日々の恐怖 8月27日 七五三続
以前、七五三の前に祖父母の家の奥の間で、青い袴の人に連れて行かれかけたという話をしました。
その後、青い袴の人の正体が気になって、改めて両親や親戚に心当たりがないか尋ねてみました。
すると上の従兄が、今だから話せるんだけど、と話してくれました。
従兄は、幼い頃の私が奥の間で遊ぶのを、あまりよく思っていなかったそうです。
当時、祖父母と同居していた従兄は、誰もいないはずの奥の間から気配がしたり、かすかに琴か何かを弾いているような音が聞こえることがあって、あの部屋には何かいるのではないか、と疑っていました。
特に弦の音が聞こえるのは、私が遊びに来ている時やその日の夜が多く、当時の従兄は、私が何か関係しているのではないかと思って、様子をうかがったりしていたそうです。
七五三を過ぎて私が奥の間で遊ばなくなると、奥の間の気配も徐々に静かになって、従兄はしばらくそのことは忘れていました。
ところが何年かたって、再び奥の間から琴の音が聞こえるようになりました。
家族にそんなものは聞こえないと言われ、従兄は意地になって奥の間に何かないか探したそうです。
しかし琴など見つからず、あったのは親父の昔のエレキギターだけだったそうです。
他に怪談や因縁話もなく、従兄はお手上げ状態になりました。
しかし、音が復活して何年かたったある年のこと、伯母が奥の間の箪笥から一枚の着物を出しました。
私が成人式で着るための振袖です。
振袖を風に当てるため、従兄は伯母の手伝いをしていました。
衣紋掛けに振袖を広げ、伯母が他の用で部屋を出ていき、奥の間に従兄一人になった時に、なんとはなしに振袖をながめていると、後ろに確かに人の気配が立って、男性の声が呟くように言ったそうです。
「 サキテチリニシハナナラマシヲ。」
驚いたけれど不思議と怖くはなかったそうです。
それよりも、なぜか無性に泣きたくなって困ったと言っていました。
私は成人式の日、祖父母の家に挨拶に行きましたが、従兄にはその日の夜、ずっと奥の間から琴の音が聞こえていたそうです。
そしてその日以来、音は一切聞こえなくなりました。
今はもう祖父母の家は取り壊されており、あの奥の間も無くなったことから、もう話しても大丈夫だろうと思って話してくれたそうです。
あの青い袴の人が何を言っていたのか、後で調べろと従兄に言われてググりましたが、 正直、複雑な気分になりました。
正しくは『咲きて散りにし花ならましを』だそうで、『自分の身がすぐに咲いて散ってしまう花だったらいいのに』という意味だそうです。
奥の間で一人で寂しかったのかと思えば、可哀想な気もします。
でも、不用意に親しくすれば、七歳以降でも連れて行かれていたのかもしれないし、無事だった今だからそう思えるのかもしれません。
あのおかげで今でも人形がトラウマですから。
ただ、気になることが一つあります。
従兄は琴など無かったと言っているのですが、私の記憶では琴はありました。
祖父母の家を壊すことが決まった時に、私は祖母の琴を貰っているのです。
奥の間の壁にずっと立てかけてあったものです。
あんなに大きな物を従兄が見落とすとは思えません。
今、我が家で琴の音が聞こえることはも勿論ありませんし、私の貰った琴が、あの青い袴の人が弾いていたものかもわかりません。
結局、あの人が何者だったのかはわかりませんでしたが、もう会うことも無いと思います。
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