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Go! Go! 後藤光雄

鈴鹿市議会議員 後藤光雄。鈴鹿に生まれて鈴鹿に住んで鈴鹿にやってきて「本当に良かった」といえる、まちづくりをともに!

父性と母性が両方あって、人は育つ

2013-03-07 23:02:32 | 語呂・語録
吉田松陰の教え
「父性に対する尊敬心と、母性に対する愛情の尊さ。これを子どもに教えなければならない。

 尊敬心を導き出す父の厳しさは、100-1=0.つまり、積み重ねても1つ失敗すれば0になるということ。反対に、母性は、1つの失敗を教訓にすることで、それが財産になると教えること。つまり、100‐1=101です。

 この2つがそろって、初めて素晴らしい人材が育つと思います。」


私は、教育現場に警察が入ることに基本的には反対です。

不完全、成長過程の子どもに、大人、社会のルールをはめきれないのが、学校生活だと思うからです。

つまり学生は特権階級なのです。

税の負担もなく、自分の世界を謳歌出来る時代です。

しかし、その先に義務として、国を支える為に税を納める責任があることは、しっかりと教えておかなければならないことだ。と思います。

吉田松陰の教えは、正にその通りだと思います。

感動の講演会

2013-03-07 22:56:47 | 議員日記
 鈴鹿商工会議所の建設部会主催の“これだけはやっておきたい!命を守る地震対策”
と題した講演会が、東京大学地震研究所 助教 大木聖子氏をお迎えして開かれた。

 氏は、高1の時に起きた阪神・淡路大震災を機に地震学を志し、中越地震の際に、入浴中の孫娘に急いで逃げる事よりも、身だしなみを指示した為に、余震による建物の倒壊の犠牲になった孫娘を思い、悔恨の念に押しつぶされそうな老婆の姿から、地震のメカニズムではなく、いかに人を守るかを研究のテーマにした、人を向いた地震学者になろうと考えたと言うだけあって、わかりやすい説明、取り組みの紹介が、氏の気持ち、スタンスがストレートに飛び込んでくる久々に胸に響いた講演会でした。

 氏は冒頭、駅のホームに立つ時も、「落ちてこない」「倒れてこない」「移動してこない」場所を意識していると述べられました。対策は、起こる前にしかできないと。

 大人は、今までの体験が邪魔をするので、子どもたちに自分の判断で批難する訓練が必要だと述べました。大人は、見えていない(ことにしている)感覚があるということ。中学生になって、照れが生じる子たちでも、小さい子どもの見本をお願いすればしっかり動いてくれると、現場での苦労、工夫の積み重ねを感じる、納得する話が続きました。

 阪神・淡路大震災の揺れは、M7―15秒揺れ M8なら―1分揺れる。東日本大震災のM9―は3分間揺れた。揺れ方は様々だけれど、1分揺れたら津波を予想してとにかく高いところへ批難しろ!と教えて下さった。

 地震=津波ではない。
地震はまず揺れる。揺れ方は様々だ。
この揺れから、自分の身体を守ることが、第一義に必要なことだ。
耐震対策が最も優先されるべきことだ。とも述べました。

 氏が、最後の方で述べた言葉が、今も心に強く残っている。
『事が起こると、その原因を追求する際に、要因と思われるところへ爆弾を押し付け合っている。多くの先生と子どもたちが犠牲になった大川小学校の先生たちは今、爆弾を抱えさせられて、責任を問われている。
しかし、海から4㎞、すぐ近くに天井川が流れる2階建ての大川小学校は、建てたときから被災していたのであり、2.11の地震が起きて被災するまでの51分間の苦悩を責めるべきではない。指摘しなかった地震学者に責任はないのかと自問している・・・』
そんな目を持っている地震学者の存在に胸が熱くなりました。

 まるで子供の心を持ち続ける姿。変に大人になろうとしない純粋さに、我身を振り返させられました。
若者の情熱が、国を変えるんだ!!おいたら若者の情熱を理解してフォローできるようになりたいと、まだ胸に残る情熱の火が大きくなるのを感じると共に、エネルギーをもらった講演会でした。

平成25年 鈴鹿市成人式

2013-02-03 08:51:33 | 出来事
1月13日 市民会館で成人式が行われた
駐車場問題等で会場を鈴鹿サーキット、スポーツガーデン水泳場に移して開催されていたが、元に戻った感じでやはり市民会館で行うべきだと感じたのは、私だけだっただろうか。

1,300余のキャパの市民会館で1,985名の新成人を祝福するのを問題にする人もいるが、式典会場に入ろうとしない人たちがいるのは、どこで行っても同じだった様にみえた。

成人式は白子高校の吹奏楽部の15分の演奏で幕開け

続いての、祝辞は市長と議長のみ。
新成人代表の誓いの言葉で20分ほどの式典が終了。

癒詩作家の伊藤一樹さんの(大垣在住)「志」書き下ろしパフォーマンスとお話が15分ほど

最後は、よさこい演舞「勝山組」の舞が10分ほどの全体で1時間強の成人式でした

参加させていただいた感想は・・・
式典の後の伊藤さんの書き下ろしパフォーマンス

準備をしているときの静かな姿勢と、書き始めの強烈な動への変化は、心の動きが伝わるとてもいいパフォーマンスでした。が、
式典が終わって席を立った成人が2・300人ほどいたのは残念でした。

伊藤さんの書は、「志」の横に「ゆれてもいい 志があるならば」というもので
その字よりも、彼の話がとてもいいものでした。

いろんな仕事を体験しながらも、行き詰った彼に、ある社長が『何もかも失って、更地になったら、新しい芽が出るのを待つだけだ』といってくださって、癒詩作家の人生が始まったこと。

大垣で「約束の木」というギャラリーを開設していること。
彼からのメッセージ「目の前の人に何が出来るか」「人の役に立てるか」「才能とか能力があるかではなくて、その気があるかどうかだ」「心に響くこと、人との出会いは、自分との出会いだ」などと、短くも深いいい話でした。が

会場のどれ程の新成人が聴いていた事か・・・・

実行委員が白子高校で伊藤さんの話を聞いた経験があっての招待だったようです。
同年の新成人の実行委員会の準備に対する敬意、講師に対する敬意をもって会場入りしてほしいものだ。

人の話から何かを得ようともしないで、「自分をわかってくれない」などと言いそうな若者の面倒を社会が負うのは甘やかしすぎの気がする

20歳。成人に与えられる権利と義務と責任。
高校までの12年間の学校教育や、家庭教育で教えられているのだろうか・・・

実行委員会の10名の努力、大人が新成人の門出を祝う式を開催していることに対する意識を聞いてみたいものだ

立ち寄った男子トイレには配布されたパンフレットがあちらこちらに投げ捨てられていた。
中学時代の恩師のメッセージが載っているというのに・・・・
人に迷惑をかけないできれいに会場を使おうと、アナウンスしていたのに・・・

これも、「教育力の衰退が今を作る」とすると、教育体制が生み出した当然の結果か・・・

ステージの上に顔をそろえた教育長・教育委員会皆さんの考えを聞きたいものだ

男女共同参画社会の実現

2012-10-26 14:19:23 | 議員日記
鈴鹿市の男女共同参画センター
「ジェフリーすずか10周年記念ふぇすた」に
市議会議員として、メッセージを下さい。
という依頼がありました。


男女共同参画社会の
     実現にとっては

相互のリスペクトこそが
     重要であり

男の時間・女の時間
男の役割・女の役割

を、見失う事なく

次世代につなぐ

生き方をすることである


と、私は考えています

というメッセージを贈りました

11月23日と24日にかけて
10周年記念ふぇすたが開かれるようです

鈴鹿市議会議員 後藤光雄

日本国歌「君が代」について

2012-09-04 19:54:43 | 語呂・語録
3月以来の投稿です。

ロンドンオリンピックが開催され、改めてスポーツの素晴らしさを感じています。

獲得メダル数も過去最高の大会となりました。

強化予算が増えた結果とか、いろいろ言われていますが

現場の努力の結果に違いありません。

こういった努力をリスペクト(尊重)できる空気づくりが行われないと

いつまでたってもスポーツが文化になりませんね。


過去最高のメダル獲得ということは、国旗の掲揚が多かったということです。

残念ながら「君が代」を聴く数は減ったようですが・・・

その「君が代」について8年前、朝日新聞の「風考計」で「国旗国歌と憲法」というタイトルの記事があり

朝日新聞の広報部とメールのやりとりをした事がありました。

そのメモが出て来ましたので、その中から...


文部省が編集した「小学唱歌集初編」(明治21年(1881年)発行)に掲載されている歌詞は

君が代は 千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔のむすまで うごきなく常盤かきはにかぎりもあらじ

君が代は 千尋の底の さざれ石の鵜のゐる磯と あらはるゝまで かぎりなき御世の栄を ほぎたてまつる

と、現在歌われる歌詞よりも長いようです

曲については、英国の古い讃美歌からとられたようです。

君が代の斉唱について、まだまだいろいろ言われますが

日本国国歌について、しっかりと向かい合う必要もありますよね。

ドイツは、終戦後1番の歌詞を捨て去り、2番を斉唱しているそうです。

鈴鹿市議会議員 後藤光雄

御在所サービスエリアの伊勢型紙

2012-03-01 15:38:06 | 出来事

東名阪自動車道の下り、名古屋から大阪方面に向かうサービスエリアの土産物売り場の写真です。何度か立ち寄っていたのですが、ここに鈴鹿の伝統文化の伊勢型紙の匠が活かされている事に気がつきませんでした。
拡大すると、なんと御在所の漢字を彫り並べてあるのです。

サービスエリアごとに、その地名の漢字を彫り並べて壁紙に使えば・・・などと勝手な期待を持ちながら、いやいや、鈴鹿だけでも「SUZUKA」でも「すずか」「スズカ」「鈴鹿」をデザインしたら、使える場所はたくさんあるのにな~などと感心して見てきました

「ものを見、ものを聴くのは、目や耳ではなく その人の心だ」

という、日本サッカーの父デットマール・クラマーの言葉を思い出しながら
気付かずに見過ごしていた自分に気付かせていただいた事に感謝しています

是非、お立ち寄りの際には目を向けてください。

大きなビジネスになる事を、少し期待しています。


鈴鹿市議会議員 後藤光雄

スペインの新聞

2012-01-25 13:32:05 | 出来事
長女の史がスペインの新聞に載りました。


友人に訳してもらいました。

AS 2012年1月13日
後藤 史(ごとう ふみ)
2012年ロンドンオリンピックに出場する為にラジョで邁進する!
インタビュアー (イサベル ロルダン)

-あなたは、私たちのリーグにおいて最初の日本人であり、未だ唯一の存在ですが、ラジョの何に引き付けられましたか。―

いつも、私は海外でプレイしたいと願っていました。当時在籍していたジェフ ユナイテッド 千葉の2番目のトレーナーが私を推してくれて、2010年の夏、ラジョへ来ました。
このチームはとても理想的でした。過去にチャンピオンになっていますし、今もチャンピオンを目指していたからです。試験を受け、残りました。

-どうしてスペインを選んだのですか。―

いつも、スペインのサッカーが好きでした。なぜなら、日本でたくさんスペインリーグが見られるからです。私が小さい時、レアルマドリードが、トヨタカップ(現在クラブワールドカップに変更)で日本に来た時、ロベルトカルロス選手が大好きでした。なぜなら私と同じポジションだったからです。それに、ジダン、ラウール・・・・いつもレアルマドリードのユニフォームを着て夢見ていたのですが、女子チームがないことを知ってとても悲しかったです。理解できませんでした。

-そして、ラジョに来ましたが、簡単ではなかったと思います。どのように、困難な事を乗り越えてきましたか。― 

一番大変だったことは、言葉です。スペイン語は全くわかりませんでしたし、それは、前に進もうとすることを妨げました。とてもつらかったです。しばらく、毎日泣きながらプレイしました。その後、給与が受けられなくなり、何があったのかわかりませんでした。私のチームメイトは、いろいろ助けてくれました。最終的には乗り越えられ、今シーズン私は、プレイに専念できています。

-2011年スペインリーグを制し、チャンピオンになりました。どうですか。―

チャンピオンになることは日本ではとても名誉なことです。今年は、やっと試合に出ることができました。これは、私の目標でした。アーセナルとの一戦で引き分けたバジェカでの試合は一生忘れません。ナタリアは、出場前に「あなたはチームのために仕事できるわ。いつも通り走りなさい」と、言ってくれました。心のままに90分間試合に出ました。

-スペインでは、サッカーで生活していますか。―
 
ラジョから少し支援を貰っていますが、生活費は、ヤマハ発動機スポーツ振興財団からのアマチュア選手へのスポーツ奨学金を頂き賄っています。私は、日本人女子サッカー選手の中で唯一この環境を楽しみ、私の目標は、ロンドンオリンピックに駆けつけることです。 スペインでは、スペイン語を勉強し、サッカーをします。しかし日本では、プロリーグではないため、仕事をしなければなりませんでした。澤 穂希選手と他5名の選手以外は、サッカーだけでは生活ができていません。日本で私は、事務所で朝9時から夕方6時まで働き、その後練習に行っていました。

-どのようにサッカーを始めたのですか。―

私の町には、女性チームがありませんでしたので、男の子に交じって始めました。15歳の時、勉強とサッカーの練習が両立できる学校に入るために、その町を出ました。

-日本がワールドカップで優勝したことをどう思いますか。―

女子サッカーを国民にとって身近にし、地震という困難な年に明るい話題ができたと思います。

-地震があった日ラジョのメンバーは、あなたのことを心配しましたか。―

その日は、大阪に向けて飛んでいましたので、心配してもらいました。到着してテレビを見たとき地震の映像が途絶えなく流れていましたので衝撃を受けました。向こうで両親が私を待っていてくれたことは幸いでした。私たちは、南の方に住んでいるので影響はありませんでしたが、何人かの友人はすべてを失ってしまいました。

-国際舞台で活躍することで日本に何を伝えたいですか。―

すべてです。私の夢は、ロンドンオリンピックに行くことです。そのためにラジョで一生懸命頑張ります。今までにいくつかの大会で選抜メンバーでしたので、世界的な大会での優勝メンバーを知っています。彼女たちは、「いつ選抜に行くの」と訊ねてきます。私は、「もう行く準備は、できているよ」と答えています。

-澤 穂希選手が、世界最優秀選手に輝いたことは、驚きましたか。―

いいえ。その価値があると思います。彼女はとても良い人であり、代表に必要とされています。彼女抜きでは、ワールドカップで日本が勝つことはできなかったでしょう。

―日本とスペインのサッカーの違いはなんでしょうか。―

 精神面ですね。スペインでは、サッカーをしているととても楽しいです。日本では、すべてがもっと固いです。何か1つでもミスをしてしまうと、コーチが怒り、罰として私たちを走らせます。



ミレネからフミ ラジョは、外国人にチャンスを与えた!
スペインサッカー女性リーグが外国人女性サッカープレイヤーに扉を開いたのは、ミレネドミンゲスが、2002年にラジョに来てからだ。スペインに彼女が来たのはその時の夫であるロナウドがレアルマドリードと契約をしたからだ。二人の間に生まれた子どもも連れてきていた。最初の年は、試合に出られなかった。それは、スペインサッカー連盟の規約があったからで、そこには、外国人プレイヤーの参入不可が書かれていた。
しかし、彼女は、なんとかその扉をこじ開け、翌年には、禁止条項が取り払われた。ミレネの後、後藤 史が来るまでの間に来た外国人はブラジル人2人しかいない。2004-2005シーズンのシモネ ゴメスと、タニア ロドリゲスだ。
後藤 史は、スペイン女子サッカーリーグに来た初めての日本人だ。2009年夏にラジョに加わろうとし、2010年に再度挑戦し入団できた。彼女のトレーナーであるホセラ エルナンデスは、初めて彼女がチームに合流した時の衝撃を覚えている。「彼女は全くスペイン語が分からなかった。しかしすぐに私にチームの穴をふさいでみせると伝えてきました。私は間違っていなかったです。彼女の練習を見ているとサッカーの能力の高さ、献身さ、苦しんでいる姿はなにか見せ物を見ている様でした。」
史は、サッカーによって、また、サッカーのために生きている。昨年は言葉が障壁となり、悪いシーズンだった。しかし、スペイン語力が高まったとき、彼女の成長は目を見張るものがある。信じられないほど、すべての行動に情熱をかけている。ロッカールームでは、すべてのメンバーが彼女に代表で1分でもいいので、プレイしてほしいと願っている。彼女にはその値打ちがある、そして、勝ち取ってほしい。 I.Loldan


 親として、サッカーマンとしてとてもうれしい記事でした。

育てていただいている事に、感謝しています。

鈴鹿市議会議員 後藤光雄

娘からのメール

2011-11-24 16:03:23 | 出来事
スペインの女子サッカーリーグに参戦している長女の史からメールがきました。
2年連続でスペインチャンピオンになっているラーヨ・バジェカーノというチームで、
女子のヨーロッパチャンピオンリーグに参戦しています。

昨年は、イングランドのアーセナルに敗れましたが、出場の機会はありませんでした。
今年は、第1戦(ホーム)は史の頑張りから得点が生まれて引き分け、第2戦(アウェイ)で敗れベスト16で敗退でした。

長女のプレーがご覧いただけます。
https://picasaweb.google.com/santaolajadelavarga/RAYOFEMENINO1ARSENAL1


その娘から届いたメールの中に・・・
「・・・何よりラージョが、自分の居場所であると、自分のチームだと感じている事を嬉しく思います。
去年は、雲一つない、果てしなく高く、毎日晴れ渡るスペインの空が、大嫌いでした。
毎日、自分が、とても小さく、ちっぽけで、情けない存在に感じたからです。

私は、強くなかった。ずっと強いと思ってたし、周りから言われてきたけど、強くなかった。
今も決して、強い人間なんかじゃないけど、強さって一体何なんでしょうね。

ただ、わかった事は、私は、この果てしなく広い世界にたった一人しかいない存在なんですね。
弱かろうが、情けなかろうが、私は私。

今は、スペインの空を好きだと言えるようになりました。
そう言えるようになった自分が、大好きです。・・・」

スペイン語が話せるようになった事に驚いている親ですが、
成長させてもらっている事に、感謝します。


チャレンジすることの大切さを、感じています。


鈴鹿市議会議員 後藤光雄

防災安全特別委員会視察に出かけました

2011-11-24 02:07:47 | 委員会活動
11月16日(水)茨城県の ひたちなか市を訪ねました。
3.11の被災の状況について、特に防災無線についてと液状化被害についての視察でした。

那珂湊地区の海岸近くの道路の液状化は、本当に驚きでした。
道路の隆起と陥没、うねって地割れもみえる道路は、今だ通行止のままです。
急いで復旧した道路が、再び陥没することも起きているところもあるようで、復旧工事の大変さも見られました。

防災無線については、停電になった中、市民に情報を伝えるために役立ったということでした。
震災前は、行方不明の放送に苦情が来たり、音の大きさに苦情もあったそうですが、今はないようです。
ひたちなか市は、東海村の原発事故の補償で、全戸に防災ラジオが配布されているとのこと。どこにいても情報が届くようにという配慮が見られましたが、防災行政無線が充分でなく、避難所と対策本部間の連絡がままならず、苦労されたとのことでした。

鈴鹿市の同報無線整備の計画が、情報の伝達方法と収集方法の準備が充分であるか検証します。

11月17日(木)は、千葉県香取市佐原地区を訪ねました。
液状化被害の現状を、実際に2時間近く歩いてみました。
地盤沈下や隆起で、玄関と道路の高さがずれている再開発地区。うねり、ゆがみ、その上に立つ家屋の傾き・・・
歩いていて水平、垂直がわからなくなる。しかもまだそこで生活をしている人たちがいる現実。
約3000戸が地震被害にあわれたそうですが、復旧の見通しは立っていないとのこと。
道路が左右上下に動いているのかで、基準戦をどこに引くかも大変な作業になりそうでした。
政府の補助金だけでは充分であるはずもなく、市の持ち出しも相当額になりそうです。

鈴鹿市も無駄使いはできません。

津波の被害と、原発の被害の報道が多いために気付きにくいことですが、液状化被害等まちの復旧に苦労されている市町は相当ありそうです。

日赤に集まった義捐金はどうなったのでしょう。

3.11は決して終わった地震ではない。被災中の市町にお住まいの皆様のご苦労が一日も早く報われる日がきますように、もっと目、耳を開いて祈念しながら見届けたいと思います。


鈴鹿市議会議員 後藤光雄

白子高校吹奏楽部に感動

2011-09-28 23:56:36 | 出来事
9月18日の日曜日、第一さくら幼稚園では地元寺家地区の敬老会「お年寄りふれあいの会」が開かれていました。

第一さくら幼稚園の子どもたちによる踊りの披露、プレゼントで心和やかな時間を過ごしていただいた後で、今年は「白子高校吹奏楽部」のみなさんが登場しました。

年間70回ほどの出前演奏をしているということでした。

その彼女らに、感動をいただきました。


前日の土曜日16:00楽器の搬入とリハーサルの為にやってきた彼らは

まるで体育会系のように、大きな声で挨拶をしながら楽器を搬入

そして、チューニングから本番さながらの音合わせ

指揮者のタクトを見つめる真剣な目、やり直しの声にこたえる緊張感あふれる顔・・・

生徒たちが帰宅したのは19:00頃


そして演奏当日

真剣な演奏が、笑顔と共に200人の心に元気を届けてくれました

懐かしい歌の演奏に、歌を口ずさむ姿も見られ

心の温まる「ふるさと」の演奏には、思わず熱いものがこみあげてきたり

奏でる楽器の紹介も交えた1時間余り

学生の真剣さが伝わり、聴く者に大きな元気を与えてくれた演奏会でした



「いい仕事をするためには、いい準備を!」

まさにその実践を見た演奏会

一生懸命さで感動を呼んだ「なでしこジャパン」のプレーのように

ひたむきにボールを追う姿からいただく感動と

同じ感動をいただきました



ありがとうございました

そして、もっともっと上質を求めて励んで下さい

私もジムに再入会。今一度身体の動きを取り戻すことに励みます


鈴鹿市議会議員 後藤光雄