なんか店員さんの中では、箸とおしぼりがセットになっちゃってるみたいなんですよ。仕事だから毎日同じことずーっと繰り返してるわけじゃないですか。箸とおしぼりをセットで出す、っていうのを、1日何十回何百回、毎日のように繰り返している。
そうすると、箸とおしぼりは分離することができない、ふたつでひとつのもののように思えてくるんでしょうね。箸がいるなら当然おしぼりもいる。箸がいらないなら当然おしぼりもいらない。そのようなマインドになってしまうのでしょう。ベテラン店員さんの意識の中では、箸とおしぼりはピッタリくっついているのかもしれません。
だから、「箸いりません」と言われておしぼりまでひっこめてしまう。それはまあしょうがないんですけど、そうなると僕は、「おしぼりはください」とは言えないんですね。なんか、ちょっとあつかましい気がして。「ああ、おしぼりが・・・」と思いながらお店をあとにするのです。
同じことはまだあります。僕はコンビニで、お弁当を買うときと購入点数が多いときは、レジ袋をもらいます。小さいものを2,3個買う場合はレジ袋は断ります。
袋を断る場合は、商品をレジカウンターに置きながら「袋入りません」と言います。店員さんが「袋つけますか」と訊かなくていいように、先に言うのです。
店員さんは、同じ動作、同じ言葉を何度も繰り返さねばなりません。それって、けっこうしんどいですよね。ずーっと続けていると、ウンザリしてくるはずです。
なので、「袋つけますか」というセリフを1回だけでも省けるよう、自分から「いりません」と言うのです。僕は優しいですからね、ええ。
なのに、「いりません」と言うと、かなりの確率で返事が返ってこないのです。店員さんに、無視されてしまうのです。
これ、けっこう不思議です。別に愛想の悪い店員さんではないのです。ちゃんと「ありがとうございました」と言ってくれる。なのに、「袋いりません」にだけは返事をしてくれないのです。
どこのコンビニの、どこの店員さんであっても、高い確率でこの法則が成り立つのです。なぜなのでしょう。
ひょっとしたら、「マニュアル外のひとこと」だからかもしれません。コンビニは、比較的マニュアルがキッチリしています。「こういうときはこう」というお約束がしっかり決められている。
自分から「レジ袋つけますか」と質問するのも、マニュアルのひとつのはずです。そのマニュアルには、客のほうから「袋いりません」と言われたときの返事の仕方は記載されていないのでしょう。
なので、「袋いりません」というひとこと、マニュアル外のひとことを発せられると、面食らってしまうのではないでしょうか。面食らい、フリーズしてしまう。
だから返事をしないのです。それは愛想の問題ではなく、マニュアルの問題なのです。たぶんですけどね。
真相がどうなのかはわかりませんが、僕はそういうとき、「え、伝わってる?」と思うのです。返事がないから、当然ですよね。
で、「あの、聞いてます?」と言いたくなるんです。でも、言えない。小心者だし、それを言っちゃうと威圧的になるからです。店員さんを委縮させたくない。
だからそーゆー場合は、レジ袋をつけないかどうか、店員さんの対応を見て確認するのです。言わずに済ませちゃう。
ファミレスでも、やはり同じことが起きます。ドリンクバーを利用したときです。
僕はよく烏龍茶を飲むんですけど、たまに品切れになってることがあるんですね。ドリンクバーの烏龍茶は、濃縮された液になってて、ボタンを押すとその液と水が同時に出てきます。濃縮液を水で割って普通の濃ゆさの烏龍茶にするのです。
なので、濃縮液の残りが少なくなってくると、ボタンを押したときの出が悪くなり、水ばかり出てくるため、薄い烏龍茶になってしまうのです。その場合は、当然店員さんに交換を頼みます。
大体は交換が終わったあと、「お待たせしました」って言いに来てくれるんですけど、店員さんによっては気を利かせて、グラスに注いで持ってきてくれる人もいたりします。
その気遣いはありがたいんですけど、困ることがあります。そのような場合、ほぼ氷付きで持ってこられるのです。
僕はドリンクは氷なしで飲みたいんですね。冷たすぎると味わかりづらくなっちゃうし、体が冷えちゃうからです。
だから、本音では「あ、氷なしで飲みたいんですよね」と言って、さげてもらいたい。でも言えないのです。
わざわざ気を利かせて注いできてもらったのに、「いらない」っつって突っ返すのは申し訳ない。それに、突っ返したらその烏龍茶は捨てられちゃうかもしれないから、もったいない。
なので、笑顔で「あざーす」と受け取るのです。
そして、「キンキンに冷えてやがるっ・・・!」と心でつぶやきながら、歯に染みないようゆっくり飲むハメになるのです。
あと、言えないっていうのとはちょっと違うんですけど、こんなこともありました。
以前ファミリーマートでつけ麺風肉まんってのが売られてまして、けっこー気に入ってて、よく買ってたんですね。しかしこれが、誤解されやすい商品でして。
「つけ麵風肉まんください」って注文すると、かなりの確率で「つくねと肉まんですか?」って訊き返されるのです。しょーがないんですよね、つくねも置いてあるから。
皆さんも言葉にできないこと、ありますか。
ホワイトチョコ、ミルククリーム、シュガーパウダー・・・白いものだけでおいしいお菓子作っちゃいました。ホワイト・イズ・デリシャス。言葉にならない、雪のような味わい。
そう、言葉にならない・・・つまりは言えない。言えないことについて話しましょう。言いたくても言えない話。
とある洋菓子店に行ったときのことです。アップルパイをふたつ買いました。ケーキと同じショーケースに並べられており、店員さんに頼んで取ってもらいました。
店員さんは、「袋いりますか?」と訊いてきました。そのお店も、スーパーやコンビニと同じように、袋が有料化されていたのです。僕は「ください」と答えました。
すると店員さんは、まず紙の袋にアップルパイを入れました。ファーストフード店などで使われてる、手提げが付いていない、口のところを折りたたむ、長方形タイプのやつです。そして、さらにそれをレジ袋、ビニール製の手提げ袋に入れようとしました。
僕はとっさに、「有料なのはそっちですか?」とレジ袋を指さしました。「そうです」と店員さん。「じゃあ紙の袋は?」と訊くと、「こちらは無料です」とのこと。なので、「だったらそっち(紙袋)だけでいいです」と言いました。
それで紙袋のまま受け取ったのですが、そのときはすでに会計済みでした。アップルパイふたつと、レジ袋代を払ってます。
レジ袋を断ったので、当然その代金3円を返却してもらわなくてはならないのですが、店員さんはそのことに思い至っていません。アップルパイを渡して、あとは立ち去る僕に向かって「ありがとうございました」を言うだけ、という構えを見せています。
僕は、「えっと・・・この袋(紙袋)は無料ですよね」と言ってみましたが、店員さんはキョトンとして「はい」と答えるだけで、レジ袋代を受け取ったままであることに気づかずにいます。僕は打つ手がなくなってしまいました。
ハッキリと「レジ袋代返してください」と言えば済む話です。でも、それを言うとどうなるか。
店員さんは「すみません、失礼しました」と、失態を詫びねばならなくなります。それはいきさつ上しかたないことではありますが、僕は「たかだか3円で謝らせるのもなぁ」と気が引けてしまったのです。
たかが3円。それくらいなら損したとは思わない。でも、買ってもいない袋代を払うのは、なんか気持ちがスッキリしない。
なので、損得じゃなくて、気持ちを穏やかにするために返してほしかったのですが、そのためには店員さんに頭を下げさせないといけないのです。
たかが3円です。たかが3円のために、店員さんに「失礼しました」と言わせる?それはかえって申し訳ない。
お金は返してもらいたいけど、謝らせたくはない。僕はジレンマに陥りました。
時間にして1,2秒。僕は3円の無返却を指摘するか否か、脳内を激しく煩悶させました。
んで、最終的に無言で立ち去りました。「やっぱ言えねー」ってなり、モヤモヤを抱え込むほうを選んだのです。
こういうことはほかにもあります。コンビニで買い物するときです。
コンビニは基本的にお弁当に箸をつけてくれます。お店によってはサービスでおしぼりもつけてくれる。その、おしぼりサービスのあるお店で買い物するときに、ちょいちょい起こることがあるのです。
僕はお弁当を買うときはほぼ必ず箸をもらうのですが、お惣菜とか、一品ものを買うときは箸を断るんですね。
ベテランの店員さんにもなると、客が手に持っている商品を見て、バーコードを読み取る前に、箸やらスプーンやら、必要なものをカウンター上にスタンバイさせます。そこで僕が「箸いりません」と断ると、スタンバイさせていた箸をカウンターの下にひっこめるんですけど、箸だけじゃなく、おしぼりも一緒にひっこめちゃうんですよね。
僕は箸は断ったけど、おしぼりは断っていない。おしぼりは欲しいんです。なのに、店員さんはひっこめちゃう。
なんか店員さんの中では、箸とおしぼりがセットになっちゃってるみたいなんですよ。仕事だから毎日同じことずーっと繰り返してるわけじゃないですか。箸とおしぼりをセットで出す、っていうのを、1日何十回何百回、毎日のように繰り返している。
そうすると、箸とおしぼりは分離することができない、ふたつでひとつのもののように思えてくるんでしょうね。箸がいるなら当然おしぼりもいる。箸がいらないなら当然おしぼりもいらない。そのようなマインドになってしまうのでしょう。ベテラン店員さんの意識の中では、箸とおしぼりはピッタリくっついているのかもしれません。
だから、「箸いりません」と言われておしぼりまでひっこめてしまう。それはまあしょうがないんですけど、そうなると僕は、「おしぼりはください」とは言えないんですね。なんか、ちょっとあつかましい気がして。「ああ、おしぼりが・・・」と思いながらお店をあとにするのです。
同じことはまだあります。僕はコンビニで、お弁当を買うときと購入点数が多いときは、レジ袋をもらいます。小さいものを2,3個買う場合はレジ袋は断ります。
袋を断る場合は、商品をレジカウンターに置きながら「袋入りません」と言います。店員さんが「袋つけますか」と訊かなくていいように、先に言うのです。
店員さんは、同じ動作、同じ言葉を何度も繰り返さねばなりません。それって、けっこうしんどいですよね。ずーっと続けていると、ウンザリしてくるはずです。
なので、「袋つけますか」というセリフを1回だけでも省けるよう、自分から「いりません」と言うのです。僕は優しいですからね、ええ。
なのに、「いりません」と言うと、かなりの確率で返事が返ってこないのです。店員さんに、無視されてしまうのです。
これ、けっこう不思議です。別に愛想の悪い店員さんではないのです。ちゃんと「ありがとうございました」と言ってくれる。なのに、「袋いりません」にだけは返事をしてくれないのです。
どこのコンビニの、どこの店員さんであっても、高い確率でこの法則が成り立つのです。なぜなのでしょう。
ひょっとしたら、「マニュアル外のひとこと」だからかもしれません。コンビニは、比較的マニュアルがキッチリしています。「こういうときはこう」というお約束がしっかり決められている。
自分から「レジ袋つけますか」と質問するのも、マニュアルのひとつのはずです。そのマニュアルには、客のほうから「袋いりません」と言われたときの返事の仕方は記載されていないのでしょう。
なので、「袋いりません」というひとこと、マニュアル外のひとことを発せられると、面食らってしまうのではないでしょうか。面食らい、フリーズしてしまう。
だから返事をしないのです。それは愛想の問題ではなく、マニュアルの問題なのです。たぶんですけどね。
真相がどうなのかはわかりませんが、僕はそういうとき、「え、伝わってる?」と思うのです。返事がないから、当然ですよね。
で、「あの、聞いてます?」と言いたくなるんです。でも、言えない。小心者だし、それを言っちゃうと威圧的になるからです。店員さんを委縮させたくない。
だからそーゆー場合は、レジ袋をつけないかどうか、店員さんの対応を見て確認するのです。言わずに済ませちゃう。
ファミレスでも、やはり同じことが起きます。ドリンクバーを利用したときです。
僕はよく烏龍茶を飲むんですけど、たまに品切れになってることがあるんですね。ドリンクバーの烏龍茶は、濃縮された液になってて、ボタンを押すとその液と水が同時に出てきます。濃縮液を水で割って普通の濃ゆさの烏龍茶にするのです。
なので、濃縮液の残りが少なくなってくると、ボタンを押したときの出が悪くなり、水ばかり出てくるため、薄い烏龍茶になってしまうのです。その場合は、当然店員さんに交換を頼みます。
大体は交換が終わったあと、「お待たせしました」って言いに来てくれるんですけど、店員さんによっては気を利かせて、グラスに注いで持ってきてくれる人もいたりします。
その気遣いはありがたいんですけど、困ることがあります。そのような場合、ほぼ氷付きで持ってこられるのです。
僕はドリンクは氷なしで飲みたいんですね。冷たすぎると味わかりづらくなっちゃうし、体が冷えちゃうからです。
だから、本音では「あ、氷なしで飲みたいんですよね」と言って、さげてもらいたい。でも言えないのです。
わざわざ気を利かせて注いできてもらったのに、「いらない」っつって突っ返すのは申し訳ない。それに、突っ返したらその烏龍茶は捨てられちゃうかもしれないから、もったいない。
なので、笑顔で「あざーす」と受け取るのです。
そして、「キンキンに冷えてやがるっ・・・!」と心でつぶやきながら、歯に染みないようゆっくり飲むハメになるのです。
あと、言えないっていうのとはちょっと違うんですけど、こんなこともありました。
以前ファミリーマートでつけ麺風肉まんってのが売られてまして、けっこー気に入ってて、よく買ってたんですね。しかしこれが、誤解されやすい商品でして。
「つけ麵風肉まんください」って注文すると、かなりの確率で「つくねと肉まんですか?」って訊き返されるのです。しょーがないんですよね、つくねも置いてあるから。
皆さんも言葉にできないこと、ありますか。
今日は臆病者のラーメンです。
袋麵のほうが経済的であることは百も承知なのですが、鍋を洗うのもめんどくさい独身ひとり暮らしはカップ入りを選ぶのです。
おいしさの中に渋さがある、ノスタルジーインスタントラーメン。
チキンは肉。そう、肉の話でもしましょうかね。牛タンの話です。
牛タンって仙台名物ですよね。仙台には有名な牛タンの専門店もありますし、定番のお土産のひとつでもあります。
これをみんな自然なこととして受け入れてますけど、僕はちょっとヘンじゃないか、と思うのです。
なんでかっつーと、名物として大量に消費されているせいで、和牛じゃなくてアメリカ産やオーストラリア産の牛肉が使われているからです。仙台名物と銘打っておきながら、その実仙台で育てた牛の肉ではなく、輸入したお肉を提供しているのです。
和牛はけっこう高い。名物として、観光客にそこそこお手軽なお値段で提供するには、適切ではない。ましてタンは希少部位ですから、大量には調達できない。観光客向けに大量調達するには、輸入肉に頼らざるを得ない。だから輸入した牛の肉を使って名物としているのです。
経済的事情だけを考えると、それは致し方ないことと思えますが、でもそれを名物と呼ぶのはどうなのか。
仙台には仙台牛っつーブランド牛がありますけど、まあまあ高級ですから、そのタンにありつくには大枚はたかないといけない。リーズナブルに名物をいただきたいのであれば、輸入のタンを選ばなきゃいけないのです。
仙台名物でありながら、仙台のそれではなく、輸入されたお肉なのですよ。これ、ヘンじゃないですか?
僕はヘンだと思いますけど、みんなあまり深く考えてないようです。原材料の加工・味付けを仙台で行っているから立派に名物と言えるのだ、という理屈なのかもしれませんが。
でも、それもどうかと思うんですよね。たとえばうどんが名物の所でも、小麦は輸入品を使ってたりするでしょ。それはまあいいと思うんです。うどんはある程度加工されたものですから。でも、牛タンってほぼ素材のままじゃないですか。だから輸入したそれを名物として出すってのはいかがなものかと思うんですよ。
そもそも、国産限定であったとしても、牛タンが名物っていうのがけっこうヘンだと思うんですよね。先に言いました通り、仙台には仙台牛があります。高級なブランド牛です。
その「質のいいお肉」は、タンだけではないはずです。その身のすべて、すべての部位がいいお肉のはずです。
だから「牛タン」ではなく、「仙台牛」が名物になっていなくちゃおかしいんですよ。なぜ「タン」という特定の部位だけが名物になるのか。不自然極まりない話ではありませんか。
一体なぜ、このようなことになってしまったのでしょうか。なぜ仙台牛丸ごとではなく、タンだけが名物になってしまったのでしょうか。
別に難癖つけてるわけじゃないですよ。なんでだろーっていう問題提起です。
何か大人の事情というか、複雑な経緯があるのかもしれません。
一体なぜ、牛タンは仙台の名物になったのか。そこに至るにはどんな流れがあったのか。気になります。
ひょっとしたら、それは戦略だったのでしょうか。松阪牛や神戸牛のように、牛丸ごとが名物の所はほかにありますから、それらとの差別化を図るために特定の部位を名物として打ち出すことにした、とか。この推理どうでしょう。
でもこの考えが正しいとして、なぜヒレやランプではなくタンだったのか、という疑問は残りますが。
あ、ちなみに皆さん、牛タンは厚切り派ですか、薄切り派ですか。僕は薄切り派です。
牛タンは弾力のある部位ですけど、厚切りだと噛みごたえがありすぎるんですよね。薄切りだと肉が嚙み切れるプチップチッていう感触を適度に楽しめますし、ネギ塩とかの薬味を、身を丸めて包み込んで口に入れることもできますからね。だから薄切り派。
味付けはタレやネギ塩よりシンプルに塩だけが好きです。30後半あたりから、カルビとかの脂身多い部位があんまり食べられなくなってきたんですけど、タンならバリバリいけますね。
牛のゲップが地球温暖化の原因のひとつだとされていますから、いずれ牛タンはお手軽に食べることができなくなり、仙台でも名物と呼べるほど提供できなくなるかもしれません。そんときゃ代わりに、豚や鶏の特定の部位が新たな名物に選ばれるのでしょうか。
「豚丸ごと」とか「鶏丸ごと」ではなく、それらの特定の部位だけが名物に。
袋麵のほうが経済的であることは百も承知なのですが、鍋を洗うのもめんどくさい独身ひとり暮らしはカップ入りを選ぶのです。
おいしさの中に渋さがある、ノスタルジーインスタントラーメン。
チキンは肉。そう、肉の話でもしましょうかね。牛タンの話です。
牛タンって仙台名物ですよね。仙台には有名な牛タンの専門店もありますし、定番のお土産のひとつでもあります。
これをみんな自然なこととして受け入れてますけど、僕はちょっとヘンじゃないか、と思うのです。
なんでかっつーと、名物として大量に消費されているせいで、和牛じゃなくてアメリカ産やオーストラリア産の牛肉が使われているからです。仙台名物と銘打っておきながら、その実仙台で育てた牛の肉ではなく、輸入したお肉を提供しているのです。
和牛はけっこう高い。名物として、観光客にそこそこお手軽なお値段で提供するには、適切ではない。ましてタンは希少部位ですから、大量には調達できない。観光客向けに大量調達するには、輸入肉に頼らざるを得ない。だから輸入した牛の肉を使って名物としているのです。
経済的事情だけを考えると、それは致し方ないことと思えますが、でもそれを名物と呼ぶのはどうなのか。
仙台には仙台牛っつーブランド牛がありますけど、まあまあ高級ですから、そのタンにありつくには大枚はたかないといけない。リーズナブルに名物をいただきたいのであれば、輸入のタンを選ばなきゃいけないのです。
仙台名物でありながら、仙台のそれではなく、輸入されたお肉なのですよ。これ、ヘンじゃないですか?
僕はヘンだと思いますけど、みんなあまり深く考えてないようです。原材料の加工・味付けを仙台で行っているから立派に名物と言えるのだ、という理屈なのかもしれませんが。
でも、それもどうかと思うんですよね。たとえばうどんが名物の所でも、小麦は輸入品を使ってたりするでしょ。それはまあいいと思うんです。うどんはある程度加工されたものですから。でも、牛タンってほぼ素材のままじゃないですか。だから輸入したそれを名物として出すってのはいかがなものかと思うんですよ。
そもそも、国産限定であったとしても、牛タンが名物っていうのがけっこうヘンだと思うんですよね。先に言いました通り、仙台には仙台牛があります。高級なブランド牛です。
その「質のいいお肉」は、タンだけではないはずです。その身のすべて、すべての部位がいいお肉のはずです。
だから「牛タン」ではなく、「仙台牛」が名物になっていなくちゃおかしいんですよ。なぜ「タン」という特定の部位だけが名物になるのか。不自然極まりない話ではありませんか。
一体なぜ、このようなことになってしまったのでしょうか。なぜ仙台牛丸ごとではなく、タンだけが名物になってしまったのでしょうか。
別に難癖つけてるわけじゃないですよ。なんでだろーっていう問題提起です。
何か大人の事情というか、複雑な経緯があるのかもしれません。
一体なぜ、牛タンは仙台の名物になったのか。そこに至るにはどんな流れがあったのか。気になります。
ひょっとしたら、それは戦略だったのでしょうか。松阪牛や神戸牛のように、牛丸ごとが名物の所はほかにありますから、それらとの差別化を図るために特定の部位を名物として打ち出すことにした、とか。この推理どうでしょう。
でもこの考えが正しいとして、なぜヒレやランプではなくタンだったのか、という疑問は残りますが。
あ、ちなみに皆さん、牛タンは厚切り派ですか、薄切り派ですか。僕は薄切り派です。
牛タンは弾力のある部位ですけど、厚切りだと噛みごたえがありすぎるんですよね。薄切りだと肉が嚙み切れるプチップチッていう感触を適度に楽しめますし、ネギ塩とかの薬味を、身を丸めて包み込んで口に入れることもできますからね。だから薄切り派。
味付けはタレやネギ塩よりシンプルに塩だけが好きです。30後半あたりから、カルビとかの脂身多い部位があんまり食べられなくなってきたんですけど、タンならバリバリいけますね。
牛のゲップが地球温暖化の原因のひとつだとされていますから、いずれ牛タンはお手軽に食べることができなくなり、仙台でも名物と呼べるほど提供できなくなるかもしれません。そんときゃ代わりに、豚や鶏の特定の部位が新たな名物に選ばれるのでしょうか。
「豚丸ごと」とか「鶏丸ごと」ではなく、それらの特定の部位だけが名物に。