日々の恐怖 8月26日 七五三
昔のことなので曖昧なところも多いけれど話します。
小さい時の私は、髪も肩でまっすぐに切りそろえていたから、着物を着たら市松人形のようだった。
そのせいで怖い目にあったことがある。
時期は七歳の時、場所は祖父母の家だった。
七五三に行く少し前で、七五三のお参りに来ていく着物を祖母に着せてもらう練習かなんかだったと思う。
ともかく、本番前に一度着物を着せてもらった。
私はきれいな着物を着せてもらって嬉しくてしょうがなかった。
それを見た母は、絶対に汚さないという約束で、家に帰るギリギリまで着物を着てていいよと言ってくれて、私は着物姿のままで、祖父母の家をぱたぱた歩き回っていた。
祖父母の家はいわゆる旧家というやつで、家の奥には今はもう物置になっているような部屋がいくつかあった。
私はそこに入り込んで、薄暗い中、古い道具の入った箱の中を見るのが大好きだった。
それでいつものように奥の部屋に入り込んで、古い道具や何かを見ていると、不意にすぐ後ろに誰かが来て、
「 楽しいか・・。」
と声をかけてきた。
若い男性の声だったから上の従兄かなと思って、
「 うん。」
と振り向きもせず遊びながら返事した。
すると、
「 かわいいね、お人形がおベベ着て遊んでいる。」
もっと古風な言い回しだったような気がするけれど、そんなことを言った。
振り向こうとすると、
「 だめだ。」
と言う。
目の端に青っぽい模様の入った袴が見えたので、
「 お兄ちゃんも着物着たの?」
と訊くと、
「 いつも着物だよ。」
「 わたしね、今日はお正月じゃないのに着物着せてもらったんだよ。」
しばらくの間、その後ろの人を相手に、着物がいかにうれしいかを話していた。
なぜだか後ろは向けなかった。
すると、じっとそれを後ろで聞いていたその人は、
「 着物がそんなに嬉しいの?
じゃあ、ずっと着物でいられるようにしてあげようか。
この部屋で、ずっと着物で遊んでおいでよ。
お兄さんも一緒だよ。」
「 ほんと!遊んでくれるの?やった!」
と嬉しそうな私に、後ろの人は続けて言った。
「 じゃあ、ずっとここで一緒に遊ぼうね、約束だよ。」
「 でも、わたし、お外でも遊びたいよ、木のぼりとか虫取りもしたいよ。」
「 だめだよ。お人形がそんなことをしてはいけない。」
「 やだよ、お外で遊ぶもん、友達とも遊ぶもん。」
「 だめだよ、外に出てはいけないよ。」
こんな感じの問答をずっと繰り返していると、後ろの人はすっと私の後ろにしゃがみ込んだ。
そして私の髪にさわって、静かな口調で言った。
「 かわいいねえ、かわいい、いい子だから言うことを聞きなさい。」
ここでやっとおバカな私は、この着物のお兄さんが従兄ではないことに気が付いた。
手元の古い道具ばかり見ていて気付かなかったけども、
いつの間にか部屋は暗くなっていて、うっすら白いもやまで立ち込めていた。
「 かわいいお人形だ、かわいい、かわいい・・・。」
やさしい手つきで髪をさわっているけれど、背中が総毛立った。
「 かわいい、かわいい、いちまかな、禿かな、かわいい、かわいい、かわいい・・・。」
少し怖くなった私は頑張って言った。
「 わたし、人形じゃないよ。」
「 かわいい、かわいい、かわいい・・。」
「 この着物は七五三で着せてもらったんだよ。」
手がぴたりと止まった。
「 七五三?」
「 うん、着せてもらったの。」
「 もう七つ?」
ここで私は、嘘でも七つと答えなければいけないような気がした。
実際にはまだ六つで、七五三には次の週かなんかに行く予定だったんだけれども、嘘でも七つと答えなければいけないような気がした。
だから答えた。
「 七つだよ。」
すると後ろの人はすっと立ち上がり、今度は頭をなでて、
「 かわいいね、でも、もうお帰り。」
そのとたん、部屋がふっと明るくなった。
慌てて後ろを振り向いたが誰もいない。
変なの、と思ったが、その後は特に気にせずそのまま遊んでいた。
でも夕方だったのですぐに母親に呼ばれて、部屋からは出た。
それでその時は洋服に着替えさせられて家に帰った。
親には一応話したけど、遊んでるんだろうと思って本気にはされなかった。
それで、次の週かその次の次だったかもしれないが、七五三に行った。
神社の帰りに祖母の家に寄ったけれども、奥に行く気にはならなかった。
もしあの時、ここにいる、六つだ、と答えていたら、一体どうなってたんだろう。
可愛いからというより、気に入られたのかもしれないけれど、それ以来、かわいいという言葉には自然と身構えるようになってしまった。
後ろに立っていた人については、いまだに何もわからない。
もうお帰り、って言った時の声はすごくさびしそうで、当時はちょっと罪悪感も感じたけど、今では彼の言う人形ってなんだったのか、あんまり分かりたくない。
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