徳丸無明のブログ

雑文、マンガ、イラスト、その他

カルビー ポテトチップス 極濃ミートソース味

2019-09-14 22:39:12 | 
今回はポテトチップスの極濃ミートソース味です。




とにかく濃ゆいのがうまいんだ!繊細な味付けなどくそくらえ!的な。
前回「ゴリパラ見聞録」の話をしましたが、福岡の深夜番組というなら、「ドォーモ」のことも話さないわけにはいきますまい。
「ドォーモ」は1989年から今日までの長きにわたって、毎週月~木曜日に放送されている情報バラエティ番組。福岡で製作されている番組ですが、長崎・熊本・大分・鹿児島でも流れています。
内容は、流行やグルメ情報、ニューオープンのお店紹介、一般の人たちのファッションチェックなど様々。中にはおバカな企画やサブカルっぽいコーナーもあって、僕が好きなのはそちらのほうです。その中でも「前略、道路(みち)の上より」「レトロゲーム機探訪録」「CB TRABEL」といったコーナーが特に面白く、これらはテレ朝チャンネルで「ドォーモGT」として放送されていました。GYAO!でも観れなかったっけ?なんとか視聴する方法探してみてください。「前略、道路(みち)の上より」はDVDにもなってます。
番組内容とその息の長い人気から「九州の水曜どうでしょう」とも呼ばれています。(ちなみに、「ゴリパラ見聞録」も「九州の水曜どうでしょう」と呼ばれており、こちらはさぬき映画祭で「水どう」と合同イベントを行ったこともあります)
ただ、ですね。「ドォーモ」は今年の4月からリニューアルされまして、これまで生放送だったのが録画になり、放送時間も縮小されてしまったのですが、一番大きな変化は、レギュラーメンバーの大幅な変更です。
もともと地元のタレントだけで構成されていたのが、ロンブー敦と千原ジュニアとロバートが新メンバーとして加入され、それに伴い旧メンバーは卒業したり担当枠が縮小したり・・・。これねぇ、はっきり言えば「解雇&左遷」ですよ!今までずっと地域密着でやってきたのに、急に中央のタレント入れて、番組のために頑張ってきたレギュラーを切り捨ててさあ・・・。あんまりじゃないかって僕は思うんですよ。番組内容もいまいちになっちゃいましたからね。僕の中では「ドォーモ」はすでに死んでいます。
元に戻してくれ!お願いだ!

キングオブコント2019 決勝進出予想

2019-09-13 22:44:21 | 雑文
いやー、油断してました。キングオブコントって10月か11月の開催とばかり思いこんでいて、決勝がせまっていることに気づかずにいました。録画していた「水曜日のダウンタウン」にKOCのCMが挟まれていて、運よくそこで今月21日の開催であることを知りました。ヘタしたら当日まで気づかないところでしたよ。あぶないあぶない。
以前はKOCの優勝予想の記事を書いてたんですけど、今年は去年と同じくファイナリストが当日発表されるため、優勝予想ではなく決勝進出者予想にさせてもらいます。


準決勝に残ったのは以下の34組。


相席スタート
アイロンヘッド
いかすぜジョナサン
うるとらブギーズ
エンペラー
蛙亭
かが屋
カゲヤマ
空気階段
クロスバー直撃
コウテイ
コロコロチキチキペッパーズ
THE GREATEST HITS
ザ・マミィ
サンシャイン
さんだる
GAG
ジェラードン
ジャルジャル
そいつどいつ
ゾフィー
チョコレートプラネット
どぶろっく
ななまがり
ネルソンズ
パーパー
ビスケットブラザーズ
ファイヤーサンダー
藤崎マーケット
マヂカルラブリー
やさしいズ
や団
ロングコートダディ
わらふぢなるお


この中から僕が予想するのは・・・


①かが屋②空気階段③GAG④ジェラードン⑤ゾフィー⑥ななまがり⑦ネルソンズ⑧マヂカルラブリー⑨やさしいズ⑩わらふぢなるお


この10組です。

普段だったら一組ごとにひとこと言及するのですが、34組ぜんぶにコメントつけるの大変なので、予想だけとさせていただきます。


皆さんもよろしければコメント欄から決勝進出予想にご参加ください。今回も当たっても何も出ません。
gooブログのコメントフォームには名前とタイトルとURLの入力欄がありますが、これらは必須じゃなくて、コメントだけでも投稿できるはずですので、お気軽にお寄せください。

亀田製菓 ハッピーターン コクのやみつきカレー味

2019-09-07 22:27:52 | 
今回はみんな大好きハッピーターンのカレー味です。




まああれですね、カレー味にすればだいたいなんでもおいしくなりますね。でも商品名に「やみつき」って入れるのやめてほしいですね。ココスにも「やみつきカリカリポテト」ってありますけど、やみつきになるかどうかは客側の問題だっつーの!店側がやみつきを名乗るんじゃねーよ。おいしいから許すけどさ。
そんなことより前回、「アメトーーク」の話しましたけど、僕はけっこう深夜番組が好きなんですね。ゴールデンとか昼間のテレビはほとんど観ないんですけど、深夜帯はわりと観るんです。
で、そんな僕が一番好きなのが、・・・「ゴリパラ見聞録」です!
「ゴリパラ見聞録」とは、福岡在住のお笑い芸人、ゴリけんとパラシュート部隊(斉藤優・矢野ペペ)が、「一般の人たちが行ってみたいと思ってる場所に実際に行って、そこで写真を撮ってくる」旅番組です。もともとは福岡だけで放送されていたのが、フジテレビONEやFNS系列局に放送を拡大していき、DVDも発売され、各地でイベントも展開するようになったという、かなりの人気番組なのです。ローカルの深夜番組がDVDになってるというだけで人気のほどがわかるでしょ。未見の方はぜひ一度ご視聴を。
この番組、表向きは「旅番組」なんですけど、でもどこに行くかや何を見るかはわりとどうでもよくて、旅の合間に垣間見えるメンバーの人間性や私生活の生々しさが面白さの肝なのです。メンバーの3人は付き合いが長いため、その関係性からくるやり取りもひとつの味。
僕は古くからのキッズ(番組のファンの名称)でして、以前は「この面白い番組は福岡以外では観られない。福岡住んでてよかった」なんて優越感があったのが、あれよあれよという間に全国区になってしまい、そのため今では、メンバーの3人が地元でしか通じない話題を口にしてると、「全国を意識しないとダメだよ!」なんてやきもきするようになってしまいました。
先程も言いましたように、番組の面白さはメンバーの人間性の妙にあります。なので、ある程度メンバーに感情移入しないと面白さが伝わらないので、メンバーの3人をご存じない方は、まず少なくとも番組を3~4回観てください。1回だけ観て「面白くない」と判断してはいけません。
ゴリパラのディープな話もしたいんですけど、知らない人がついてこれなくなるんで、紹介だけにとどめておきます。

つーわけで、今日はここまで。また会おうぜ!

ガラスの靴なんかいらない

2019-09-05 22:35:53 | 雑考
小谷真理の『おこげノススメ――カルト的男性論』(青土社)を読んでの気付き。
この本は、評論家の小谷がフェミニズムの視点で様々な映画や文学作品を読み解いた評論集である。その中の一章、『Shall We ダンス?』を代表とするダンスを主題とした作品群を取り上げ、ダンスと足の関係を論じた「四〇にしてマドンナ」の中で、小谷は足治療学ウィリアム・A・ロッシの著書『エロチックな足――足と靴の文化史』を引きながら、次のように述べている。


そもそも足とは、肉体的現実を形づくりながら、その一方で歴史的文化的隠喩構造を日夜再構築させつづけている結節点である。ロッシの指摘するエロティックな器官としての足は、まず何よりも足こそ性的器官の代替物として考えられてきた足の歴史を浮かび上がらせた。しかも、しばしば精神分析学的発想から語られ、フロイト自身がコメントを残しているように、「足」とは男性の性的器官を象徴し、「靴」とは女性のそれを象徴する。身近にある素朴なフォークロアでも、男性の性的器官を「第三の足」と呼称する向きもあるが、実際にそうしたシンボリズムは意外に古く、しかも世界各地に出没しているという。したがって、古代エジプトの時代から延々とさまざまなヴァリエーションが収録されている「シンデレラ」という寓話関連の集積体は、フェミニズム批評をほどこすならば、小さな靴という制度に押しこめられ成型されていく女性性の逸話と解釈されるのである。ロッシ自身、第一五章「シンデレラはセクシーな女」のなかで、「シンデレラ」類似の寓話が中国の躔足奨励のプロパガンダとして流布されたという説を紹介しながら、なぜシンデレラがセクシーな女、つまり小さな足でなければならなかったかを考察した。ガラスの靴にフィットする足とは女性の二本の足ならぬ性的器官を意味し、それこそ「小さいことは良いことだ」という男性優位主義的イデオロギーを示唆していた。対する男性の場合、「大きいことが良いこと」であり、男性性の権威を象徴するものであった。


このすぐ後で小谷は「もちろん、フェミニズム理論の進展にともない、何より政治的経済的諸問題から、ハイヒールがスニーカーへと転換を計りつつある現代において、足と靴の関係性は――むろん一掃されたとはいえないにせよ――それほど古典的性差構造を反復しているわけではあるまい」とも述べているがしかし、昨今の就労現場における女性へのパンプスの着用義務付けに反対する「#Ku Too」運動の盛り上がりを見るにつけ、まだまだ問題の根は深いと言わざるを得ないのではないか。
女性をなんらかの「カタ」に嵌めこもうとするのが男性の習い性なのだろうか?ただ、ひとつ注意すべきなのは、「カタ」というのは至る所にあり、真夏にも背広にネクタイを着用しなくてはならないという馬鹿げた「カタ」も未だに健在であるということ。「カタ」に押しこまれているのは女性ばかりではないし、「カタ」があるからといって必ずしもそれが差別的であるというわけでもない。
ただ、ここで言えることは、引用したシンデレラの解釈と「#Ku Too」運動を重ねて考えると、パンプス着用に反対する「#Ku Too」運動の推進者たちは、「私こそはシンデレラ」と、ガラスの靴を自らの足に合わせるべく列をなした玉の輿希望の町娘たちとは異なり、「私たちはシンデレラじゃない/シンデレラを目指さない」と高らかに宣言していることになるだろう。「シンデレラの拒絶」こそが、男女平等のための必要不可欠なステップなのだろうか。
ガラスの靴とは「制度」のことだ。制度の内側にいれば、シンデレラよろしく何不自由のない暮らしが保証される。その窮屈さを我慢する限りにおいて。だが、現在の制度(=パンプスを着用しなければならない職場)は、日本経済の低迷や、社会の不安定化などによって、魅力的なものではなくなってしまった。ならば、無理してガラスの靴を履き続ける理由などない。窮屈な制度に閉じ込められ、足の痛みに耐えねばならない道理などない。
「制度=シンデレラとしての暮らし=パンプス着用の職場」は、もはや現代の女性を「ガラスの靴の内側」に閉じ込めておくことはできない。ある程度の豊かさによって覆い隠されていた女性への押し付け=「カタ」は、不況によってその愚かしさが暴き出されてしまったのだ。
おそらく、「#Ku Too」運動は前触れでしかない。これからも様々な「カタ」の否定が行われるだろう。「スカート履きを義務付けられたくない」とか、「毎日化粧したくない」といった、これまで自明のものとされてきた習慣を拒絶する動きが出てくるであろうと推測される。個人的には、それはいいことだと思う。日本社会には、決まり事=「カタ」が多すぎるからだ。ありとあらゆる場面にマナーや作法や礼儀があって、それに反すれば即座に「非常識」とされるこの社会は、実に息苦しい(僕はこの息苦しさが引きこもりやニートの増加の一因であるとすら思っている)。女性だけでなく、男性もどんどん「カタ」を拒絶するべきだ。「カタ」がなくなれば社会に風穴があく。そうやって風通しをよくしていくべきだ。
「目の前のガラスを割れ!」ってことだね。「ちがうか!」(by.ものいい)