日々の出来事 1月1日 鉄腕アトム
今日は、日本で初めての本格的テレビアニメ“鉄腕アトム”が始まった日です。(1963年1月1日)
このアニメは、1話当たり55万円の制作費で作られ、フジテレビ系列で1963年1月1日から1966年12月31日まで放送されました。
最高視聴率は1964年8月29日放送の第84話“イルカ文明”で40.7%あり、アニメ番組の視聴率としては史上最高記録を持っています。
初回は、“アトム誕生”で視聴率は27.4%ありました。
アトムを作ったのは、お茶の水博士ではなく、天馬博士です。
この天馬午太郎博士は、丙午年生まれで群馬県出身です。
練馬大学を卒業後、科学省長官になっております。
また、タツノオトシゴの研究では日本で右に出る人はいないと言われているほどの天才科学者です。
天馬博士は、一人息子の天馬飛雄の誕生日にエアカーを一緒に作る予定でしたが、仕事が忙しく帰って来れませんでした。
仕方なく天馬飛雄はエアカーを自分で作りますが、ブレーキを付け忘れ、交通事故に遭って死んでしまいます。
天馬飛雄の死を深く悲しんだ天馬博士は、息子にそっくりなロボットを作り、これが鉄腕アトムです。
でも、成長しないロボットに失望した天馬博士は、鉄腕アトムをサーカスへ売り飛ばし失踪してしまいます。
その後、この鉄腕アトムを引き取り、兄弟のウランやコバルト、そして両親と家族を作ったのが、次の科学省長官であるお茶の水博士です。
最終回は1966年の大晦日に放送されましたが、内容はアトムが地球を救う為に太陽に突っ込むという悲劇的な内容で、当時の子供達に与えた影響は大きかったようです。
この鉄腕アトムの番組終了については、この時点の視聴率は20%を超え好調でしたが、スポンサーの明治製菓の売り上げ不振からのもので、視聴者や制作者にも突然の打ち切りとなりました。
なお、アメリカでは“鉄腕アトム”は“アストロボーイ”と呼ばれており、“アトムボーイ”とすると、“屁こき少年”の意味となるからです。
鉄腕アトム(谷川俊太郎作詞、高井達雄作曲)
ヽ( ・∀・)ノ 空を越えて ラララ 星のかなた~
ゆくぞ アトム ジェットの限り♪
こころやさし ラララ 科学の子ォ~
十万馬力だ 鉄腕アトム~♪ヽ(´∀`)ノ
♪(´∀`)ノ゙ 耳をすませ ラララ 目をみはれ~
そうだ アトム 油断をするな♪
こころ正し ラララ 科学の子ォ~
七つの威力さ 鉄腕アトム~♪ヽ(´∀`)ノ
♪(´∀`)ノ゙ 街角に ラララ 海の底に~
きょうも アトム 人間守って♪
こころはずむ ラララ 科学の子ォ~
みんなの友達 鉄腕アトム~♪ヽ(´∀`)ノ
☆今日の壺々話
日本アニメ
留学中の院生の話です。
どこの国でも大学院生はオタク親和性が高いもので、日本アニメを見たことがある同級生は結構多い。
ところが、平均的なアメリカ人にとっては「アキラ」や「Ghost in the shell」のようなサイバーパンクこそがの日本アニメである。
したがって彼らに宮崎作品の感想を聞くと「あれはあくまで子供向けであって、俺はそんなくだらないものは見ない」という反応が返ってくることが多い(もちろん日本アニメならなんでもOKのディープな奴も結構いて「犬夜叉の兄の名前はなんだったかな?」などと質問してきて閉口する)。
このような不理解と偏見を打ち砕くべく、先日我が家で「となりのトトロ」上映会を敢行した。
強制的に呼び集められた友人たち(アメリカ人,イタリア人,中国人)が黙然としてテレビの周りに座り込む。
宣伝が終わり本編が始まると、最初に流れるのは有名なテーマソング「歩こー歩こー、わたしはー元気ー!」である。
そのあまりに童謡的な曲調と絵柄に、アメリカンが早くも脱落しかける。
みんなでバーにビール飲みに行こうというのを宥めすかし、「この、どうみても子供向けの映画に、日本のアニミズム的宗教観の全てが詰まっておるのだ。これは日本文化を理解するのには不可欠な、本当にシリアスな名作なのだ。さらに言おう、登場人物は最後には全員死ぬ」などと虚実を織り交ぜた熱弁を振るい、何とか席に着かせる。
しかし話が進むうちに、最初投げやりだった彼らもどっぷりと引き込まれていく。
日本式家屋、神木の注連縄、稲荷、地蔵、農村風景のいたるところが興味深いらしい。
さらに作品の終盤でメイが迷子になり、サツキがそれを必死で探すシーンなど、涙も拭わず見入っている。
かと思ったら、アメリカ人が「もういい沢山だ、止めてくれ。この子もお母さんもみんな最後に死ぬのかと思うと可哀想で見ていられない」って簡単に信じてんじゃねーよ!
結局、全員が深く感動しての散会となった。
そのうち二回目の上映会を開催する予定である。
次回も無難に「千と千尋」あたりを見せようか、あるいはいきなりファーストガンダム劇場版を見せてみようか、などといろいろと思案中。
「蛍の墓」?あの話、嫌いだから却下。
巫女さん
毎年恒例となった北海道神宮でのカウントダウン。
特に何かを祈るわけでもなく神様に手を合わせた後、御守りを買うために売店へ。
今年はどれにするかなぁなんて悩んでいるフリをしながら巫女@売り子さんを眺め、お気に入りの巫女さんの前に並ぶ。
とてもかわいい。
いつもは車用の御守りしか買わないところだが、今年はなんとなく自分用の御守りを買う気分に。
受験生じゃ無いし、身体はとりあえず健康だし、こういう場合はどんな御守りを買えば良いんだ?
と、迷っていたその目に飛び込んできたのは、必勝祈願の御守り。
『 すみません、この必勝祈願の御守りって、どういったモノですか?』
受験生向けの御守りだったら買っても意味無いなぁと思いながら、巫女さんに質問してみる。
『 え? あ、えーと、その‥‥。』
ただのアルバイトで商品知識が無いのだろう、その巫女さんは困った顔でしばし悩んだ後、両手で小さくガッツポーズ。そして‥‥。
『 か、勝つぞっ!!』
わっ、とてもかわいい!!
困り顔と照れ顔の絶妙なブレンドに、可愛い仕草付きでそんな台詞を言われた日にゃ、俺に一体どうしろと?(どうもせんで宜しい)
‥‥今年は良い年になりそうだ。
メルアドを聞こうとしたのは、それはそれで、また、別の話。
正月あれこれ
元旦の初詣
大学受験を控えた元旦、一人で初詣に行った。
生まれて初めて絵馬を買い、“慶應大学に合格できますように”と書こうとしたのだが、緊張のあまり一文字目で大きく“鹿”と書いてしまった。
上から書き直すのもバカ丸出しだったので、新しい絵馬を買って書き直した。
書き間違えた絵馬には“鹿になりたい”とだけ書いて吊しといた。
デジカメ
正月休みの日に弟とデジカメを買いに行き、2人で楽しんでいた。
その日の晩、ばあちゃんが部屋になにか持ってきた。
「 これ、デジカメにやれ!!」
キャベツの芯だった。
12ヵ月(年初にあたっての注意)
1月
おじいちゃんが餅を喉に詰まらせて窒息死。
初詣で大吉も凶もみんな仲よく将棋倒し。
大人になった途端に天使がやってくる。
2月
スキー場でイケないカップルが遭難死。
受験生による突発的ダイヤ改正・宙吊り・アイキャンフライ集中月間。
春闘に向けて、色とりどりのヘルメットをかぶった労働者が鉄パイプと火炎瓶と爆弾片手に決闘。
3月
学校での卒業式の後、わざわざ学校で人生の卒業式。
お礼参りで集団暴行死。
悲願・ぼた餅。
引っ越してきた一家と近隣住民が武力紛争。
地震でグラグラ
企業の決算期、経営者は人生も決算期。
4月
新歓コンパで急性アルコール中毒死。
免許取ったばかりの若者が交通事故死。
春の陽気とともに現れる人が、なぜか包丁を持っていた。
春の山をなめた軽装の人々による雪山惨禍合掌。
5月
伝統芸能である左翼ケンカ祭りが各地の大学・広場・空港で繰り広げられ、なぜか救難信号が発信される。
5月病で会社の歯車だったサラリーマンが空も飛べるはず。
憲法記念日に右翼が散弾銃もってやってくる。
6月
食中毒で体内の細菌が人口爆発。
10年前の阪神タイガース&現在の横浜ベイスターズ。
オサムちゃん、二人羽織で玉川上水の遠泳に挑戦。
7月
水難の夏 日本の夏。
動きたくなくなる暑さの中、本当に動かなくなる老人多数。
歩道橋で行き軍vs帰り軍のバトル勃発し、空には景気づけに花火が咲き乱れる。
その花火が地上爆発イリュージョン。
8月
警告無視して川にテントを張って川流れ。
パチンコ屋でお母さん大fever、車内の幼児も大fever。
ヒ☆ロ☆シ☆マ。
ナ★ガ★サ★キ。
上を向いて歩いた男が500人強を引き連れて上へ行き、家族は涙をこぼしまくる。
蒸し暑い夏の夜、かがり火の向こうから死んだやつらが帰ってくる。
9月
台風をも恐れない海の男が海の藻屑に消える。
だんじり祭りで商店街打ちこわし。
山があるから登った人たち、熊がいるから食べられる。
夏を乗り切ったおじいちゃんの電池が切れる。
「雷がよく鳴るわね、あっ?」
悲願・おはぎ。
10月
道頓堀に入った人数と出てきた人数が合わない。
ナショナルのFF式石油暖房器が大切なお知らせとお願い。
「1番」を尊び、日本の鉄道死を偲ぶ鉄道の日。
11月
スーパーキノコかと思ったら毒キノコで中毒死。
焚き火だ焚き火だ山火事だ。
うっかり外で寝て、それ以降寝っぱなし。
12月
忘年会で飲酒運転で事故死(相手が)。
雪と一緒に屋根からダイブ。
初雪の雪だよりと共に、各地の地方高速で掘りつ掘られつのハッテン場が展開される。
大晦日、故郷へ急ぐサンデードライバーと初日の出を見る特攻の方々が不運と踊って街の仲間たちの戦果激増。
最高の歌姫を決めるバトルで、審査委員長が人体発火現象でバーニング。
永遠に冬眠。
新型インフルエンザで1234万人死亡。
お稲荷様
実家には仏壇くらいの大きさのお稲荷様を祀った、石造りの祠みたいなものがある。
ばあちゃんは祠をお稲荷さんと呼んでいて、そこにお供え物を持って行くのは御曹司の仕事だと言って、何か行事とかがあると、赤飯やら、新米やらを俺に持って行かせた。
俺が隣県の大学へ通うようになるまで、3歳くらいから、正月、お盆、そして新米が取れる季節や、柏餅なんぞを必ず俺がお供えに行っていた。
俺は、じっちゃま、ばっちゃまにキツーく言われ、お供えをした後には必ず、次の文言を言わされていた。
「 お稲荷様、お稲荷様、おいでください、今年もお稲荷様のおかげで良い米がとれました。少しではありますが、どうぞお召し上がりください。」
これは米がとれたときで、正月とか暮れには、
「 お稲荷様、お稲荷様、おいでください。今年もあと少しで暮れます。1年安泰だったのもお稲荷様のおかげです。どうぞお召し上がりください。(無事、新年を迎えることができました、どうか今年もよろしくお守護りください。」
なんてことを言った後に、心の中で欲張らない願い事をしろと言い聞かされてきた。
“ 金が欲しい!とか、ゲームが欲しい!とかそういうことはご法度だぞ、病気にならないようにだとか、成績が良くなるとかそういうことをお願いしろ。”
とこれはじっちゃまの教え。
私は忠実にそれを守り、高校3年の春まで続けた。
高校も卒業し、春になり、18年間暮らしてきた家族ともしばしのお別れ。
私の足は自然とお稲荷様に向かった。
「 稲荷様、お稲荷様、おいででしょうか?私も今日から数年お暇いたします。
離れていても私の事を見守っていてください、正月やお盆はできる限り帰ってお稲荷様にお供え物を差し上げに参ります。わずかですが私の握った握り飯です、気持ちを込めて握りました。どうぞ、お召し上がりください。」
そして私は片道4時間かけて母と父と入学式のため車で大学へ向かった。
お稲荷様のご加護か、私はそれまで大病を患ったこともなければ、大した怪我もなかった。
ところが、私は大学2年のときに、突然の病気にかかってしまった。
それは、ソロツーリング先。
途中で急に熱を出し、震えが止まらないのに体は火照り、吐き気と激しい頭痛に襲われて悪夢のような状態に陥った。
そんな状態で長いことバイクを運転できるわけもなく、徐々に速度を落とし、エンジンを切りなんとかスタンドを立てると同時にバイクから転げ落ちた。
運が悪いことにそこは興味本意で入った旧道で、しかも景色のよいところへそれていたためかなりの脇道で、地図に載っているのかも分からない場所。
当然車は全くと言っていいほど通らない。
意識は断続的に途切れ、節々の痛みと寒気と頭痛で目が覚める、これの繰り返し。
救急車を呼ぼうにも、腕すら伸ばせない。
携帯をつかむこともできない。
“ もう、ダメかな・・・。”
私はそう思って目を閉じた。
“ どうせ、いつかは死ぬんだし、俺と同じ若さで死んだ人なんて、ごまんといる・・・。”
そんなことを思いながら、これが最後と覚悟し眠りに落ちた。
そして、夢を見た。
真っ白な世界で目の前を何かが通り過ぎる。
狐だ。
動物の狐というよりかは、抽象画なんかで神様と崇められている狐のように切れ長の目をしていて、真っ白だ。
狐は切れ長の目でこちらを凝視し、脳の中に語りかける感じで言葉を送ってきた。
「 あの握り飯は美味かったぞ。
さぁ、力を貸してやる。
目を覚ませ。」
そういうと俺の目を覚まさそうとしたのか、その白狐は「コーン!」と高く吠えた。
俺は目を覚ました。
若干体が楽になっている。
携帯を鷲掴み、119をプッシュする。
すぐにつながり火災か救急か聞かれるが、もう気力がない。
「 たすけて・・・。」
それだけ辛うじて伝えると、私の意識はそこで完全に落ちた。
気づくと私は病院で寝ていた。
当たりを見回すと個室のようで結構静かだった。
窓の外を見る限り3階か4階のようだった。
窓から見える近くの小さな建物の屋根にあの狐が見えた。
そしてまた高く吠えるとピョンっと建物から飛び降りていなくなってしまった。
私はどうやら、バイクで走行中に海外では多くの死者も出たあのインフルエンザが発症してしまったらしい。
携帯の電波を頼りに救急車とパトカーまで動員して旧道付近を探してくれたらしい。
それにしてもよく見つけられたものだ。
しばらくして警察が入ってきて、軽く質問を受けた。
当て逃げじゃないのかとか、自爆じゃないのかとか。
すべて否定し、スタンドを立ててそのまま倒れたと伝え、バイクは病気が直ったら警察署で保管してあるから引き取りに来てほしいという話をされた。
病気が治って、警察署へバイクを引き取りに行った際、自分を見つけてくれた白バイの兄さんが案内をしてくれたのでお礼を述べ、その時の状況を聞くと、こんなことを言っていた。
「 僕がねー、旧道付近を探してたら、急に狐が飛び出て来て、意味ありげに何回か吠えて走って行ったんだよねー。
不思議なんだけどそのあとをついて行ったら君がバイクの近くで倒れてたもんでさー、驚いた。
君、もしかして狐に取り付かれちゃってない?
お祓いにでも行ったら?(笑)」
俺は答えた。
「 いえ、お稲荷様が守ってくれたんです、おにぎりのお礼に。」
しばらくして夏休みになり、お盆に実家に帰省。
真っ先にお稲荷様に、お赤飯とおまんじゅうを備え、
「 お稲荷様、お稲荷様、おいでください。
ご無沙汰しておりました。
命のお礼に今日はおまんじゅうをお持ちしました、どうぞお召し上がりください。
ありがとうございました。」
真夏の日には場違いな涼しい、さわやかな風が吹いた。
その夜、久々にみんな揃った家族が奇妙なことを言い出した。
「 塩のたっぷり効いた握り飯が喰いたいなぁ。何故だか・・・・。」
“ そんなに俺の塩握りが美味かったのかぁ、お稲荷様は。”
私は声を出して笑った。
みなさ~ん、あけましておめでとう!!ヽ(´∀`)ノ
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