真赤なバラを見ると、浜口庫之助作詞・作曲の「バラが咲いた」を口ずさみたくなる。5月14日、東京・北区の旧古河庭園に、前日から始まった「春バラとライトアップ」を見に行ったが、今月の上旬に涼しい日が続いたせいか、1株に1輪か2輪ほどしか咲いていないバラが多かった。とりあえず、一番綺麗そうな花を絵手紙用に撮影。ライトアップ最終日の今日なら、咲きそろっているかもしれない。
旧国道1号線(現在は県道43号線)の引地橋のそばに、女性の願いなら何でも叶えるといわれる高さ30センチほどの「おしゃれ地蔵」がある。願いごとの叶った人は、お礼として顔に白粉を塗る習慣があったので、おしゃれ地蔵と呼ばれている。形態的には地蔵ではなく、双体道祖神というらしい。
とある石材店の店頭に置かれていた、高さ50センチほどの石造りの猫のキャラクター(売り物ではないらしい)。日本だけではなく、世界中の子供達に愛されているキティちゃんは、1974年11月1日の誕生なので齢満30才だが、いつまでも歳をとらないのが羨ましい。
葛飾北斎の冨嶽三十六景に出て来る富士山のように見えないだろうか。元は1枚の写真で、遠景の富士山だけ横幅を半分ほどに縮小・変形した。すなわち、富士山変形(冨嶽變景)だ。海岸を通る国道134号線沿いのビルが、漁村の民家のように見えてくるから不思議だ。サーファーがいないほうがよかったという考えと、いたから面白いという意見があると思う。私はどちらかといえば後者だが、本音はサーフボードの赤いラインをアクセントに使いたかったのだ。
テレビがまだなかった昭和20年代、連続放送劇「君の名は」がラジオから流れる時間になると、銭湯の女湯がガラガラになったといわれた。「昭和20年5月24日、東京大空襲の夜。数奇屋橋の上で命を助け合った真知子と春樹は、互いに名を知らないまま運命の渦に巻き込まれる」というのがあらすじ。「知らん」いや「シラン(紫蘭)」の花言葉は「互いに忘れないように」。まさに、「君の名は」の世界だ。
このお地蔵さんは村のはずれでニコニコ顔ではなく、街なかのお寺で訪れる人をいつも澄まし顔で見ている。数体並んで立っているどのお地蔵さんも、綺麗に洗われた赤い帽子と赤いよだれ掛けをつけている。これが、お地蔵さんのユニフォームらしい。
絞り模様の八重咲きつばき。花が年々小さくなっていくようなので心配していたが、今年は久しぶりに大輪がいっぱい咲いたので一安心。つばきは花びらが一枚ずつ散るのではなく、花全体が首からポロリと落ちるので、縁起が悪いと昔から武家では嫌われていたようだ。しかし、美しい花はやはり美しい。
昨日の写真を加工して、絵手紙を作った。背景を全部削除したので、俗世界を離れて修行に熱中している僧侶の姿が、いっそう鮮明になった。作者である私の本心は、一つのネタで2回分の回数が稼げたと喜んでいる。どっぷりと俗世界に浸っている証拠だ。
沈丁花の花は、とても香りが良い。沈香と丁字の香りを併せ持つということで、日本でつけられた和名だ。私の家には、斑入りの沈丁花がある。斑入りは比較的少なくて珍しいので、自慢にしている。この沈丁花は、子供の頃から私のそばにある。といっても同じ木ではない。何回か引っ越しをしたし、突然枯れたりもしたので、挿し木で増やしたものだ。現在も挿し木で1本スペアを作ってある。私には、斑入りでないと沈丁花のような気がしない。今年の花は、そろそろ終わりだ。
徒然絵手紙
1年ほど前、旧友から絵手紙が添付されたメールが届いた。絵手紙を教えているとのこと。彼は、かつての新聞連載漫画「轟先生」の作者の甥なので、その血筋をひいて絵がうまい。残念ながら私にはそのような血筋がなく、したがって画才がない。そこで、本格的な絵手紙の先生は顔をしかめると思うが、パソコンで写真を絵のように加工して、絵手紙作りに挑戦することにした。このカテゴリーでは、こうして作った絵手紙(もどき)を紹介する。しかし、画才がないのはパソコンで誤魔化せるが、文才がないのはパソコンではどうにもならないのが悩みの種だ。なお、旧作もあるので、季節や話題がずれて出る場合もある。
1年ほど前、旧友から絵手紙が添付されたメールが届いた。絵手紙を教えているとのこと。彼は、かつての新聞連載漫画「轟先生」の作者の甥なので、その血筋をひいて絵がうまい。残念ながら私にはそのような血筋がなく、したがって画才がない。そこで、本格的な絵手紙の先生は顔をしかめると思うが、パソコンで写真を絵のように加工して、絵手紙作りに挑戦することにした。このカテゴリーでは、こうして作った絵手紙(もどき)を紹介する。しかし、画才がないのはパソコンで誤魔化せるが、文才がないのはパソコンではどうにもならないのが悩みの種だ。なお、旧作もあるので、季節や話題がずれて出る場合もある。