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源頼朝千葉市南部経路考 - 検証 ~ 旅程

2014-09-18 11:50:01 | 源頼朝千葉市南部経路考
治承4年(西暦1180年)
8月23日、石橋山の戦いに敗れる。
8月28日、安房国へ脱出。
8月29日、安房国平北郡猟島(現在の勝山あたり)へ上陸。
9月4日、上総広常、千葉常胤に遣いを送る。洲崎明神で戦勝と源氏再興を祈念して神田を寄進。
9月6日、広常より帰参。
9月8日、北条時政、甲斐源氏を味方につけるべく甲斐へ。
9月9日、千葉より帰参。
9月13日、安房国を出る。千葉氏下総国府に襲撃し下総国目代を討つ。
9月14日、千葉氏結城浜に下総守判官代藤原親政を生け捕る。
9月15日、北条時政、甲斐に到着。
9月17日、下総国府で千葉一族と合流。藤原親政が引き出される。
9月19日、上総広常隅田川辺りで合流。
10月2日、武蔵国へ入る。
10月6日、鎌倉入り。
10月7日、鶴岡八幡宮を遠くから拝む。
10月20日、富士川の戦い。


ここでの検証は治承4年9月13日から9月17日の間を考えてみます。

4泊5日の旅程です。
それでは1日にどれくらい進むことが出来たのでしょう。
9月4日に安達盛長を千葉常胤に遣いを送って、9月9日に帰ってきています。使いが出来る範囲で急いで(途中寄り道しない)往復したとすると、片道3日。州崎と千葉の距離は約90kmなので1日30kmと考えられます。
歩兵を率いた軍の最速は、建武2年(西暦1335年)12月末から翌年にかけて関東から京へ上った北畠顕家の600kmを半月の1日平均約40km。豊臣秀吉の中国大返しは200kmを10日で1日平均20kmです。
当時の更級日記によると出発は日の出とともに夕方2時か3時には夕食の支度をし始めています。日の出は5時40分ころなので3時までとして8時間、時速4kmで30kmちょっと進めるので徒歩を基準に考えた方がいいでしょう。
1日の旅程は30km前後として考えます。

東京湾沿いと外房の2つのコースがありますが、距離は外房一ノ宮経由のコースは最短150kmで一ノ宮から茂原へ出て、現在の茂原街道で房総半島を横断するコースで茂原を通り越し大網から西進や成東から西進は日進量で不可能です。
しかし、上総広常の居住地とされている御宿や大原や一ノ宮を通ったのなら頼朝は広常と行動したのではないでしょうか。大軍を率いて威勢を示した方が関東の豪族により早い時期から味方になったと思います。

内房コースは120kmです。
どちらのコースを通っても八幡宿、菊間、草刈あたりで村田川を渡り下総国へ入ったと考えます。

頼朝と広常が行動を共にするのが9月19日なのでここでは内房コースをとります。

9月13日 州崎~勝山 25km
9月14日 勝山~佐貫 22km
9月15日 佐貫~飯富神社 24km
9月16日 飯富神社~千葉 27km
9月17日 千葉~市川 25km


おしゃれな駅舎のJR内房線・館山駅。






鹿野山・マザー牧場から見た上総・安房の国境。


(Canon IXY 70)


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